ミヒメコ様への御礼参り 神奈川 江島神社

こんにちは!今日は当ブログの開設のきっかけにもなった神奈川県藤沢市に鎮座する江島神社への御礼参りについて書こうと思います。

ウガヤフキアハセズ様への参拝を終えたある日のこと、眷属の方が「美鈴に会いたがっておられる」とおっしゃいました。

江島神社の鳥居

「はい、でも一体どなたが?」と尋ねたところ「江島神社に御礼参りに行くがよい」とのことで、

久しぶりにエノシマカミをはじめ、三姉妹の方々の参拝に伺うことにしました。

ミヒメコ様とは?

ミヒメコ様とは江島神社辺津宮祭神タキコヒメ中津宮タケコヒメ奥津宮タナコヒメを指します。(一般的な呼称との混乱を避けるため、ホツマツタヱの呼び名のみ記載)

アマテルカミ(天照大神)はお妃の一人、ハヤコヒメをお召しになられた夜、不思議な夢を見ました。トツカ(十握)の剣が折れて三つになり、それぞれを噛むと、ミタ(三尺)になったのです。

そうしてお生まれになったのが、三つ子のヒメミコだったので、お名前に「タ」を付けて、タケコ(長女)、タキコ(次女)、タナコ(三女)と名付けられました。

辺津宮祭神 タキコヒメ

辺津宮におられるのがエノシマカミこと、タキコヒメであられます。この方はコノハナサクヤヒメ母君であり、ホホテミ様祖母ウガヤフキアハセズ様にとっては、曾祖母にあたられる方ですね。

(眷属の方にもお伺いし、イラストは変えました)

コノハナサクヤヒメの母君:タキコヒメ

この方の血が、天つ日嗣の子孫の方々に受け継がれています。

エノシマカミはとても面倒見の良い方で、美鈴が伊勢神宮参拝前に体調不良になった際にも、

「祓うので、江島神社に来るがよい」とテレパシーを送って下さったのでした。

そして「近々、伊勢神宮に伺う予定です」と報告した美鈴に対して、

「父君にお会いするのか、ではよろしくお伝えしてくれ」とおっしゃいました。

エノシマカミを祀る辺津宮

エノシマカミ江ノ島に葬られただけあって、かなりお声がはっきり聞こえます。

久しぶりに参拝した美鈴をご覧になり「成長したな、美鈴」と涙ぐんでおられました。

オオヤマスミ家の方々は涙もろいですね)

美鈴もエノシマカミの細やかな気遣いに感謝して、思わず涙ぐむのでした。

中津宮 タケコヒメ

中津宮におられる方がタケコヒメオホナムチさんと結ばれて、クシヒコさんという類まれなる人物をお産みになった方です。

この方の深い愛と慈しみに感動し、また正しい史実を世に伝えてほしいというタケコヒメの願いもあり、当ブログを開設しました。

クシヒコさんの母君:タケコヒメ 竹生島に葬られた

とはいうものの、ホツマツタヱは全く知らなかったし、正しい史実がどこに書かれているのか見当もつきませんでした。

そんな折「正しい歴史を知りたければ、寒川神社に来るように」寒川神社の眷属の方から強烈に呼ばれ、そしてクシヒコさんとの出会いもあり、ようやくホツマツタヱに辿り着くことができました。

その後もお会いした御祭神からホツマツタヱは違うと言われていないので、ホツマツタヱは正しいのだと思います。

中津宮

さて、前置きはこのくらいにして、

眷属の方のお話では、アマテルカミの性質をもっとも強く受け継いだ方が長女のタケコヒメなのだそうです。

だからクシヒコさんオオクニヌシノミコトと呼ばれる)という素晴らしい方がお生まれになったのかと納得したのでした。

タケコヒメは琴の名手だったので、弁財天になぞらえるのは、あながち間違いではないかも知れません。

中津宮で手を合わせて御礼をお伝えすると、タケコヒメはいつものように慈しみ深く微笑んでおられました。上空でカラスが三羽、円を描く様に飛び回り、歓迎を示してくださいました。

奥津宮 タナコヒメ

江島神社に通い始めた一昨年は、原因不明の体調不良で奥津宮まで辿り着く体力はありませんでした。

辺津宮手前の階段を上るのがやっとで、何回か参拝するうちに体力も回復して、中津宮、奥津宮にもお伺いするようになったのでした。

奥津宮

以前はタナコヒメの気配を感じられなかった奥津宮ですが、驚いたことにタナコヒメはおられるし、参拝者で溢れかえっています。

(どうやらタナコヒメは人気があるようです、厳島神社に葬られたからでしょうか)

奥津宮の拝殿で手を合わせて、タナコヒメにご挨拶をしましたなんでも今では三姉妹の方々がアマテルカミ御娘だと多くの方が認識して参拝に来られるのだそうです。

タナコヒメとこんな会話を交わしたのでした。

タナコヒメもお声ははっきり聞こえますね。三姉妹の結びつきが強いのでしょうね)

タナコヒメ
タナコヒメはイフキヌシさんの妻

ちなみにこの三姉妹の方々はムナカタ家の出身ではありません。ムナカタ家からはオリハタオサコさんトヨヒメアヤコさんのお二人がアマテルカミの妃になられています。

そして、トヨヒメアヤコさんアマテルカミ第八子であられるクマノクスヒさん(イミナ:ヌカタダ)をお産みになられていますね。

ここをきちんと説明しておかないと、アマテルカミ(天照大神)の血を引く子孫の方々が、れっきとしたアマテルカミの子孫であると、認識できなくなってしまいます。

また別の機会に述べますが、アマテルカミには五男三女の御子様がおられました。嫡嗣オシホミミ様ですが、傍系の方々もちゃんとおられるのです。

あいにくの曇り空でしたが晴れ間が見えました

ミヒメコ様に多大な感謝と御礼をお伝えして、久しぶりの江島神社を後にしたのでした。

箱根江ノ島は神奈川の二大観光地ですが、まさかその地にアマテルカミの嫡嗣のオシホミミ様タキコヒメが埋葬されているとも知らずに、しょっちゅう入り浸っていた訳なのでした。

きっと伊勢神宮アマテルカミに親切にして頂いたのも、アマテルカミの御子様方とのご縁があったからかもしれません。

その他にも、ブログに書くとお約束をしてお待たせしてしまっている祭神の方々がおられるので、いずれまたご紹介したいと思います。

最後までお読みいただきまして、ありがとうございました!

ソサノヲさんの事例にみるアメナルミチ

こんにちは!先日はホツマツタヱが書かれた理由について述べ、ヤマトタケさん(日本武尊)の願いはアメナルミチを伝えることとお伝えしました。

今回はこの壮大なテーマ、アメナルミチについて、今一度考えてみたいと思います。

アメナルミチ自体、抽象的で漠然としたイメージが強く、一見すると捉えにくい概念ですが、ホツマツタヱを読む上で感じた内容を纏めてみたいと思います。

美鈴はアメナルミチ国家指導者中間指導者だけに必要な概念ではなく、先生、師匠、親、兄、姉、先輩など目上の立場の人にも有益な教えであると思っています。

では早速、池田満氏の著書を参考にしながら、見ていきましょう。

ソサノヲさんの思い違い

時のアマカミ(=天皇)アマテルカミ(天照大神)は指導する側の人間は愛を持って教え導く立場であり、力や権力で服従させるのは誤りであるとお考えでした。

アマテルカミの弟、ソサノヲさんは御父上のイサナギ様よりネノクニ(北陸道)クニカミ(司)になるようにミコトノリを得ていました。

武力を行使するのが政治だと思っていたソサノヲさん

しかし、兄のアマテルカミは権力を振りかざすのが政治であると思い込んでいた弟を長い間クニカミに任じることが出来ませんでした。

そのためハタレの乱が勃発し、暴挙を起こしたソサノヲさんに対して、以下のウタを詠みます。

権力や武力は罪人を断罪するために必要なのであって、根底に国民を幸福に導くアメナルミチが備わってなくてはならないとアマテルカミはお諭しになるのでした。

(やはり本物だった!)

ハタレの乱の後、甥のイフキヌシさんが叔父のソサノヲさんの元に遣わされることになります。

イフキヌシさん(ツキヨミさんの息子)

イフキヌシさんを前にしてソサノヲさんは自らの思い違いを悟り、ウタを詠んで自らの非を詫びます。

叔父がアメナルミチを体得したことを悟ったイフキヌシさんは共にハタレの残党を成敗します。

そして、遂にアマテルカミよりヒカワカミの称号を得て、サホコクニ(出雲)を統治することになったのです。(そのため氷川神社の御祭神はソサノヲさんなのでしょう)

そして、国名をサホコからイツモ(出雲)に変え、民の幸せを実現する政治を行います。

アメナルミチを私たちに置き換えてみる

ソサノヲさんの教訓を聞くとピンと来ないかもしれませんが、私たちは国家指導者ではなくても、であったり、上司であったり、何らかの立場が与えられることがあります。

下の立場からすると、やはり上の立場にある人は、位置や権力があるので脅威に感じることもあるでしょう。

だからと言って、むやみの権力を振りかざせばハラスメントなど様々な問題につながってしまいます。

上の立場の人は親のような気持ちで下の立場の人にへりくだる心を持ち、愛を持って接し、下の立場の人は目上の人の立場を立てて、尊敬と感謝を表す。

これがアメナルミチの根本理想ではないかと思うのです。

今回はソサノヲさんの事例からアメナルミチを見ていきましたが、その他にもアメナルミチを考察できる箇所はホツマツタヱの随所に見られますので、また紹介していきたいと思います。

最後までお読みいただきまして、ありがとうございました!

参考図書:「ホツマツタヱを読み解く」池田満氏著

横浜にもアマテルカミが? 横浜市都筑区 杉山神社

こんにちは!先日、眷属の方よりアマテルカミは近頃横浜の神社にもお出ましになっているとのことで、早速参拝に行ってみることにしました。

神社の名前は「杉山神社」と分かったものの、横浜市には実に31社もの「杉山神社」があることが分かりました。そして、何故こんなにも杉山神社が存在するのだろうと疑問に思いました。

杉山神社

色々調べてみると杉山神社とは、延喜式神名帳では武蔵国都筑郡唯一の式内社とされており、横浜市茅ケ崎中央に鎮座する杉山神社が有力な論社とされています。

眷属の方が教えて下さった神社とは、まさにこの杉山神社だったのです。偶然の一致かどうか分かりませんが、とにかくこの杉山神社アマテルカミがおでましになるようなのです。

杉山神社由緒

ホームページで調べた由緒では、以下のように書かれています。

同社は安房神社神主の忌部勝麻呂により高御産日命、天日鷲命、由布津主命の3柱が祀られ、忌部氏の麻穀栽培地開墾の拡大とともに神社も広まった

都筑郡は開拓者である忌部氏の勢力が強く、多くの古墳や環濠集落が作られるなど武蔵国府の支配外にある一つの小国を形成しており、古東海道も横断する物資の集散地だった。(Wikipediaより)

神社庁のホームページでは主祭神は天照大神、杉山神社の由緒では五十猛命となっています。ただしこの神社は同一建物で杦山神社、神明社、天王社、稲荷社が合祀されています。

五十猛命とは?

さて、この五十猛命という方、ソサノヲさんの息子とのことですが、松本善之助氏の系譜には出てこない方なのです。

ソサノヲさんは奥様のクシイナタヒメとの間に8人の御子を儲けられたのですが、五十猛命オホヤヒコさんと同一という説があるので、恐らく長男のオホヤヒコさんではないかと思います。

オホナムチさんはてっきり長男だと思っていたのですが、実は三男だったんですね。

末の妹のスセリヒメオホナムチさんの妻という説がありますが、オホナムチさんアマテルカミの御娘であられるタケコヒメを娶っておられたし、アマテルカミが兄弟婚をお認めにならなかったと思います。

敬称略

早速、最寄り駅から神社がある都筑中央公園に向かいます。駅周辺の繁華街を抜けていくと、突如、里山に迷い込んだような大きな公園が現れました。

都筑中央公園

神奈川県の神社によくある不思議な共通点

神奈川県の神社には不思議とある共通点があります。すべての神社には該当しないのですが、神社の近くに古代の遺跡が存在し、そして、そうした神社に限って御祭神がリアルにお出ましになるのです。

この杉山神社も例外ではなく、同公園内に境田貝塚があります。

境田貝塚

公園の遊歩道を歩いていくと、公園全体が心地良い気で充満しています。この御神気は杉山神社から流れているのでしょう。

アマテルカミをお祀りする神社は広範囲に渡って良い気が流れていることが多いです。

丁寧に管理されている神社で、階段や手水舎も綺麗で、参拝者への配慮が感じられました。

アマテルカミがおでましに

早速、本殿手前で祝詞を奏上し、日々の感謝をお伝えすると、アマテルカミはちゃんとお出ましになられました。しかも体が大きく見えました。いつものように、下はモというスカート状のお召し物、上半身は濃紺のお召し物でした。

アマテルカミにお会いすると不思議なのですが、本当に謙虚な気持ちになります。この国を豊かにして下さった御礼をお伝えして、御前を失礼しました。

美鈴には見えなかったのですが、眷属の方によるとオホヤヒコさん、ソサノヲさんもちゃんとお出ましになるとのことでした。

神社にあった由緒をよく読んでみると、合祀されている神明社は無格社だったそうです。

現在は社格制度は廃止されていますが、過去に無格社であっても、アマテルカミはちゃんとお出ましになります。ひとえにお祀りする人の心を見ておられるからと思います。

アマテルカミは自分に自信が無くて、落ち込んでいる人にも寄り添ってくださいます。

どんなに至らなくても、決して咎めたり、叱ったりなさらないのです。いつもニコニコ微笑んで、参拝者の方々を見守っておられます。

アマテルカミがお出ましになる杉山神社に是非ご参拝ください。

最後までお読みいただきましてありがとうございました!

ホツマツタヱが書かれた理由と御祭神の願い

こんにちは!今日はホツマツタヱが書かれた理由について、改めて振り返ってみたいと思います。

先日、五所神社の記事に、ヤマトタケさん(日本武尊)がご存命時には正式な国書は存在していなかったと書きました。

ヤマトタケさん(日本武尊)

それもそのはずで、ヤマトタケさんご自身が国書及び、歴史書の編纂を切望されていたからなのでした。

ヤマトタケさんは東国平定後、不運にも早世してしまうのですが、ご自身の余命がいくばくも無いことを悟り、御父上のヲシロワケスメラギ(景行天皇)ノコシフミ(遺書)をしたためます。

そして、その遺書には今後の治世を憂う内容やアメナルミチを書き残すようにと、五七調のウタで切々と書き綴られていたのでした。

時代は新羅がいつ任那に攻め込むか、引いては我が国にも攻め込むかも分からない、内憂外患の状態にありました。

そんな時だからこそ「祖宗以来の尊いアメナルミチを今こそ省みるべきではないか」とヤマトタケさんは強く思うのでした。

愛息子の意を汲むヲシロワケ天皇

ヤマトタケさんヲシロワケ天皇が次期天皇にと望まれた愛息子でした。そんな愛息子の気持ちに答えようと、ヲシロワケ天皇「カグノミハタ」という書を執筆します。

当時、宮中にはアマテルカミ(天照大神)が編まれたフトマニヲシデ(日本の古代文字)で書かれたフミが多数残されていました。

晩年のアマテルカミ

アマテルカミご自身が「綾しげければ天霊みえず(=文書が多すぎて要点をつかみきれない)」とおっしゃるくらいなので、相当な数だったのでしょう。

ヲシロワケ天皇はその中から、アメナルミチを宣揚する重要なポイントを抽出し、お手づから執筆されたのが「カグノミハタ」です。

そして、初代伊勢神宮神主のクニナヅ・オホカシマさん(アマノコヤネさんの子孫)と大神神社神主のオホタタネコさん(クシヒコさんの子孫)に詳細な伝承を書かせたものが、それぞれ「ミカサフミ」と「ホツマツタヱ」なのでした。

カミヨの時代からの重鎮の子孫が神主となっているのですから、古来より伊勢神宮大神神社は重きをなした神社であったのでしょう。

アメナルミチに対する御祭神の思い

ここまで見るとホツマツタヱが書かれた最大の理由は「ヤマトタケさんが祖宗が残したアメナルミチを後世に伝えるため」ということが分かりました。

ニッコリ微笑まれるヤマトタケさん

ここで、美鈴はあることに納得したのでした。

神奈川県海老名市の有鹿神社アマテルカミに、そして神奈川県足柄上郡の寒田神社ヤマトタケさんにお会いしたことは過去の記事に書いています。

美鈴が「ホツマツタヱを読んでいます」と自己紹介をした際に、このお二人は別の時代に存在した方にも関わらず、全く同じ反応をお示しになられた。

まるでコピーで写し取ったように、美鈴をみてニッコリ微笑まれたのです。

「なぜ微笑まれるのだろう?」という疑問が湧いたのですが、やはり「アメナルミチ」を子孫に伝えたい思いがおありなのだと、後で納得したのでした。

(歴史を書きかえた、犯人捜しをしたい訳ではないと思う)

解いておきたい誤解

ここで、御祭神は「恨みや悔いの念を持っており、供養しなければならない存在」いう誤解があれば、解いておきたいと思います。

美鈴がお会いした限りでは、御祭神は悔いや恨みを持つ方々には到底見えませんでした。どなたも愛の深い、器の広い方々ばかりでした。

ニニキネ様

本来、大宇宙のアモトの元に帰ってもおかしくない方々ではありますが、現在も地上で私たちを助けて下さる、言わばアセンデッドマスターのような存在なのです。

アマテルカミニニキネ様をはじめ、どなたもお育ちの良さが全身に満ち溢れておられたし、立ち振る舞いも、話し方もゆったりしておいでで、本当に優雅でした。

美鈴の所感

ホツマツタヱを読んでいると、「あれ?ちょっと内容がずれている」と思う箇所があります。

まず、この高温多湿の日本で二千年以上も原本を保持するのは不可能です。そのため、時代を経て書き写された書物なので、多少の写し間違いや、内容のずれはあったと思います。

そもそも、アメナルミチを主眼に書かれた書物なので、史実の多少の誤差はあまり気にされていなかったかもしれません。とは言っても、大きく事実とかけ離れていることは無いと思います。

ホツマツタヱは一般的に知られていない史実もふんだんに盛り込まれているので、興味を引く内容も多々あるのですが、やはりアマテルカミミコトノリを通して、尊いアメナルミチの天恵を窺い知ることができることが、最大の魅力ではないでしょうか。

今後もアメナルミチについては、色々記事でまとめてみたいと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました!

参考図書:秘められた古代日本史(続)ホツマツタヘ 松本善之助氏著

タケミナカタさんからのお茶目な依頼

こんにちは!今日はスワノカミこと、タケミナカタさんからお茶目な依頼を前々から頂いておりましたので、この機会に書こうと思います。

実は美鈴はスワノカミからのあるお願いをテレパシーでキャッチしておりました。(ちなみにタケミナカタさんには諏訪神社で何度もお会いしています)

その依頼とは、、、

実は「自分の顔も描いて欲しい」という依頼だったのです。(なんてお茶目な方なのかしら)

がっしりした体格

「えっ!?スワノカミ、美鈴は以前ブログ記事を書いた際にスワノカミのお顔を描いていなかったのですか?」

(そうらしいです)

「それは大変失礼致しました。では奥様とご一緒がいいですよね?」と聞いたところ、

(それは恥ずかしい)とのことでした。

ちなみに他の御祭神もお妃とのツーショットは、本音を言うとちょっと恥ずかしいのだそうです。

タケミナカタさんの特徴

タケミナカタさんに初めてお会いした時の印象は、見るからにお坊ちゃん育ちという感じがしました。

(御父上のオホナムチさん右の臣だったから当然と言えば当然なのですが)

乗馬や狩りを嗜んだ

ちょっと説明が難しいですが、体格がしっかりしていて、身長は普通、性格は温厚で優しいという感じでした。

御父上のオホナムチさんはとにかく優しい人で、救荒食糧を備蓄しては人々に配ったと池田満氏の著書に書かれていますが、

タケミナカタさんもまさにその性質を受け継いでいて、人をもてなしたり、贈り物を送るなど細やかな配慮をされた方のようですね。

口数が少ない方なので、ご本人から聞いた訳ではないのですが、乗馬や狩りを好んだようです。

タケミナカタさんの意外な性格

実はいつもクールタケミナカタさんには意外な性格があります。

実はツンデレな一面も

美鈴が参拝に伺うととても喜んでくださるのですが、日によって反応がなかったり、お留守だったりする訳なのですが、

参拝が遠のくと寂しがる、、、ちょっとツンデレなところがあります。

そして、タケミナカタさんのことをブログで紹介すると、大喜びで美鈴にお礼を伝えて下さる律儀な性格もおありです。

この性格は祖父のソサノヲさんに非常によく似ておられます。

実は、ソサノヲさんツンデレなところがおありなのでした。

これは末の弟に良くみられる性格なのでしょうか?

とにかくお茶目なタケミナカタさんなのでした!(とっても優しい方ですね)

以上の情報を元に、タケミナカタさんのお顔を描いたところ、眷属の方から「ちょっと違う」と言われてしまいました。

そこで、眷属の方のアドバイスも参考にして、上記のイラストをいくつか載せたのですが、スワノカミはお気に召してくださったのでしょうか?

なんらかの反応を待ちたいと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました!

ウガヤフキアハセズ様参拝記 神奈川県綾瀬 五社神社

こんにちは!今回はウガヤフキアハセズ様の参拝に、神奈川県綾瀬市に鎮座する五社神社を訪ねました。

五社神社の鳥居

実はこの神社、ニニキネ様がお祀りされている神社を探している時にもチェックしていました。しかし、この神社からニニキネ様の波動を感じることは出来ませんでした。

そのため、眷属の方からこの神社の名前を聞いた時に思わず絶句してしまったという訳なのです。

眷属の方のお話では、確かにこの神社にニニキネ様はお出ましにならないそうなのですが、なんとウガヤフキアハセズ様はお出ましになるのだそうです。

ウガヤフキアハセズ様は書をたしなむ方だったようです

前回はこの神社の由緒をあまりよく読まなかったのですが、改めて由緒を読んで見ると、驚くべきことが書かれています。

祭神:天照大日霎貴尊、天忍穂耳尊、天津彦火瓊々杵尊、彦火々出見尊、草葺不合命の五柱

人皇第十二代景行天皇の皇子日本武尊、御東征の折に当地(当時は亀井山と伝う)に五朶の榊を樹て、地神五代を創祀して五頭の宮と崇められたのが始めであるといわれている

まず、ヤマトタケさん(日本武尊)は4世紀頃に存在した方です。つまり、正式な国書が存在していない時代にヤマトタケさんはこの五柱をお祭りしたということです。(系譜の順序もホツマツタヱと一致

恐らく、この五柱の方々が正式な天つ日嗣であることは、当時は誰もが知っている常識だったのだと思います。ホツマツタヱの正しさを裏付ける大変貴重な神社と言えます。

待っておられるウガヤフキアハセズ様

さて、神社に向かう途中、早速ウガヤフキアハセズ様のサインを受け取りました。ニニキネ様に小田原の賀茂神社でお会いした時と全く一緒です。

どうやら美鈴の訪問を待ってくださっているようなのです。

時刻表を全く調べていなかったのに、駅のホームに着いた途端に電車が到着し、バス停に着いた途端にバスがやってきて、あれよあれよという間に五社神社に辿り着きました。

「そんなに、待っておられたのですね」、、、感慨深い思いが込み上げます。

鳥居をくぐり、年代を感じさせる木立が立ち並ぶ参道を抜けて本殿に向かいます。とても心地良い波動の神社で、拝殿手前の二本の大きな木が存在感を放っています。

拝殿手前にそびえる大木

拝殿の手前にウガヤフキアハセズ様はおられました。中肉中背で目鼻立ちがはっきりしている方です。

他人への気配りや配慮ができる性格がにじみ出ていて、雰囲気が祖母のアシツヒメ(コノハナサクヤヒメ)に似ています。(やはり隔世遺伝なのですね)

美鈴が自己紹介をしようとすると「知っている」とおっしゃるではありませんか。どうやらお話が出来るようなのです。

しかも不思議なことに、リアルにお出ましになられています。

そして、ああ、なんと美鈴を見てお泣きになるではありませんか。。。

ウガヤフキアハセズ様の涙

ウガヤフキアハセズ様の色んな思いが伝わります。

泣かれる理由はおっしゃらないのですが、恐らくこんなお気持ちなのだと思います。

アマテルカミを含め先代のアマカミに大変申し訳ないお気持ち、自分の生い立ちや背景まできちんと理解したうえで参拝に来たてくれた喜び、

そして、自分がここにいると分かったうえで参拝に来てくれた感動が入り混じり、感極まっての涙なのだと思います。

五社神社の本殿

それだけ、歴史から忘れ去られていたということなのです。

さすがに、アマテルカミ、ニニキネ様、ホホテミ様はお泣きにはならなかった。

実際のご本人像とはかけ離れた内容が通説となっていて、複雑なお気持ちであられると思うのに、怒りや悲しみなど微塵もお見せにならず、ただやさしく美鈴を迎えて下さった。

事実とかけ離れた内容が書かれていても、存在は残されている。つまり人々に認知はされているのです。しかし、ウガヤフキアハセズ様にはそれすら無いのです。

それだけお寂しかったのでしょう。

ホツマツタヱを読んでウガヤフキアハセズ様に参拝に行かれた方もおられたと思います。

しかし、本来お祀りされる筈の場所にお祀りされておらず、お祀りされている神社も少ないので、きちんと出会えていないのではないでしょうか。

多くの方が参拝されていたら、ウガヤフキアハセズ様が泣かれるはずが無いのです。

そのため、ウガヤフキアハセズ様の功績と共に書かなければと思ったのです。

ウガヤフキアハセズ様ツクシを開拓して下さった、言わば子孫に愛を残してくれたのですから。

ウガヤフキアハセズ様との対話

その他にも、ウガヤフキアハセズ様と色んなお話をしました。ホツマツタヱウガヤフキアハセズ様が32人の県主と各地を見回って廃れた個所を治された描写がありました。

他者への気配りが細かな配慮が出来る方ですから、精魂込めて開拓や農業指導にあたられたのでしょう。これはイサナギ・イサナミ様からずっと変わらない伝統なのだと思います。

壮年期のウガヤフキアハセズ様

お話と言っても、言葉を介さずに、ウガヤフキアハセズ様の功績にただ、ただ感謝をお伝えし「こんなことがありましたよね」、「こんなこともされたんですね」と回想し合う時間を持ったという言い方が正解なのかもしれません。

ちょうど話し終えたところで、次の参拝者が来られたので、最後に多大な感謝と愛をお伝えして、ウガヤフキアハセズ大君の御前を後にしました。

さいごに

歴史に「たら」「れば」は無いのかもしれません。しかし、後世にウガヤフキアハセズ様の功績が残されていたならば、きちんと由緒にも書かれたでしょうし、参拝者はウガヤフキアハセズ様に感謝をお伝えできます。

子どもに「この人は何をした人なの?」と聞かれても「大昔にね、日本を開拓してくれた偉い人なんだよ」と伝えることもできます。

「子孫にご先祖様の愛が伝わり、子孫がご先祖様に感謝をする、その愛のやり取りで人の情緒は育まれ、愛や平和や秩序が生まれる」美鈴ホツマツタヱを読むたびに実感しています。

そして、美鈴がホツマツタヱで出会わなければ、五社神社を訪れることもなく、ウガヤフキアハセズ様も二千年以上も誰にも気づかれずに五社神社におられたままだったかもしれません。

五社神社の鳥居

当記事が神社参拝の参考になれば幸いです。

ウガヤフキアハセズ様に出会える五社神社、是非機会がありましたらご参拝ください。(ちなみにウガヤフキアハセズ様鵜戸神宮におられますし、ニニキネ様霧島神宮におられるとのことでした)

最後までお読みいただきありがとうございました!

ウガヤフキアハセズ様の遺勅

こんにちは!今日は前回の続きで、ウガヤフキアハセズ様の遺勅を紹介します。

ご高齢となられたウガヤフキアハセズ様ミヤサキノミヤ(現:宮崎神宮)にタケヒト様(神武天皇)とタネコさん(アマノコヤネさんの孫)を呼びます。

その時に語られた遺勅を紹介します。過去の記事でも取り上げていますが、今回は全文の紹介です。

ホツマツタヱ二七アヤ四三頁
タケヒトとタネコ、しっかりと聴くがよい。よくよく思うのに、この頃は食物が豊富で十二分にあるので、人心はダレ、小利口にすぎるようだ。

寿命もとみに短くなった。先の神々の世は千年も万年も生き続けたのに、この頃はどうだ。私は八十万年も生きているが、今では百年生きるのがやっとだ。

また、心を暗くするのは、何とも言いようもないほど素晴らしいアマテル大神がカミアガリされたことだ。

そうなると、不安なのは我々の大目標アメナルミチを身をもって守ってゆく神がいなくなりはしないかということである。

また共にこの道を讃え、励まし合いながら、生きてゆく人物もいないということだ。

これは何としても心残りである。汝ら二人が在世してくれるのは心強いが、それとて生身の体である。

もしものことがあれば、二人では心もとない。イツセ(長男)には子がない。

汝タケヒトはまだ若いが人物は優れており、次代を背負うスヘラギ(天皇)としては十分である。

タネコ、汝もよき配偶者を見つけ、世継ぎを得るようにせよ。

タケヒトよ。汝は今や十五歳だから、もう立派に成人である。タネコの援助を得て治めてゆくがいい。

ここに治国の基本となるべき精神と具体的方法を述べた沢山のフミがある。

上文の続き

本当はタケヒトに渡すべきものだが、一時タネコに渡すことにする。よくこのフミを熟読玩味してタケヒトを助けて貰いたい。

先にミクサ(三種神器)の内のカガミは汝の父オクシモに渡し、またヤヘガキノツルギはクシミカタマ・ワニヒコに授けた。

この二つの宝物はわが妃のタマヨリヒメが預かって上カモのワケイカツチ宮に治めてある。

それらを大切に奉持せよ。最後に言う。大事なのは「ホツマ」になるきるということだ。そうなれば自らミクサの宝は偉大な力を発揮する。これこそ我が確信である。

大きな時代の変遷を予知しておられたのでしょうか?後代を心配するウガヤフキアハセズ様の御心が痛いほど伝わってきます。

そして、アマテルカミもミコトノリの中で「百のヲシデ」と仰っていますが、当時宮中には古代文字で書かれた文献が少なくても42文献以上はあったようなのです。

長い時代を経て書き写され、現在まで残っているのが「ホツマツタヱ」、「ミカサフミ」、「フトマニ」の三書です。これはひとえにアマテルカミ、クシヒコさんアマノコヤネさんの国を思うお気持ちの表れなのだと思います。

アマテルカミのカミアガリ

第八代アマカミ アマテルカミ

ウガヤフキアハセズ様の治世に大きな出来事が起こります。あれだけ長命を誇っておられたアマテルカミが遂にお亡くなりになってしまうのです。

歴代のアマカミにとって精神的な大きな支えとなっておられたアマテルカミの崩御は、ウガヤフキアハセズ様にとっても大きな悲しみと憂いとなられていた様子が伺えます。

ウガヤフキアハセズ様の御子様

話は変わりますが、ウガヤフキアハセズ様には御子様が二人おられたようです。

壮年期のウガヤフキアハセズ様とタマヨリヒメ

池田満氏の著書を見ると、ウガヤフキアハセズ様はなかなか世継ぎ子に恵まれなかったので、アマノコヤネさんが心配して息子のオクシモさんと一緒にヨツギヤシロを建てて祈ったとあります。

そこでウチメとなったヤセヒメに長男のイツセミコが授かり、タマヨリヒメが次男のタケヒト様(神武天皇)をお産みになったと書かれています。

遺勅の文章から長男のイツセミコも、なかなか子が授からなかったことが分かります。

ウガヤフキアハセズ様にお会いしたい

さて、ここまでウガヤフキアハセズ様にクローズアップしたのですが、ウガヤフキアハセズ様のゆかりの場所は滋賀、京都、宮崎、鹿児島であることが分かりました。

ウガヤフキアハセズ様を祀る鵜戸神宮

となると、やはりウガヤフキアハセズ様にお会い出来る神社を関東で見つけるのは難しそうです。(お祀りされている神社がとても少ないのです)

お若い頃のウガヤフキアハセズ様

そこで、再度カミヨ(上古代)の時代に詳しい眷属の方に、関東でウガヤフキアハセズ様にお会いできる神社があるかどうかを尋ねてみました。

なんと、眷属の方は笑っておられます。

思わず笑ってしまう場所・・・?

「もしかして神奈川ですか?」と尋ねると、、、どうやらそうらしいです。

そこで出てきた神社名を聞いて、

「しかし、その神社は、、、」とまたもや美鈴は絶句してしまうのです。

次回はウガヤフキアハセズ様がお出ましになられる神社での参拝記です。

そこには、ウガヤフキアハセズ様の意外な人物像と涙なしには語れない出会いがありました。

最後までお読みいただきまして、ありがとうございました!

参考図書:秘められた日本古代史(続)ホツマツタヘ 松本善之助著/ホツマ辞典 池田満氏著

ウガヤフキアハセズ様の功績とゆかりの地

こんにちは!今日は第十二代アマカミウガヤフキアハセズ様功績ゆかりの地をホツマツタヱの本文を参考にしながら、クローズアップしてみたいと思います。

ウガヤフキアハセズ様は一般的に知られていないアマカミなのですが、ホツマツタヱにはふんだんに記載があります。

ウガヤフキアハセズ様とタマヨリヒメ

さて、ウガヤフキアハセズ様はどのような功績を立てられたのでしょうか?

御父上のホホテミ様霧島市から加治木、姶良町に至る南九州一体の農業開発に努め、次に阿蘇九州北部で農業改善を行いました。

大隅半島一帯ウガヤフキアハセズ様神武天皇が開拓して、立派な農地が出来たと書かれています。

ニニキネ様が九州に灌漑事業で向かわれて以来、ホホテミ様、ウガヤフキアハセズ様神武天皇へとこの事業が引き継がれていたことが分かります。

ウガヤフキアハセズ様ゆかりの地

それでは、ウガヤフキアハセズ様にゆかりの地を見ていきたいと思います。

①タガ(現:多賀大社)滋賀県犬上郡

ウガヤフキアハセズ様は当時のミヤコであったミツホノミヤ(琵琶湖の東南岸付近)タガに遷します。ホツマツタヱに書かれているミコトノリを見てみましょう。

多賀大社

ホツマツタヱ 二七アヤ十五頁

タガ(現:多賀大社)は、二神(イサナギ・イサナミ両大神)がお住まいになられて、はじめて日本の基礎を築かれたお宮だ。

年月が経ったのであまりにも古くなり、破れがひどいので造り変えることにしよう。

そして、琵琶湖にある父君(ホホテミ様)のミツホノミヤをタガに引き移し、同時に私も移ることにしたい。

そうすれば、尊敬限りない両大神をおそば近くで日夜拝むことができ、ミイツ(御棱威)をいただけるというものだ。

ウガヤフキアハセズ様はこのようにおっしゃると、イシベという臣をしてタガのお宮を造り変えると同時にミツホノミヤをタガに移し、新装されたタガノミヤで即位式を挙げられた。

ちなみに「タガ」と「ガ=悪いこと」「タ=正す」、すなわち悪を正すという意味があります。

また、ウガヤフキアハセズ様にゆかりの神社も多賀大社の域内に存在しています。

ツクシにおられたウガヤフキアハセズ様がお亡くなりになると、タガにおられた神武天皇は直ちに喪に服し、ウガヤフキアハセズ様にヒウガノカミの贈り名を賜った」

日向とは宮崎県日向を指し、ツクシで偉大な功績を立てられたので、ヒウガノカミとされたのでしょう。

その神社が日向神社です。現祭神はニニキネ様ですが、元々はウガヤフキアハセズ様をお祀りしていたと思われます。

②賀茂御祖神社 京都府左京区

アマテルカミウガヤフキアハセズ様に賜ったお名前が「御祖天君(みおやあまきみ)」なので、賀茂御祖神社は本来ウガヤフキアハセズ様を祭る神社であったことは過去の記事に書きました。

その他にも下鴨神社ウガヤフキアハセズ様の居住地であったことを示す内容がホツマツタヱに書かれています。

ホツマツタヱ 二十七アヤ十九頁
ウガヤフキアハセズ様と妃のタマヨリヒメはタダスの殿(=賀茂御祖神社)に常におられて、良く国を治めたので、民の生活は豊かであった。マサカキが枯れて、植え継いだ本数が7本目になっても、国は豊かであった。

ウガヤフキアハセズ様が良政をされていたことが分かるアヤです。賀茂御祖神社付近にある「糺の森」はこのタダスから来ているのでしょう。

賀茂御祖神社

③吾平山上陵 鹿児島県鹿屋市

ここはウガヤフキアハセズ様が葬られた御陵になります。

吾平山上陵

④鵜戸神宮 宮崎県日南市

鵜戸神宮は宮崎県日南市に鎮座する神社ですが、なぜウガヤフキアハセズ様にゆかりの地なのか、ホツマツタヱの本文をから見ていきましょう。

ホツマツタヱ 二十七アヤ四十一頁

ウガヤフキアハセズ様がツクシに御行されることになった。

ムロツ(兵庫県淡路市室津)より大カメ(大型船)に乗ってウドの浜(鵜戸海岸:鵜戸神宮所在地)を経て、カゴシマノミヤ(現:鹿児島神宮)に到着された。

三十二人の県主が御巡行を願うと、十年間の精魂で、廃れた個所もすっかり治り、タミも賑わって万歳を歌った。

ミヤサキノミヤ(現:宮崎神宮)にてウガヤフキアハセズ様は御安心なされたのか、急に老いが早くなられた。

そこで急いでタガに使いを送ったところ、タケヒト様(神武天皇)とタネコが急ぎミヤサキに到着した。

「鵜戸」は大いなる、「ト」完全という意味なので、ウガヤフキアハセズ様の上陸を記念して、この名が付いたとされています。

鵜戸神宮御祭神ウガヤフキアハセズ様で由緒どおりです。この文から宮崎神宮は元々ウガヤフキアハセズ様が起居された場所と窺えます。

鵜戸神宮 本殿

ここまで、ウガヤフキアハセズ様の功績とゆかりの地を辿ってみました。

やはりホホテミ様から九州の開拓を引き継がれたので、宮崎、鹿児島にもゆかりが深いことが分かりました。そして、タガ京都にもミヤを構えておられたことも分かりました。

では、神武天皇の父君であられる、ウガヤフキアハセズ様の人物像をミコトノリから見ていきたいと思いますが、長くなりましたので、また次回にしたいと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました!

参考図書:秘められた古代日本史(続)ホツマツタヘ 松本善之助氏著/古代史ホツマツタヱの旅 いときょう氏著

ウガヤフキアハセズ様誕生秘話

こんにちは!今回はホホテミ様トヨタマヒメとの間にお生まれになった第十二代アマカミウガヤフキアハセズ様誕生秘話に迫りたいと思います。

ホホテミ様御父上ニニキネ様がご高齢になり、ホホテミ様に譲位することになりました。ツクシ(現:宮崎県)におられたホホテミ様ニニキネ様のおられるミヤコ(ミズホノミヤ)に向かいます。

この時、トヨタマヒメホホテミ様の御子をお腹に宿しておられました。

トヨタマヒメ

そこで、ホホテミ様は早船で帰京して産屋を建てて待ち、トヨタマヒメは揺れの少ない船でゆっくり上京することになりました。

しかし、運悪くトヨタマヒメの乗った船が沈没してしまいます。

沈没は大惨事ですが、ましてや身重の身、トヨタマヒメはどれほど必死だったでしょうか。

身重の体で必死に泳ぐトヨタマヒメ

海に投げ出され、海中に沈みゆくトヨタマヒメは、とっさにお腹の子のことを思い、ホホテミ様のお顔が脳裏に浮かびます。

第十一代アマカミ ホホテミ様

海面に浮かび上がったトヨタマヒメは、あきらめずに必死で岸まで泳ぎます。

なんとか一命を取り留め、運良く早船に乗ることが出来たので、予想よりも早く上京することができました。

産屋はまだ完成しておらず、屋根を葺く前の状態でした。海で必死に泳いだせいか、予想よりも早く産気づいたトヨタマヒメは無事に男御子を産みました。

この時代、お産は砂地にワラシベをのせ、ムシロをひいた納屋で行っていました。ウブスナの言葉は産砂が元になっています。トヨタマヒメの産屋は敦賀半島の気比の松原付近に建てられたとされています。

イミナカモヒトと名付けられ、産屋の屋根を葺く前に生まれたことからウガヤフキアハセズ様と呼ばれました。

トヨタマヒメが必死に守ったウガヤフキアハセズ様

産後のトヨタマヒメの体を心配した産医は、しばらくヒメに遭うことはお控えくださいとホホテミ様に伝えます。

ホホテミ様は近くの滞在場所から産屋を見守る日々を送ります。

ホホテミ様、産屋を覗いてしまう

ある日、産屋の戸が開いてたので、ホホテミ様が中を覗くと、トヨタマヒメが衣服をまとわずにお休みになられていました。

産屋の扉が開いていることに気づくホホテミ様

ホホテミ様はヒメに気づかれないようにそっと戸を閉めて、立ち去ろうとしたのですが、物音でトヨタマヒメホホテミ様にあらわな姿を見られてしまったことに気が付きます。

恥ずかしく思ったトヨタマヒメは、弟のタケツミさんに九州に帰ろうと言います。

そして、生まれたばかりの赤子を置いて、京都の貴船まで辿り着きました。ホホテミ様から伝言もあり、トヨタマヒメは貴船に留まるのですが、ミヤコでは正妃が不在のまま、ホホテミ様の即位の儀式が執り行われたのでした。

ここで、ニニキネ様登場

さて年も変わり、一向にミヤコに戻らないトヨタマヒメを心配されたニニキネ様が登場します。

トヨタマヒメワケイカツチノミヤ(現:上賀茂神社)ニニキネ様をお迎えします。

トヨタマヒメをお諭しになるニニキネ様

トヨタマヒメにお会いしたニニキネ様が優しく語り掛けます。

そして、ご自身の袖に掛けてあった、葵の葉を指さして「これは何の葉ですか」と尋ねます。

「葵の葉です」トヨタマヒメは答えます。

今度は桂の葉を指さして「では、これは?」と尋ねると、

トヨタマヒメ「桂の葉です」と答えます。

そこでニニキネ様「どちらか一方が欠けてはいませんか?」

桂の葉(左)と葵の葉(右)

ニニキネ様の真意を察したトヨタマヒメはこう答えます。

「どちらも欠けてはいないのです。私の心は今でもホホテミ様と共にあります。しかし、私は海で溺れかけて岸まで泳ぎ、産屋ではあらわな姿をホホテミ様に見られてしまいました」

「それは恥ではないのですよ。ヒメが海で必死に泳いだのは、ご自身の御子を思ってのことでした。これは一生懸命生きようとするワイキ(地の心)です」

「また、ヒメはあらわな姿をホホテミに見られたことを気にされていますが、ホホテミが産医の言うことを聞かずに起きた出来事で、ヒメミヤコに戻れば自然と消えてしまうものなのです。不可抗力から起きた出来事はアイキ(天の心)に任せるしかありません」

そして、ニニキネ様はこう続けます。

葵の葉男性桂の葉女性を表すことはヒメもご存じですね?夫婦はどちらかが欠けても成り立ちません。ヒトイ(人の心)は人間関係や夫婦関係が円満になってこそ解決します」

そして、どこまでも風流な方なのであった

ニニキネ様のお諭しもあり、トヨタマヒメホホテミ様の元に戻ります。そしてこの出来事が葵祭の本来の由来となっています。

今日は第十二代アマカミウガヤフキアハセズ様の誕生秘話について書きました。

最後までお読みいただきましてありがとうございました!

参考図書:古代史ホツマツタヱの旅 第二巻 いときょう氏著

アマテルカミが東京におでましに? 東京都 桜神宮

こんにちは!先日、別の眷属の方からアマテルカミ(天照大神)が最近東京の神社にもお出ましになっていると聞いたので、今日はその神社を紹介したいと思います。

東京都世田谷区に鎮座する桜神宮です。実はこの神社、美鈴も名前は知っていました。以前にアマテルカミをお祀りする神社を探していた時に、この神社のホームページを見ていて、古式神道という名称が気になっていました。

「こちらの神社にアマテルカミはお出ましになるのですか?」と眷属の方に聞くと、

「そうだ」と仰るではありませんか。なんでもこの神社の方は大変勉強熱心な方で、アマテルカミは殊の外お喜びなのだそうです。

早速、参拝に吉日を選んで、桜神宮まで参拝に伺うことにしました。東急田園都市線の桜新町駅から徒歩3分ぐらいの場所にありました。入口に「神習教本祠」と書いてあったので対処は戸惑ったのですが、どうやらここが桜神宮のようです。

桜神宮の御祭神、創建と由緒

御祭神天照大御神をはじめ、多くの方がお祀りされています。由緒を見ると、創建は明治十五年ですが、御神託により大正四年に現在地に移転したところ、震災や戦火を間逃れたとあるので、相当霊験あらたかたな神社と言えます。

創建者は大中臣家後裔の芳村正秉という方で、神宮奉職中に倭姫命から神託によって授かった「神習いの教え」を立てたため、古式神道の総本山になっているとのこと。

ヤマトヒメ(倭姫命)とはヤマトタケ(日本武尊)さんの叔母に当たる方です。

第十一代スヘラギイクメイリヒコ(垂仁天皇)皇女二代目のミツエシロ(斎王)を務め、サルタヒコさんの伝えに従い、伊勢内宮の地にアマテルカミの宮を建てた方でもあります。

アマテルカミおでましに

早速、参拝にお伺いすると、アマテルカミのお姿が見えません。「あれ?あれ?」っと思わずきょろきょろしてしまいました。そうこうしているうちに、平日にも関わらず次々参拝者がやってくるではありませんか。

ようやく順番になったので、本殿の前でご挨拶をします。祝詞を奏上すると、なんと!アマテルカミがお出ましになられたではありませんか!丁度、本殿で神事が行われていたようです。

服装は前回と同様、上は白いお召し物、下は青色系の「モ」というスカート状のお召し物でした。

いつもと変わらず、日頃の感謝を何度もお伝えし、感動の余韻を残したまま、アマテルカミの御前を失礼したのでした。

最晩年に伊勢の内宮に地に遷られたアマテルカミ

アマノコヤネさんのこと

大中臣とあったので、少し藤原氏の先祖に当たる、アマノコヤネさんについて触れたいと思います。

アマノコヤネ(藤原氏の祖)さんは元々、カスガマロというお名前でした。イミナはワカヒコといいます。アマテルカミから薫育を受けて、多くの功績を立てたため、アマノコヤネのお名前を賜ります。(コヤネとは子を宿すという意味)

アマテルカミ、父のココトムスビ、義父のタケミカツチさんなど、多くの先人からミチを受け継いだアマノコヤネさんは、アマテルカミの没後、伊勢に留まり亡きアマテルカミにお仕えします。

内宮:五十鈴川

若い頃から優秀で、多くのミチを先人から受け継いだアマノコヤネさんアスス33年2月11日に亡くなり、壮大な葬儀が執り行われたといいます。丁度、ブログを更新した今日がアマノコヤネさんの命日なのも、きっと意味があるのでしょう。

桜神宮で購入したお守り

アマノコヤネさんの流れを組み、アマテルカミがお出ましになる素敵な神社、桜神宮に機会がありましたら是非ご参拝ください。

最後までお読みいただきありがとうございました!

参考図書:ホツマ辞典/池田満氏著