アマテルカミの詔 ~ウガヤフキアハセズ様の即位~

こんにちは!今日は前回もご紹介したアマテルカミ(天照大神)ミコトノリを全文でご紹介したいと思います。前回、ミコトノリの全文をご紹介できなかったので、今回は全文をご紹介したいと思います。

アマテルカミは嫡嗣のオシホミミ様お孫様のニニキネ様、それから、玄孫のウガヤフキアハセズ様の即位のミコトノリを出されています。

いずれも感動的でお読みいただくと、アマテルカミの人となりが理解できますし、禍々しいものも秒で晴れると思いますので、是非お読みいただきたいと思います。

ミコトノリの注釈は松本善之助氏の文章を参考にしています。長文につき、幾つかに区切ってご紹介します。

ホツマツタヱ 27アヤ16頁
キアト(日本古暦)年の夏、にウガヤフキアハセズ様の即位に際し、伊勢におられるアマテルカミに報告したので、アマテルカミが詔を出された。

即位の大事を無事終えたのは良かった。本当に良かった。私は安堵しました。トガクシ神に命じ、近江のタガの宮を作り変えて、新たな都を開いたのは大変結構でした。

タガにて輝かしい実績を残されたイサナキ・イサナミ両大神の御稜威にあずかることができるでしょう。

私は昔、高貴な文書によって天の窮理を得ることができました。これは「御祖の道」といっても良いでしょう。

汝に今、「御祖ヲ君」という名を授けようと思います。御祖の神イサナギ・イサナミ両神のようにあってほしいと心から願うからです。

おお「御祖天君」よ。国民の心をよく聴くがよい。可愛いわが子の心の隅々を知る親のように、国民の細かい動きにも敏感であって欲しいものです。

この場合に必要なのは、へりくだる心であり、同時にやわらぎの心も失ってはなりません。あのどうしようもなく狂暴なハタレに対してさえ、基本的にはこの態度で接したのでした。

このように心掛けてクニを治めるならば、役人もおのずからアメナル道を慕うようになるでしょう。

何度でも云うが、温かい心で民を恵む気持ちを怠ってはなりません。

この具体的方法は沢山残されている神々のヲシデの中に残されています。

ヲシデとは文字によって書かれた温かい心の贈りものです。しかし文書が多すぎて要点が攫み切れなくなっているかも知れません。

そんな時には、ヨコベとツウヂにもののタテ・ヨコを調べさせ、整えさせて、闇路を照らすようにしなさい。

カスガを左のトミに、コモリを右のトミに任命するがよい。両神ともかねてからの経験豊かな信頼に値する神々です。

カスガとコモリの力を得て、アメナルミチの天霊を悟るなら、日は月になり、月は年と変わり、年が何度やってきても、

天つ日嗣の栄えることは極まりありません。そうです。絶対に極まりないのです。
アマテルカミ

いかがでしたでしょうか?

美鈴はこの分を読んで、本当に感動したし、涙もボロボロこぼれました。このミコトノリから、アマテルカミがかなり精神性の高い方であったことが伺えます。

叱るでもなく、説教でもなく、温かい心で相手を敬いながら、なおかつ相手を優しく教え諭すことは、決して簡単ではありません。

アマテルカミはそれができる方だったのでしょう。

ここで特筆しておきたいのは、名だたる聖人君子はだいたい紀元前700~500年頃の方ですが、池田満氏の著書によるとアマテルカミが生きておられた時代は、紀元前1.000年頃の方ではないかと推定されています。

つまり、そんな太古の昔から日本には素晴らしい偉人がおられたということなのです。そして、アマテルカミオシホミミ様ニニキネ様即位の際も詔を出されていますが、一貫してアメナルミチの(民に恵みを齎す)精神がぶれていないということです。

数年後は言っていることが違うなんてことはないのでした。

また、別の機会にアマテルカミの素晴らしいミコトノリをご紹介したいと思います。皆様、良い一日をお過ごしください!

アマテルカミの教育

こんにちは!今日はアマテルカミの教育についてお話ししたいと思います。私がいつも参考にしているホツマ辞典を読んでいたら、気になる箇所を見つけました。

その内容をお話するまえに、今日のお話でメインに取り上げるクシヒコさんの息子コモリカミについて紹介しますが、その前にコモリカミの父:クシヒコさんについておさらいします。

オオクニヌシ:クシヒコさん

当ブログでは、過去に沢山クシヒコさん(一般的にはオオクニヌシの名で知られる)は何度も紹介していますが、クシヒコさんソサノヲさんの内孫であり、アマテルカミ外孫に当たる方です。

クシヒコさんの系図

偉大な両祖父を持つクシヒコさんは、御父上のオホナムチさんの後を継いで、オオモノヌシの役職に任じられます。(ちなみに、コトシロヌシというのはオオモノヌシになる前の役職名です。)

モノヌシとはどんな役職?

モノヌシとはモノノベ(今で言う警察官)を統率する役割です。一人のモノノベ3,200家族の面倒を見ていたので、たいへんな数です。実に800人にも及ぶモノノベを管理していたのが、モノヌシという重職なのでした。

モノノベという役割は人の善悪法を教える役目があり、罪を犯すものを捕らえ、軽犯罪は自ら処罰し、軽犯罪にとどまらない場合にはクニツコに報告して判断を仰いでいました。

オオモノヌシという役職はアメナルミチを体得し、アマテルカミの御心を理解されていたクシヒコさんにぴったりの役職ですよね。

クシヒコさん

クシヒコさんの妻ミホツヒメ

タカミムスビ家の第7第当主タカギさんの娘のミホツヒメと結ばれます。このミホツヒメクシヒコさんとの結婚に当たり、琵琶湖西岸ヨロギ(安曇川町西万木付近)薬草園を父から譲り受けます。そして、クシヒコさんとの間にミホヒコという男の子が生まれます。

しかし、クシヒコさんもミホツヒメも大変優秀な方だったので、普通の子として生まれたミホヒコさん自閉症のような症状になりかけます。(優秀な親を持つ子供の苦悩)

子育てに頭を悩ませた、クシヒコさんとミホツヒメアマテルカミに指導を仰ぐことになり、良きアドバイスを得て、ミホヒコさんは右の臣にまで大成します。

ここまで読んで美鈴は思った。

とはいうものの、具体的に教育論が纏められた古代文献はないので、現存している書物から推し量るしかすべがない状態ではあります。

美鈴が思うに、アマテルカミは男性でも惚れるくらい人格が素晴らしいですよね?きっとミホヒコさんの良い所を見抜いて、褒めて、才能を伸ばしたと思うのです。

アマテルカミは相手がどんな人であっても、目下の人でも、敬っておられたし、最大の賛辞を贈る方でした。そのようなアマテルカミの愛を受けて、右の臣にまでなられたのでしょう。また、母上のミホツヒメが持参した薬草園もあったことから、医学にも精通します。

オオクニヌシを祀る神社の由緒に「医学に精通した」と書かれていると思いますが、医学に精通してたのは、クシヒコさんの息子のミホヒコさんのことです。

ミホヒコさんの偉業はそれだけにとどまらず、各地で灌漑事業を各地で起こして、人々のために尽くします。越国、佐渡の地でも新田開発や灌漑工事にも携わります。

三輪氏が栄えた理由:子だくさんのコモリカミ

ミホヒコさんは奥様のイクタマヨリヒメとの間に男の子16人、シラタマヒメとの間に女の子16人、実に32人もの子に恵まれ、子守りに忙しかったためコモリカミと呼ばれます。このため、後の三輪氏は栄えます。

コモリカミの6女イソヨリという方は最初はホホテミ様に嫁ぐのですが、後にハデツミさん三男タケツミさんに嫁いで、タマヨリヒメを産みます。(以前に紹介したタマヨリヒメの系図に追記)

このタマヨリヒメ第十二代アマカミのウガヤフキアハセズ様に嫁ぎ、タケヒト様(後の神武天皇)を産むので、一時は自閉症寸前に陥ったミホヒコさん天皇曾祖父にまでなったということになります。

ミホツヒメ縁の神社

現状ではコモリカミだけで祀られている神社は分かりかねますが、ミホツヒメ静岡県清水市三保御保神社で祀られています。

おまけ

美鈴はミホヒコさんにはお会いしたことがありません。ですが、クシヒコさんには何度もお会いしています。とってもお優しい方です。クシヒコさんに限らず、上古代のご先祖様は皆さまとても優しくて、人格者が多いですね。

参拝者がどんな人であっても、親切にしてくださると美鈴は思っています。

意外なことに、誰でも知っている有名神社にはいないのに、どう見ても地元の人しか来ないよなぁ~みたいなマイナーな神社にリアルに出てきたりします。実はマイナーな神社の方が縁が深かったということなのでしょう。

一度、クシヒコさんの性格を垣間見たことがあるのですが、政治家だけあってかなりの倹約家とお見受けしました。色んなことで、効率的な考えをされますし、行動・言動に無駄が無いんですよね。これはアマテルカミも同じなのです。

警察・検察関係の方?は是非クシヒコさんにお参り頂きたいなぁと思います。

美鈴の育児の悩みも解決?

実は美鈴も育児の悩みは随分抱えていました。子どもがなかなか寝ないし、癇癪が酷い時期があったのです。子育ての悩みって本当に尽きないですよね?

以前にアマテルカミから食養のアドバイスを頂いたと書きました。今でも、アマテルカミのアドバイス通りの食生活を維持しています。野菜中心の生活にシフトしたため、(もちろん大豆・魚介類からタンパク質は摂っています)お菓子・ジャンクフード・惣菜類をほとんど買わなくなりました。

子どもって不思議なもので、親と同じ物を食べます。親がお菓子食べてたら、食べますし、親が野菜を食べるとちゃんと野菜を食べます。

お菓子を買わなくなったので、てっきりお菓子ー。お菓子ー。と騒ぐかと思ったのですが、意外なことに蒸かしたサツマイモやバナナで満足しています。既製品のお菓子をやめて、自然食に切り替えたところ、早寝早起きの習慣もつき、癇癪も収まりました。

つまり食養で育児の悩みの何割かは解決してしまったのです。(やはりアマテルカミは本当に神だった)美鈴の育児の悩みは食生活が原因であると、アマテルカミはちゃんと見抜いておられたのでしょう。

育児のお悩みの方に参考になれば幸いです。アマテルカミの偉業をもっと知りたい方は是非、池田満氏の著書の書籍をお読みいただければと思います。

今日はアマテルカミの教育について取り上げてみました!最後までお読みいただきありがとうございました!

上古代の死生観

こんにちは!上古代のご先祖様は人の死後はどのようになると考えていたのでしょうか?ちょっと見ていきたいと思います。

上古代の方々は精神性が高く、かなりスピリチュアルだったようです。ヤマトタケさんもご自身が置かれた境遇がソサノヲさんと似ていたため、自分はソサノヲさんの生まれ変わりと信じていました。(ちなみにこのお二方は似ている部分も確かにあるのですが、ちゃんと別々の魂を持つ別人でした。)

ヤマトタケさん:今日12月15日はお誕生日ですね!

では、人が亡くなった後の魂(古代では心と考えた方)はどのようになるのでしょうか?

現代では「魂」と聞くと一種のエネルギー体とかアストラル体などの、ある種肉体に宿るものみたいなイメージがありますが、ヲシテ文献(ヲシテ文字で書かれたホツマツタヱやミカサフミなどの古代文献のこと)に出てくる「タマシヰ」という言葉は、心の在り方を表しています。

タマシヰとはどういう意味か?

この「タマシヰ」という言葉は、「タマシヰ」という一語ではなく、「タマ」「シヰ」という二つの言葉から成り立っています。では、それぞれの言葉の意味を見てみましょう。

「タマ」とは、ヒトの意識や記憶、他人を思いやる心、良心などを表し、「シヰ」とは、肉体からくる欲求、すなわち食欲や性欲などを指します。そして、「タマ」は宇宙の源:アモトからもたらされるものと考えられていました。

この「タマ」「シヰ」タマノヲで結び付けられており、人が亡くなるとこのタマノヲが解かれ、タマ宇宙の源のアモトへシヰクニタマ(=地球)へ帰っていくとされていました。

しかし、「シヰ」の欲求が強すぎた場合は死後もアモトへ帰ることが出来ずに苦しむことになります。そして、心がねじ曲がっているとタマノヲが解けずに彷徨い、挙句の果てにはに生まれ変わることにもなります。(もはやヒトではなくなる)

そのため、この迷えるタマシヰを大宇宙の中心に返すためにタマカエシの祭りを行っていました。

このタマカエシの記述は度々ホツマツタヱに散見するのですが、最も大多数が亡くなったハタレの乱では、タケミカヅチさん、ツワモノヌシさん、フツヌシさん、ココトムスビさんが共同してこのタマカエシの祭りを行っています。

理想としては死後に早く大宇宙の中心に帰り、またすぐに地球人として生まれ変わって、人生を楽しむことが良いとされていました。

では、反対に人が誕生するときにタマシヰはどのようにやってくるのでしょうか?

ヒトの誕生時、タマシヰはどこからやってくる?

母親の胎内で受精卵が育ち、妊娠5カ月目くらいになると、胎児はリンゴ1個ぐらいの大きさになります。この時期に「アモト」から「タマ」が下されてきます。そして、「タマ」「シヰ」タマノヲで結び付けられてヒトの心になります。

つまり人の体の中に「タマシヰ」が宿るのがだいたい5カ月目くらいと考えられてたということですね。

ヰクラムワタとは?

フトマニの記事でヰクラムワタという言葉が出てきたと思うのですが、このヰクラムワタとは、人体の構成成り立ちを表す哲学用語になります。「ヰクラ」の「クラ」とは目に目無いものを意味し、「ムワタ」「ワタ」とは内臓を示します。

「ヰクラ」は、更に細かく「ココロバ」、「タマ」、「ミヤビ」の要素に分かれます。それぞれの性質を見てみましょう。

心の動きをここまで細かく把握していたとは本当に驚きですよね。日本人ならではの繊細さはこんな古代からも根付いていたことが分かります。今日は上古代の死生観というテーマでお話ししてみました!最後までお読みいただきありがとうございました!

参考図書:ホツマ辞典:池田満氏著

鎌倉上空に4柱の鳳凰:瀧口明神社 

こんにちは!今日は久しぶりに神社の紹介です。実は伊勢神宮参拝前には、色んな神社からお呼びのお声がかかっていました。それが伊勢神宮参拝後はぴたっとお呼びの声がかからなくなりました。

やはり伊勢神宮最高位かつ最強の神社だったことがあっさり判明してしまった訳なのでした。今回は伊勢神宮参拝前のお話になります。

参拝にお伺いしたのは、神奈川県鎌倉市に鎮座する瀧口明神社で、最寄り駅は湘南モノレール西鎌倉駅です。龍神が現れる神社としても有名ですよね。

瀧口明神社の五頭龍大明神像

ここは前々から大きな龍神がおられるなぁと思っていました。どなたなのだろうと思っていたら、主祭神玉依姫とあります。

瀧口明神社上空に現れた鳳凰

ここに神社なんてあるのかぁと思うような住宅街を抜けて行きます。住宅街を抜けた一角に神社らしき建物が見えてきます。早速入口に向かうと、、、なんとびっくりしたことに4柱の鳳凰が上空に現れたではありませんか!

2柱はペアで現れました

もう1柱

4柱目は大きかったです

4柱の鳳凰は一体どなた?

以前に鳳凰雲について書いたと思いますが、鳳凰は皇位継承者を意味します。とてつもなく巨大な鳳凰雲アマテルカミ(天照大神)を表すとも書きました。では玉依姫をお祀りする神社で4柱の鳳凰(=皇位継承者)が現れたとはどういうことでしょうか?

じつはホツマツタヱを読めばこの謎はすんなり解けます。

タマヨリヒメの出自

まず玉依姫とは一体誰なのか?系図①、②をご覧いただくと分かりやすいでしょう。

系図①は第八代アマカミ(上古代の天皇のこと)アマテルカミ以降の系図を示しています。

系図②をご覧いただくと、タマヨリヒメ第十二代アマカミのウガヤフキアハセズ様イトコであり、また妃であったことが分かります。

ウガヤフキアハセズ様とタマヨリヒメ

ちなみに、タマヨリヒメ祖父ハデツミという方は、九州全域を治めていた方で、カナサキさんという方の孫にあたります。

タマヨリヒメの先祖カナサキさんとは?

カナサキさんは、舟づくりと海運に秀でた初代シマツヒコ7代目の子孫にあたります。造船技術にも長けていたカナサキさんは、大きな漕ぎ舟(カモフネ)を建造して世に貢献します。

カモフネ:あくまでイメージです

また、アマテルカミ実姉であるワカヒメ様養父でもあり、ハタレの乱では主参謀としてアマカミを支えたため、アマテルカミから厚い信頼を得ていました。

そして、カナサキさんの娘のハヤアキツヒメ(アキコヒメ)(大祓の祝詞にも出てきますよね)はアマテルカミの妃に上がり、アマツヒコネさんを産んでいます。タマヨリヒメはそのような名家のお生まれなのでした。

4柱の皇位継承者

では、タマヨリヒメにまつわる4柱の鳳凰は誰なのかを考えてみましょう。2柱は簡単に分かります。まず夫君ウガヤフキアハセズ様ですよね。それから、お子様のタケヒト様(神武天皇)でしょう。

では、あと2柱は誰なのか?上の系図から見れば、夫君のウガヤフキアハセズ様の父ホホテミ様、そして一番大きい鳳凰はその御父上のニニキネ様だと思います。

ニニキネ様

では、なぜこんなに沢山の皇位継承者が出てこられるのか?これは美鈴の推測ですが、恐らく由緒が正しく伝わっていない等の理由で御祭神がお困りなのだと思います。

実は、御祭神は神社に書かれている祭神名および由緒はきちんと把握されています。つまり、御祭神名を見て「ここは確かに自分を祀る神社である」と分かるけれど「由緒を見る限り、明らかに自分のことは書かれていない」となると、不在ということになってしまいます。

御祭神はご自身のことを参拝者に正しく把握して欲しいと思っておいでなのです。ちなみに当ブログで紹介した御祭神から、ことごとくお礼を伝えて頂いているので、ホツマツタヱに書かれていることは、やはり合っているのだと思います。(先日もイサナギ・イサナミ様がお礼を伝えに来てくださった。)

タマヨリヒメの夫君フガヤフキアハセズ様

第十二代アマカミウガヤフキアハセズ様とはどんな方なのでしょうか?ホツマツタヱミコトノリが残されていますので見てみましょう。長文のため中略しています。

タケヒト(神武天皇)とタネコしっかり聞くがよい。この頃は食物が豊富で十分であるのに、人心はダレ、小利口に過ぎるようだ。(中略)心を暗くするのは、何ともいいようもないほど素晴らしいアマテルカミがカミアガリされたことだ。そうなると不安なのはこのアメナルミチ(恵み和す精神)を身をもって守っていく神がいなくなりはしないかということだ。(中略)汝タケヒトはいまや十五歳だから、もう立派に成人である。タネコの援助を得て治めてゆくがいい。ここに治国の基本となるべき精神と具体的方法を述べた沢山のフミがある。本来はタケヒトに渡すべきだが、一時タネコに渡すことにする。このフミを熟読して、タケヒトを助けて貰いたい。(ホツマツタヱ27アヤ)

ここで出てくるタネコとは、アマノコヤネさんの孫で、タケヒト様が5歳の時から御守役・後見役を務めています。このミコトノリが出された後にウガヤフキアハセズ様は吾平山上陵(鹿児島県鹿屋市吾平町)でカミアガリされます。アメノミチをしっかり体得されていた方だと伺えます。

吾平山上陵

結構、衝撃的な事実

ウガヤフキアハセズ様は一般人にはあまり馴染みのないアマカミ(上古代の天皇)ではありますが、実は京都市左京区下鴨泉川町に鎮座する下賀茂神社(賀茂御祖神社)に本来祀られるべき方はウガヤフキアハセズ様なのだそうです。

ホツマツタヱには、ちゃんと根拠があります。賀茂御祖神社の「御祖」とはウガヤフキアハセズ様を指す言葉だからです。

下賀茂神社

ここはアマテルカミのミコトノリをホツマツタヱの原文から見てみましょう。

ワレムカシ(われ昔) アメノミチウル(天の道得る)
カグノフミ(カグの文)ミオヤヲカミヲ(御祖ヲ神を)
サヅクナモ(授く名も)ミオヤアマキミ(御祖天君)
コノココロ(子の心) ヨロノマツリヲ(ヨロノマツリを)
キクトキハ(聞く時は)カミモクダリテ(神も下りて)
ウヤマエバ(敬えば) カミノミヲヤゾ(神の御祖ぞ)(略:ホツマツタヱ27アヤ)

このミコトノリウガヤフキアハセズ様の即位の際に、アマテルカミが出されたものです。アマテルカミはウガヤフキアハセズ様に御祖天君の名を授けたことが分かります。

そのため、古来より下賀茂神社ウガヤフキアハセズ様主祭神としてお祀りしていたらしいのです。そうすると、配神として妃のタマヨリヒメウガヤフキアハセズ様の舅であるタケツミさんが祀られていることにも綺麗に納得できます。

タマヨリヒメにご挨拶

大分話がそれましたが、参拝記にもどります。鳥居をくぐって、本殿で丁寧にタマヨリヒメにご挨拶をします。タマヨリヒメの柔らかい波動を感じることができ、とても歓迎して頂きました。丁度、神社の本殿に集まった子どもたちに向けに祭事が行われていました。

とても波動の良い神社でパワーを頂きました。タマヨリヒメの柔らかい、女性らしい、癒しのパワーを頂きたい方は是非ご参拝ください。

タマヨリヒメにまつわる方々のエピソードも追々ご紹介したいと思います!最後までお読みいただきありがとうございました!

参考図書:ホツマ辞典/池田満氏著

上古代の占い?フトマニについて

こんにちは!今日はヲシテ(古代文字)で書かれた古代文献フトマニについてご紹介したいと思います。

フトマニとは占いの方法を意味しますが、もっと具体的に言うと、占いの卦をベースにして詠まれた128首のウタ(和歌)のことです。

上古代において、ウラナイモトアケという図を用いてを出し、物事の判断を行っていました。この図の中に書かれている文字がヲシテ(古代文字)になります。

モトアケの図

ヲシテ文字を始めてみる方もおられると思うので、分かりやすいようにカタカナにした図をご覧ください。

実際にどのように卦を出していたのかは不明ですが、例えば上図の左下にあるように、「ア」・「ヤ」・「マ」という卦が出たとします。そして、ウラナおうとする状況に照らし合わせて、アヤマコトタマがどのような意味を示すのかを考えます。

その場合、アヤマの3文字から多くの物事を判断するのは困難なため、3文字の卦をベースにしたウタ(和歌)が128首作られました。

フトマニの素晴らしさ

このフトマニウタ(和歌)は、第八代アマカミのアマテルカミ(天照大神)の発意によって詠まれ、アマテルカミが晩年の時に編纂されました。

この128首のウタアマテルカミの人生の集大成とも言うべき内容が詠まれており、アマテルカミの御心を窺い知ることができるとても貴重なウタ(和歌)なのです。

このブログで全てを紹介するのは難しいので、詳細は池田満氏の著書をご確認ください。ちなみに、ヲシテ文字(48文字)を覚えてしまえば、ホツマツタヱやフトマニを原文で読めるようになります。

モトアケとは?

話を少し戻して、そもそもモトアケとは何なのでしょうか?

モトアケとは宇宙の始まり、または世界の始まりを意味します。このモトアケの図には、ヨソコ(49神)が書かれています。中心に位置するアウワは、天地・宇宙で言えば絶対神アメミヲヤ、人間界で言えば初の人類ミナカヌシ、クニトコタチ、キタノホシ(北極星)を指します。

アウワの一段下が、「トホカミヱヒタメ」と書かれています。このト・ホ・カ・ミ・ヱ・ヒ・タ・メとは、初代クニトコタチが各地方に遣わした8人の御子のことです。

その他にも方角季節の守り神を表し、南・夏北・冬左・春右・秋を意味します。(その他の意味は下図をご参照ください)

更に一段低くなると、アイフヘモヲシスの文字があります。以前にご紹介したアワウタの頭文字と取ると、アイフヘモヲシスになります。

アイフヘモヲシスはどのようなカミなのか見てみましょう。

アイフヘモヲシスの下は更に一段低くなり、ミソフカミ(32神)が配されています。このミソフカミとはアカハナマ(48音)からトホカミヱヒタメアイフヘモヲシスを除いた32音から成り、人のミメカタチ(顔や姿形)を成すと考えられていました。

このモトアケ(49神)アメミヲヤ(絶対神)または大宇宙を形どったものであり、ヒト(人)大宇宙の縮図で小宇宙と考えられていたので、モトアケヒト(人)を形どったものであると言えます。

モトアケの図を考えたのは誰?

モトアケの図を作られた方は、伊勢神宮外宮に祭祀されているトヨケカミ(豊受大神)です。トヨケカミヒタカミ(東北)名家タカミムスビの第5代当主であり、ヒタカミのクニの改革に取り組みました。

その一環として、祭祀する神体系を整理して、人々が心をひとつに合わせるようにしました。これにより人心が安定し、食糧生産に復興をもたらしました。それ以外にもトヨケカミの功績は目を見張るものがあり、枚挙にいとまがありません。

トヨケカミの功績はまた別の機会に紹介したいと思います。

フトマニを読んでみて

では、実際にフトマニを読んでみると、すっと読めるものもあれば、何度読んでも意味が分からないウタも沢山あります。ただすごく不思議なのが、意味も分からないのに、読んでみて自然と涙が出てきたことです。(自分でも驚きました)

その時にフトマニは、ヲシテ文字を翻訳して読むものではなく、心で読むものだと思いました。

そもそもアマテルカミの性格を考慮すると、恐らく誰が読んでも意味が分かるように詠まれたと思うのです。そのため難解な言葉の羅列にはなっていないと思います。

とは言っても、何度読んでも意味が分からないウタもあり、その場合は「新訂 ミカサフミ・フトマニ」池田満氏著をお読みいただくと、分かりやすい注釈を付けてくださっているので、たいへん参考になると思います。

アマテルカミの壮大な愛が伝わるウタでもあり、琴線に触れるウタではありますので、今回ブログで取り上げてみました。

どのウタも本当に素晴らしいのですが、1首ご紹介して終えたいと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました!

参考文献:ホツマ辞典/新訂 ミカサフミ・フトマニ 池田満氏著

光の御子が誕生するまで ~イサナギ・イサナミ様のご苦労~

こんにちは!前回はイサナギ・イサナミ様を紹介しましたが、このお二方からアマテルカミ(天照大神)誕生します。

ヲヲンカミ(天照大神の別の呼び名)が素晴らしい方ということは、このブログでも再三紹介しているのですが、三千年に一度の逸材というか異次元の指導者:アマテルカミは一体どのようにお生まれになったのでしょうか?

ちなみにイサナギ・イサナミ様が普通に夫婦生活をして、なんとなく授かった方ではありません。(→ここ重要)

光の御子が誕生するまでには、実はアマテルカミの祖父:トヨケカミ、両親:イサナギ・イサナミ様の途方もない努力があったのでした。

今回はその感動とも言えるエピソードをご紹介します。

イサナギ・イサナミ様長女ワカヒメ様(ヒルコヒメ)を授かるのですが、なかなか跡継ぎとなる男子が誕生しませんでした。

そこで、イサコヒメ(イサナミ様の実名)の父である、トヨケカミ(豊受大神)は世継ぎ子を乞い得るための社(ヨツギヤシロ)を建てて自ら祈ります。

富士山に登り、嗣子の誕生を祈る

更に、イサナギ・イサナミ様富士山(太古の昔、ハラミ山と呼ばれた)に登って祈ります。

イサナギ様は振り返り、イサコヒメにこう伝えます。

二人して国々を巡り民を治めた。ヒルコヒメという素晴らしいヒメも儲けた。今度はぜひ日の神を生みたいものだ

イサナミ様の御心にもちろんイサコヒメも同意し、お二方は千日(2年9カ月)にも及ぶ努力を重ねます。

イサナギ様池水左の目を洗い、日の神に祈り、イサナミ様も池水で右の目を洗い、に祈りました。

世継ぎ後の誕生を祈るお二人

そして、イシコリトメという方がマスカガミを作って、お二方にすすめると、イサナギ様は「天下を治める聖なる嗣子を生もう」と決意され、

マスカガミを左右に置いて、左を日右を月になぞらえて、神様の降臨を一心に祈りました。

千日にも及ぶ努力の後

こうして、千日にも及ぶ努力を重ねた後、お二方の肌が桜色に染まってきました。

そして、イサナギ様は神様の御魂がご自身のチリケ(脊椎骨の第三椎あたり)のに入られたことに感動を覚えました。

イサナミ様は「月のものも終わり、3日経ちました。身は大変綺麗でございます。お日が入るのをお待ちしております」と仰います。

(はるか昔から、女性の月経から3日が受胎しやすいということを知っていたとは驚きですよね!)

そして、イサナギ様はにっこりされて、お二方は心を込めて日輪を拝みました。

すると、目の前にお日様の精が降下されたので、お二人は思わずお日様の精を抱きかかえ、

しばらく夢心地から覚めると心身爽快、かつてない素晴らしい気持ちになりました。(→描写がとにかく美しい)

イサナギ・イサナミ様

光の御子誕生

お二人の努力の甲斐あって、ついに男子を懐妊しました。

そして、アマテルカミは二十一スズ百二十枝のキシヱの歳、初日ほのぼの出る日にお生まれになりました。

このスズというのは「マサカキ」のことです。(の一種)「マサカキ」は6万年(6万年の尺度は不明)で枯れるとされ、太古の昔には、長い年月を数える暦に用いられていました。

榊の木

現代でも榊の木は至る所で見られますが、ヲシテ時代に見られた真正のマサカキは枯れてしまい、

全国を探しても見つからなかったので、替わりに梓の木に彫りつけて年数を数えたので、マサカキコヨミからアススコヨミに変わります。ヤマトタケさんの時代にはアススコヨミになっています。

マサカキの一枝を60年、百枝を6千年と数えたので、ニ十一スズとは初代クニトコタチマサカキを植えてから二十一本目(126万年)百二十枝(7,2000年)の歳という意味になります。

アマテルカミの産湯を取った方

アマテルカミの産湯を取った方はシラヤマヒメという方です。シラヤマヒメが産湯の奉仕をすると、アマテルカミの体は朝日のようにキラキラ✨と輝き、神々しくてうっとりとするようでした。

そして、アマテルカミの産湯の奉仕の際に、アカヒコという方が桑で作った弓を鳴らして、ハタレ(悪魔)を追い出しました。

これが「鳴弦の儀」の由来になっています。

シラヤマヒメが産湯を取ると、アマテルカミは「あな嬉し」と仰ったそうです。

生まれたばかりの赤ん坊は一般的にワーとか、アーと泣いたり、アウアウという声を出しますよね。それをシラヤマヒメは普通の言葉として聞き取ることが出来たそうです。

アマテルカミ自らイミナを名乗る

そして、アマテルカミイミナ(本名)を付けようと思ったところ、もしかしたら、自らお名前を考えではない

と御付きの方々は考えました。そこで、シラヤマヒメに聞き取って頂けないかと頼みました。

シラヤマヒメがお名前をお尋ねになると、アマテルカミは「ウヒルギ」と答えたそうです。

アマテルカミの産湯を取ったシラヤマヒメ

ここはホツマツタヱの本文を見てみましょう。

ミコノコエ キキキルトキハ オキナナノ ウハオホイナリ ヒハヒノワ ルハヒノチタマ
ギハキネゾ カレウヒルギノ ミコトナリ キネハメオトノ ヲノキミゾ

御子の声 聴ききる時は 幼名の ウは大いなり、ヒは日の輪 ルは日の霊魂

ギはキネぞ かれウヒルギの ミコトなり キネは夫婦の 男の君ぞ(ホツマツタヱ四アヤ)

大日靈貴命とはアマテルカミのこと

以前に有鹿神社(神奈川県海老名市鎮座)御祭神大日靈貴命(オオヒルメムチノミコト)となっていたとお伝えしました。

大日靈貴ウヒルギ)とは天照大神を指します。有鹿神社ではちゃんと「貴」=男性となっていたので、

アマテルカミ(天照大神)にお会いすることが出来ました。

さて、アマテルカミの祖父:トヨケカミアマテルカミ「ヒノワカミヤのワカヒト」イミナ(実名)を奉りました。

ワカヒトとは「光が溢れ出るような方」という意味になります。アマテルカミに相応しいお名前ですよね。

シラヤマヒメのこと

シラヤマヒメのことをもう少し詳しく見てみましょう。ココリヒメ・キクキリヒメとも呼ばれます。

ネノクニ(北陸)出身で、イサナギ様のお姉さんです。アマテルカミ出産時の助産も行っています。

トヨケカミの後を継いで第六代タカミムスビとなられたヤソキネさんに嫁ぎ、ネノクニ(北陸道諸国)を治めたので

シラヤマカミと呼ばれます。居住地は白山比咩神社(石川県白山市)とされています。

白山比咩神社

このお二方の間に第七代タカミムスビタカギさんが生まれています。

さて、以上がアマテルカミ(天照大神)誕生までのエピソードになります。

三千年に一度の逸材は祖父、両親、周囲の方々の熱心な祈りと並々ならぬ努力によって誕生されたことが分かりました。

最後までお読みいただきありがとうございました!

参考図書:秘められた日本古代史 ホツマツタヘ 松本善之助氏著 /ホツマ辞典 池田満氏著

イサナギ・イサナミ様について

こんにちは!今日はイサナギ・イサナミ様について書いてみたいと思います。

第七代アマカミ(古代の天皇)イサナギ・イサナミ様は言わずと知れた第八代アマカミアマテルカミ(天照大神)ご両親ですが、

イサナギ・イサナミ様

どんな功績を立てたのかあまり知られいない、というか恐らく全く知られていないと思いますので、ご紹介したいと思います。

第七代アマカミとして即位

第六代アマカミのオモタル・カシコネ様は世継ぎ子に恵まれず、気候の変動で食糧事情も困難な状況にありました。

そこで、ネノクニ(北陸道)・チタル(山陰道東部)で優れた政治を行っていたアワナギという方の息子のタカヒト様(後のイサナギ様)

ヒタカミ(東北)を治めていたトヨケカミ(豊受大神:伊勢神宮外宮の祭神)の娘イサコヒメ(後のイサナミ様)が夫婦となり、第七代アマカミに即位されました。

トヨケカミアマカミの素質を十分持っておられたと思いますが、後継者に優れた人材を選び、アマカミの教育を施して、

即位させたところがつくづく凄いと思います。)

イサナギ・イサナミ様の功績

アマカミとして即位されたイサナギ・イサナミ様が立てた功績を一覧に纏めてみました。

第六代アマカミのオモタル・カシコネ様は、ト(トノヲシテ)ホコ(昔の剣)カンタカラ(神器)イサナギ・イサナミ様に譲り、

「アシハラ(現:畿内)の千五百の村落の治世が要である」と伝えました。

イサナギ・イサナミ様は芦の生える低湿地に人々の生活の場を確保して、豊かに自活できるミチを立て、トノヲシテ(恵民立国)の精神に戻づいて国を豊かにしました。

これをオノコロ(自ずから凝るという意味)といいます。

イサナギ・イサナミ様は人手で行っていた水田耕作ムマ(馬)・ウシを用いて効率化を図り、元々千五百あった村落を三千に増やしました。

イサナギ・イサナミ様の功績 ~国語の再編~

イサナギ・イサナミ様筑波山(茨木県)山腹イサミヤにて新婚生活を送り、オキツホ琵琶湖西南岸の日吉大社が有力説)で即位されました。

オキツホ国境の確定が行われ、当時タミの間で起きていた言葉の混乱を解決するため、五七調のアワウタを制定されました。

アカハナマ~ヘネメオコホノまでの二十四音イサナギ様が歌われて、モトロソヨ~シヰタラサヤワまでの二十四音イサナミ様が歌われました。

なぜ五・七調のウタにしたのか?恐らく人々が覚えやすいようにしたのでしょう。よく歴史の年号など受験生が覚えやすいように、語呂合わせで歌にしている教材を見かけますが、

趣旨としては同じようなものだと思います。

皆さんも是非口にしてみてください。数回口にしただけで簡単に覚えられるのではないでしょうか?

このアワウタを今度は母音で区切ってみました。

アワウタは五・七で区切られていますが、母音で区切ると上の図のようになります。

左側を縦から読むと、「アイウエオ」「カキクケコ」・・・の順になっていることが分かります。

大人はこのアワウタを弾きながら子供たちに教えました。

イサナミ様がおられた時代は今から3,000年くらい前と言われていますが、そんな時代から国語が制定されていたことは本当に驚きですよね。

ただ、言葉が通じなければ、トミ(中間指導者)がタミに農業や稲作指導を行う際にも困難が生じるため、国語の制定国家安寧のためにも必須事項でした。

イサナギ・イサナミ様は全国で人々の指導に当たられていたため、次男のツキヨミさん宮崎県の阿波義原町産母ソサノヲさんクマノ(熊野本宮大社付近)

でお生まれになりました。

イサナミ様の微笑ましいエピソード

イサナギ様との結婚前に、ハヤタマノヲ(新宮市:速玉大社祭神)という方が、イサコヒメに子供のつくり方を教えたのですが、

イサコヒメが恥ずかしがり、一度に理解できなかったので、今度はコトサカノヲという方が一生懸命教えたところ、

やっと理解することができたという微笑ましい内容がホツマツタヱに残っています。

イサナミ様の亡くなられたところ

詳細は分からないのですが、イサコヒメソサノヲさんのいたずらに巻き込まれて亡くなられたそうです。

ソサノヲさんが暴れて世の人に迷惑をかけたことに対し、懐妊時ケガレがあったせいではないかと考えたイサナミ様

民のすべてのケガレを背負って、熊野の地にクマノミヤ(熊野本宮大社)建てたとホツマツタヱにあります。

熊野速玉大社

そのイサナミ様ですが花の窟神社(三重県熊野市有馬)に葬られたそうです。

花の窟神社

イサナギ様、妻の墓を開けてしまう

最愛のイサナミ様を失ったイサナギ様は妻に一目会いたいと周囲が止めるのも聞かずに墓を開けてしまいます。

そこには変わり果てたイサナミ様の姿がありました。(亡骸は腐敗が進んでいたのです)

そして、夢に現れたイサナミ様に問責され、オトナシカワ(熊野本宮大社旧地の西を流れる川)

→九州北部のナカカワアワキ(宮崎県阿波義原町江田神社付近)を行います。

このことは祓詞にしっかりと書いてありますよね。祓詞を見てみましょう。

掛けまくも畏き伊邪那岐大神 筑紫の日向の橘小戸の阿波岐原に 御禊祓へ給いし時に生り坐せる
祓戸の大神達 諸諸の禍事罪穢有らむをば 祓へ給ひ清め給へと白す事を聞こし食せと 恐み恐みも白す

ホツマツタヱは偽書とされていますが、要所要所で辻褄が合ってますよね。さて、このくだりを読んで、美鈴は思った。

イサナギ様の亡くなられた場所

イサナギ様淡路島でお亡くなりになります。淡路伊佐奈岐神社(現:伊弉諾神宮)葬社だったと伝えられています。また功績の大きさから、

琶湖東岸の多賀大社にも祭られております。

多賀大社

その他にも、イサナギ・イサナミ様のエピソードは沢山出てくるのですが、それはまた追々ご紹介したいと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました!

参考文献:ホツマ辞典:池田満氏 /秘められた日本古代史 ホツマツタヘ 松本善之助氏

アマテルカミ服装について述べる

こんにちは!今日はアマテルカミ(天照大神)人々の服装について述べておられる一節をご紹介します。いつものように池田満氏の「ホツマツタヱを読み解く」から引用します。

「ホツマツタヱ」「フトマニ」等のヲシテ文字で書かれた文献五七調のウタになっており、「ト」「ホ」等の一文字でも多数の意味を持ちます。

そのため、ヲシテ文字を目で追っただけでは、なかなか理解し得ないところが多数あります。

筆者のオオタタネコさんが書いた時代がだいたい2,000年程前になりますので、現代では使用されていない古語がふんだんに盛り込まれており、

どういう意味だろうと頭を悩ませる箇所もあります。

それを池田満氏が現代人にも分かりやすいように、絶妙な注釈をつけてくださっているので、そちらをご紹介します。

現代人にもすっと入ってくる内容ですので、たいへん興味深いのではないでしょうか?

人々の服装について考えてみると、誰しもお洒落をして着飾ることは楽しいものである。
しかし、服装もあまりに贅沢に及んでしまうと懐具合に悪影響をもたらす。

(中略)キヌを多用して衣服を作ったり、(当時は草木の繊維で織るユフが主流だった)
染色を極めた過度のお洒落は、自然と農作業の方には力が注がれなくなる。

これでは良質の稲は得られない。(衣服は)最低限のイノチを繋いでゆくだけのものしかない。
ゆくゆくは糧の不足をきたすであろう。

また、過度にすぎた贅沢は天候の不順をも招く恐れがある。そして租税の滞納をきたせば社会は混乱が生じる。
名は体を表わす、という言葉もあるように、衣装にはヒトの心のありようも方向づけてゆく働きがある。

過度の装いは、驕りの心を招き、目先の利にばかり走るようになる。小利口が過ぎてくると、
これはハタレ(理由なきまでに金品を強いて要求すること)の成り初めである。

人々が華美におもむけば、やがてはハタレの横行を呼んで、人々は苦しむことになる。

過度のお洒落にご用心

驕り高ぶりはハタレの原因

この内容を見ると、ハタレの原因は私たちの心の中にある「驕り」「驕慢」が原因であるとアマテルカミは仰っています。

この驕りや驕慢は本当に厄介で、知らず知らずのうちにむしばまれていたりします。

アマテルカミはこの心の内側に潜む傲慢さに、常に目を光らせていたことが分かります。

美鈴も知らず知らずのうちに驕慢になっておりました。

今日はアマテルカミの服装について語られた内容を取り上げてみました。

最後までお読みいただきありがとうございました!

天の岩戸の真相~ウスメさんの場合~

こんにちは!今日はあの有名な天岩戸の真相をウスメさんに焦点を当てて取り上げたいと思います。

天の岩戸の話

アマテルカミ(天照大神)弟ソサノオさんソサ(紀伊の古名)で生まれたのでソサノヲと呼ばれた】は父君のイサナギ様からネノクニ(現:北陸)を治めるように言われます。

しかし、アメナルミチ(恵み和すの精神)を真に理解していないソサノヲさんにクニカミの位を授けることを躊躇します。

それでも、ソサノヲさんネノクニとサホコ(出雲)に行くことになるのですが、ネノクニでも居場所を確保できず、嫁取りの話も破談になってしまいます。

兄のアマテルカミに恨みを抱いたソサノヲさんは田畑を荒らし、神衣を織る斎服殿を汚すという暴挙に出ました。

すっかり心が荒んでしまったソサノヲさん

斎服殿におられたハナコヒメ(アマテルカミの妃、ムカツヒメ(ホノコヒメ)の妹)の体に(織機を縦糸に横糸を通す道具)が刺さり、亡くなられてしまいます。

アマテルカミがソサノヲさんに詠んだウタ

このことを耳にしたアマテルカミソサノヲさんを呼び出し、以下のウタを読んでソサノヲさんを諭そうとします。

アマガシタ ヤハシテメグル ツキヒコソ ハレテアカルキ タミノタラナリ
天下を治めることは、両親が子にするように、民をいつくしみ和してこそ全うされるのであり、日月のように明るくあって、何の屈託もあってはならない

このウタはとても重要なウタで、クニを治めるものはアメノミチ(恵み和す精神)を忘れてはならないという重要な意味合いがあります。

現状、ヲシテ文字(古代文字)で書かれた文献は、「ホツマツタヱ」、「ミカサフミ」、「フトマニ」の三書ですが、この文献が残されたのは、

歴史書を残すだけでなく、このアメノミチを後孫に伝える目的で書かれたと言っても過言ではないのかなと思います。

そのため、誰よりもアメノミチを全うしておられたアマテルカミの内容がふんだんに盛り込まれています。

話を元に戻して、ソサノヲさんは素直に聞くどころか、なおも怒り続けたため、アマテルカミは岩戸にお隠れになりました。

岩室:天然の岩屋を入口で塞いだもの(恐らく)

太陽のようなアマテルカミ岩戸にお入りになられたので、オモイカネさん(アマテルカミの姉ワカヒメの夫)ツワモノヌシ(アマノコヤネさんの祖父)等重臣達が集まり、

ツワモノヌシさんが祈りを捧げます。(ツワモノヌシさんトヨケカミの子で、とても霊力の強い方だったそうです。)

ツワモノヌシさんの名前が出たので、参考までにアマノコヤネさんの系図を載せておきます。アマノコヤネさん上古代の重臣で、後の藤原氏の先祖にあたる方です。

ウスメさん(アメノウズメ)登場

ツワモノヌシさんが一生懸命祈った後、今度はウスメさんが(一般的にアメノウズメとして知られる)シダ科のヒカゲカズラをたすきにして、茅草を巻いた鉾を持ち、

ヲケラ草を庭に焚き笹を斎花として、神倉の神戸の前に篝火を燃やしたとあります。

ウスメさんは裸で踊ったというのが通説ですが、ホツマツタヱでは、ウスメさんヒカゲカズラをたすきにしたとあります。ウスメさんサルタヒコさんでもありますし、

モ(スカートみたいな衣服:高貴な身分の人が着用した)を履いていたので、恐らく身分の高い方です。

ニニキネ様にも仕えていたので、能力の高い方ではないかと思うのです。

美鈴がイメージするウスメさん

上古代は女性が蔑視されていなかったので、高貴な方が裸で踊ったとは考えられないと思います。

オモイカネさんをはじめ、重臣たちは「ナガサキ」の歌を歌って踊ります。そして、アマテルカミを香しい夫に見立てて、

「お姿が見えなくても、余香が素晴らしいので酔いしれてしまう」というウタを詠みます。

外の賑やかな様子に不審に思ったアマテルカミが戸を開けたすきに、オモイカネさんの息子のタチカラヲさんがアマテルカミの手を引いて、

ツワモノヌシさんが「二度と岩戸に入られませんように」と告げた、これが天の岩戸の真相です。

ウスメさんとサルタヒコさんの出会い

ウスメさんが胸を開ける描写は確かにホツマツタヱにあります。それは天の岩戸のくだりではなく、

ニニキネ様がサルタヒコさんに会うシーンです。

サルタヒコさんは初代クニトコタチの本流であるエノミコトのお血筋で由緒正しい方です。

安曇川まで開拓を進めたニニキネ様は琵琶湖岸を南下しますが、ニニキネ様は皇太弟という立場だったので、琵琶湖周辺に縁の由緒正しいサルタヒコさん

受け入れてもらえるか懸念していました。

お供していたタチカラヲさんも物怖じしている様子なので、女性のウスメさんを呼んで、先触れを頼みます。

サルタヒコさんは川辺に寝そべっていたのですが、ウスメさんサルタヒコさんの警戒を解くために、

衣服の胸元を開けて、モ(スカートみたいな衣服)を腰まで下げて、サルタヒコさんに近づきます。

ウスメさんとサルタヒコさんは後に夫婦となる

ウスメさんサルタヒコさんにアマテルカミのお許しの元、ニニキネ様が全国を巡行されていることを告げます。

サルタヒコさんは、「ニニキネ様のご意思に同賛して、おもてなししようと思っており、ニニキネ様の事業に喜んで協力します。」と伝えたのでした。

今日は天岩戸の真相~ウスメさんの場合について~紹介してみました。

裸で踊ったのでは、ウスメさんの威信に関わりますし、ウスメさんは賢くて、機転の利く優秀な女性だったの思うのです。

なので、あえて取り上げてみました。最後までお読みいただきありがとうございました!

参考図書:池田満氏著 ホツマ辞典

     松本善之助氏著 秘められた日本古代史 ホツマツタヘ

上古代の税の意味

こんにちは!今日は上古代のについて考えてみたいと思います。

実は初代クニトコタチの時代から、税の原型となるものが存在していたことが、ホツマツタヱを読むと分かります。

では、どのような経緯で「税」に変わっていったのか見ていきたいと思います。

初代アマカミ(昔の天皇のこと)のクニトコタチ様アメ(絶対神)にお供えしたのは「木の実」でした。

二代目アマカミクニサツチ様の子供にウケモチという方がおられました。このウケモチという方が稲栽培の先駆者であり、

三代アマカミのトヨクンヌ様に稲作の方法と種を伝え、自国の京都南部で稲作栽培をいち早く行っていました。

そのウケモチさんが植えた稲が、八月一日に収穫祭を挙行すべきほどに実ったので、当時のアマカミであった三代トヨクンヌ様

カシキ(赤白黄)ユフニキテ(木の繊維で作った幣)アメナカフシを祭り、精米して粥と重湯をお供えしたと書かれています。(ホツマツタヱ 15-22)

ここで、クニトコタチ様がお供えした「木の実」「稲穂」としてアメナカフシに捧げられました。

ちなみに、ウケモチというお名前には、多くの食料を得るという意味があります。ウケノミタマともいいます。

京都伏見稲荷社の祖神は?

余談ですが、このウケモチさん八代目の子孫カダノミコトという方で、八代アマカミアマテルカミの治世で、農業大臣の役職についていました。

実は京都府伏見に鎮座する伏見稲荷大社は、このウケモチさん祖神として祀るカタノカミ一族なのです。

カタノカミという方はカダノミコトの父親なのですが、誤認によって殺害されてしまいます。

父の喪が明ける際に、カタノカミは国家のため、国民のために、農業技術の指導を決意しました。

祖先のウケモチさんから代々伝えられてきた農業技術を惜しみなく公開し、アマテルカミより「ヨヨノタミ マモリツカサ」の称号が贈られます。

(ヲヲンカミは常に最高の言葉で人を褒める方なのです)

伏見稲荷大社

話を元に戻して、アメナカフシに捧げられた稲穂は、やがて民から納められる税(ミヅホ)に変わっていきました。

ミクサノカンタカラ(三種の神器)一つであるトノヲシテ(恵民立国の基本理念)は「天地自然の恵みをアマカミが代表して受け、人々に恵み分かつ」ことが基本構造でした。

そして、人々が感謝の心を形に表してアマカミに献げたものが古代における税の原型でした。

そして、民から献けられた物を活用して新規事業を興し、人々の生活を更に豊かにすることで人々とアマカミの間で信頼関係が成立していました。

池田満氏が仰られていますが、税の根底には「感謝」が根底に備わっていたと考えられます。

しかし、六代アマカミオモタル・カシコネ様の治世に、気候の変化によって、農作物の減収が起こりました。そのため、人々の間で朝廷に対する疑念が増え、税が減少するという事態になりました。

税の減収により、政は貧弱となり、治安維持の出費が増える悪循環に陥ったのです。

そのため、目先の利益に走って他者から搾取する悪人を処罰するため、トノヲシテの他にサカホコ(古代の剣みたいなもの)が追加されました。

あくまでイメージです

ヲヲヤケを立てて、社会の平安を維持するためには、税の徴収も強制的な側面も追加しなければならなくなったのですが、

人々が税を厭う気持ちになったのは、実は裏道を公然と行く悪だくみが原因であると池田氏は仰っています。

国家成立当時の税の意味合いはそもそも、アマカミが天の恵みとして頂いた、穀物、作物をお供えしていたものが原型であり、

感謝の意味合いがあったことがホツマツタヱを読むと分かります。

美鈴の所感

時代の変遷により、ある程度は強制的に税を徴収する必要はあったものの、そもそも租税には感謝の意味合いが込められていたことは大変興味深い内容であると思います。

やはり子供のうちから「なぜ税を納めるのか」、「納めた税はどのように使われるのは」子供のうちからしっかり教育することがとても大切であるかなと思いました。

それから稲荷社ですが、毎回稲荷社にお参りするとこのウケモチさんが温かく迎えてくれます。(とても優しい方なのです)

ウケモチさんの功績を考えると全国に3万社も稲荷社があるのは頷けます。

ただ、全国の灌漑事業に功績を収めたニニキネ様をお祀りする社も同じくらいあってもおかしくはないのかなと思います。

今日は上古代の税の意味についてお話ししました。最後までお読みいただきありがとうございました!