寒川神社の御祭神が教えてくれたこと

皆さん、こんにちは!神奈川県は高座郡寒川町に鎮座する寒川神社の御祭神について書きたいと思います。

その前に、読者の皆様に御礼を申し上げます。先日、タケミナカタさんの諏訪神社に参拝したところ、タケミナカタさんがとても喜ばれておられたのです。なんと!当ブログを読まれた方が、諏訪大社・諏訪神社に参拝に来られたとのことでした。

ご参拝くださった方々に改めて感謝申し上げます!こうしてブログに書くことで、神社に足を運ぶ方が増え、御祭神、そしてブログ運営にあたる私が幸せに感じ、感謝と愛の循環が起こることは何よりも嬉しいことです。ありがとうございます!

しかも!まだ当ブログでご紹介していないタケミカヅチさんよりも同様に、読者の方が参拝者が来られたと伺っております。

本当にありがとうございます!

寒川神社の参拝きっかけ

寒川神社は相模国一之宮社であり、八方除けで霊験あらかたな神社で、東京出身の私も名前を聞いたことがある神社でした。主人の両親が崇敬しており、毎年正月には混雑を避けて、中旬ごろに参拝していると聞いていました。(正月三箇日の参拝者数は、なんと!50万人にものぼるのだとか。)

神奈川に嫁にきた者として、ご挨拶に伺わねばと思っていた矢先に寒川神社の御祭神が呼んで下さいました。

すっきりした寒川神社の境内

有鹿神社の記事でも紹介しましたが、寒川神社の御祭神は寒川比古命、寒川比女命です。

初めて参拝した時『こんなにすっきりした神社は初めて見た』と思ったのです。八方除けに霊験あらかたなせいか『魔を寄せ付けません』という雰囲気なのです。

寒川神社の凄い所は御祈祷の依頼数全国一を誇ります。私が参拝した神社では、土日祝日には昇殿参拝者の姿を見かけますが、平日に御祈祷を依頼する人はまばらでした。

しかし、寒川神社は違います。年間を通じて、朝から夕方までひっきりなしに祈祷を行っている神社なのです。

寒川神社を描写するならば、荘厳かつ華麗由緒正しい、霊験あらかたな神社という形容が相応しいでしょう。立派な境内には神嶽山神苑というお庭まであり、御苑さながらの風情です。

雄大な敷地を誇る鎮守の杜には、龍神様が心地よさそうに泳いでいます。上空には鳳凰様も優雅に飛んでおられました。なのでこちらは皇位継承者に縁の神社ということですね。

神嶽山神苑は御祈祷すると見学できる

寒川神社の御祭神

初めて、寒川神社に参拝した当時は、日本の神社の祭神は渡来系、ユダヤ系、秦氏であるという歴史書や文献を読んでいたので、

『果たして、本当にそうなのかな?』と考えていたのです。

そんな私の心を読まれたのか、寒川神社の御祭神は『昔から(日本の地に)住んでおる』と仰ったのです。つまり『純日本人』という訳です。(昔は日本という国名ではなかったのですが)

何十万年前に様々な地域から日本列島にやってきた人はいると思うのですが、少なくとも上古代において外国からやってきた人ではないという意味ですね。

『そうなんだ~。』とびっくりしたのです。

子どもに目をかけてくださる御祭神

寒川神社の御祭神は、寒川神社に暫く足が遠のくと呼んで下さいます。先日も呼んで下さり、喜んで家族で参拝しました。てっきり私が呼ばれたのかなと密かに喜んでいたら、境内で撮影した家族写真を見返すと、息子の周りにだけ光の玉や虹が写っていました。

『呼ばれたのは息子だったのか。』と思ったのです。ソサノヲ(素戔嗚尊)さんもそうですが、本当に神社の御祭神は子どもを大切に思ってくださいます。

寒川神社の神様(本当は人なのですが)は定期的に『息子はどうしておる?』『息子の参拝に来るがよい』と声をかけてくださるのです。

寒川神社の御由緒は神亀4年(727年)には社殿が建立されたという説があります。

更に、ソサノヲ(素戔嗚尊)さんを慕っていたヤマトタケ(日本武尊)さんが寒川の地にソサノヲさんを祭る社を建て、後年寒川神社となった説があります。参考図書:ホツマで読むヤマトタケ(日本武尊)物語 池田満氏:著書より

しかし、寒川神社の御祭神はソサノヲさんではありません寒川比古命、寒川比女命の名前はどの歴史書にも名前が出てこないのです。

そんなある日、いときょうさんの著書 古代史ホツマツタヱの旅 第3巻を読んでいたら、寒川神社の祭神はウビチニ・スビチニ様ではないかという記述を見つけたのです。

ウビチニ・スビチニ様

ウビチニ・スビチニ様とは第四代アマカミ(上古代の天皇を指す)になられた方です。ウビチニ・スビチニ様の時代に結婚の形が生まれました。

ウビチニ・スビチニ様
ウビチニが桃の木を植え、三年経過したころスビチニと結婚しました。桃の花が満開の時でしたので、お二人はモモヒナギ・モモヒナミと呼ばれました。旧暦三月三日に結婚の儀が執り行われました。

日暮れ近くでしたので、空には月が出ていました。桃の木の下で白酒が酌み交わされました。(古代史ホツマツタヱの旅 第4巻 いときょう氏著より)

寒川神社の御祭神がウビチニ・スビチニ様であれば、寒川神社の上空に鳳凰様が飛んでおられたのも納得できます。スビチニ様はわが国で初めて日本酒を発見された方でもあります。

寒川神社の御祭神がウビチニ・スビチニ様だという根拠がもう一つあります。

寒川神社の御祭神はお酒好き?

ある時、寒川神社の眷属が『こちらの御祭神はお酒が好きで、お酒をお供えすると大変お喜びになる』と教えてくれたのです。

もし寒川神社の御祭神がウビチニ・スビチニ様であれば、きっと桃のお酒を喜ばれるのでは?と思い、桃のお酒をお供えしたのです。

いつも寒川神社で参拝すると拝殿にはサワサワと優しい風が吹くのですが、その日はザワザワ、ゴーと強い風が吹いたのです。

そこで私は『あのう、もしかしてウビチニ・スビチニ様ですか?』と聞いたのです。そしたら『そうだ』とお返事されたのです。

『やっぱりそうだったんですね!?』と嬉しくなりました。

寒川神社の神宮大麻

もう一つ寒川神社のエピソードがあります。実は、当ブログである日神宮大麻を購入したら、善なるエネルギー体を連れて帰ったというエピソードを書いたのですが、実は寒川神社の神宮大麻だったのです。

当初はどの神社で神宮大麻を購入しよう決めかねていたのですが、寒川神社の御祭神に呼んでいただいたので、寒川神社で神宮大麻を購入しました。

神宮大麻を購入した後で、夫が運転する車の中で眠るこけ、神宮大麻と共に善なるエネルギー体を連れて帰り、そのエネルギー体の方が我が家の神棚に鎮座されています。

寒川神社のエピソードはまだまだあります。

ある日私は、この世の多くの人のためになるようなお願いごとをしました。いつもはお願いごとをしてもお返事を頂けないことが多いのですが、その時は『そなたの願い、叶えられたし』と御祭神が仰ったのです。

『そなたの願いをかなえてあげよう』ではなく『そなたの願いは自然と叶うであろう』と仰ったのです。

このように、参拝者に目をかけてくださる寒川神社の御祭神は本当に愛ある方なのです。モモヒナギ・モモヒナミ様にお会いできる素敵な神社に是非訪れてみてください。

その他にも寒川神社のエピソードは沢山ありますので、また別の機会にブログでご紹介できればと思っております。

最後までお読みいただきありがとうございました!

箱根山上空に現れた鳳凰:オシホミミ様

こんにちは、今日は神奈川県箱根に鎮座する箱根神社について書きたいと思います。江島神社と並ぶほど神奈川では有名な箱根神社、箱根山一帯は強力なパワースポットでもあります。それもそのはずで、箱根にはこの国の発展に尽力された、とても尊い、凄い方が眠りについておられたのです。

美しい朱塗りの箱根神社

箱根神社の由緒を見ると、第五代孝昭天皇の時代に聖占仙人が箱根山の駒ヶ岳に神仙宮を開き、同主峰の神山神体山としてお祀りされたとあります。

御祭神は瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)、木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)、彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)です。

瓊瓊杵尊とはホツマツタヱで言うところの、ニニキネ様を指し、アマテルカミ(天照大神)のお孫さんにあたる方です。奥様のコノハナサクヤヒメ(アツシヒメ)は、静岡県三島を本拠地とした四代目ヤマスミのカグヤマさん江島神社の御祭神エノシマカミであるタキコヒメとの間に生まれた方です。

タキコヒメがアマテルカミの娘なので、コノハナサクヤヒメニニキネ様と同様にアマテルカミの孫になります。

アツシヒメニニキネ様との間にムメヒト様、サクラギ様、ウツキネ様の三つ子の男の子を授かります。三男のウツキネ様ホオデミと呼ばれました。つまり、彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)とはホオデミ様のことです。親子・夫婦で仲良く祀られています。

箱根神社は開運厄除・心願成就・交通安全・縁結びに御神徳の高い神社と言われています。箱根山全体が強力なパワースポットなので、開運したい方におすすめの神社です。

心が洗われるような杉の正参道

箱根山のみどころ

箱根神社の他にも、芦ノ湖の守護神・九頭龍大神を祀る九頭龍神社も霊験あらたかな神社です。九頭龍神社は箱根園・ホテルザ・プリンス箱根芦ノ湖から徒歩30分の場所にあります。ホテル ザ・プリンス箱根芦ノ湖のレンタサイクルも利用できます。(有料)

芦ノ湖畔に鎮座する九頭龍神社

箱根神社の神体山である「神山」を拝する箱根元宮も鎮座しており、箱根駒ヶ岳ロープウェーで山頂に上るとお参りできます。箱根神社、九頭龍神社、箱根元宮をすべて参拝する三社参りを行うと、より御加護を頂けます。

御祭神にあいさつ

箱根神社には夫と何度も足を運びました。御祭神の瓊瓊杵尊様は天孫降臨で有名な方で、九州の高千穂の地でお亡くなりになりました。

九頭龍様のありがたい手水舎

九頭龍様の手水舎で身を清めて、御祭神に挨拶に伺いました。、、が、御祭神がおられない!というか繋がれませんでした。『うーん、なんでだろう』と首をかしげて、今度は芦ノ湖の九頭龍神社に向かいました。

九頭龍神社でも御祭神とは繋がれませんでした。『えーなんで???』という感じだったのです。

九頭龍神社は龍神様がおられる神社で有名なのですが、龍神様にもお会いできませんでした。龍神様の数で言えば、圧倒的に江島神社の方が多いのです。『なぜ、龍神様で有名なんだろう???』と、ここでもハテナマークが浮かんだのでした。

箱根ロープウェイで大涌谷へ

箱根一帯は見どころが沢山あり、一日で全てまわるのは大変です。そのため、観光しきれなかった名所は日を改めて訪れていました。

ある日、芦ノ湖の海賊船で箱根町港から桃源台港まで行き、箱根ロープウェイ大涌谷へ行く旅程を組みました。大涌谷は約3,000年前の噴火によって神山が崩壊して出来た箱根有数の観光名所です。現在も大涌谷一帯は硫化水素を含む噴煙が立ちのぼっています。

圧巻の景色の大涌谷

大涌谷を見学していたら、なんと龍神様がおられました。『なんだ~ここにおられたのか~。』と納得したのです。『なんで山の上なんだろう?』と不思議に思いました。

そして、箱根山一帯の景色に見とれていたら、なんと、鳳凰雲が現れたのです。

写真真ん中あたりに見える横向きの鳳凰雲

急いでシャッターを切りましたが、雲が風で流れてしまい原型をとどめておりませんが、はっきり鳳凰雲が現れたのです。『あれ?龍神様だけではなく、鳳凰様がおられた~。』と感激したのです。

鳳凰雲が意味するものとは

鳳凰雲を説明する前に、鳳凰について説明します。

鳳凰は「おめでたい事が起こる前兆」と言い伝えが有り、羽のある生物の王とされています。

古代より「徳の高い君子が位に就く時に現れる」と伝えられ、中国における宮中行事において用いられてきました。
株式会社メイクワンサイトより引用

次に、鳳凰雲を説明します。鳳凰雲とは鳳凰の形をした雲です。鳳凰雲を見かけたら、スピリチュアル的に運気アップのサイン願いごとがもうすぐ叶うなど、幸運の兆しを意味します。

実は、もう一つ重要な意味があります。それは、王族(日本で言えば皇族ですね)に縁の方がすぐ傍におられる王族・皇族に縁の方があなたを見守っておられるという意味になります。

さて、鳳凰雲の他にも龍神雲も有名ですよね。龍神雲、または龍雲と呼ばれ、龍神様の形をした雲です。龍神雲を見た場合も人生の転機金運の上昇、運気アップのサインです。

龍神様の形をした龍雲

実は龍雲にも別の意味があります。それは鳳凰雲と同じく、王族(皇族)に繋がる方がすぐ傍におられる、あなたを見守っているという意味になります。

そして、龍雲と鳳凰雲はいずれも王族(皇族)に縁の方を表しますが、鳳凰雲は特に皇位継承者を意味します。つまり、箱根山山頂付近で鳳凰雲を見たということは、皇族、しかも皇位継承者がすぐ傍におられるという意味なのです。

私はてっきりこの鳳凰雲ニニキネ様だと思っていたのですが、松本善之助氏の秘められた日本古代史(続)ホツマツタヱを読んで衝撃を受けました。実は箱根山に葬られた方はオシホミミ様だったのです。

アメノオシホミミ様

まず、オシホミミ様とは誰なのか説明します。オシホミミ様とはアマテルカミ(天照大神)正姤ホノコヒメ(瀬織津姫)との間に生まれた皇太子なのです。

あめのしずくトップの画像はオシホミミ様です

実は当ブログトップページの画像はオシホミミ様です。オシホミミ様第九代アマカミになられた方で、イミナオシヒト様といいます。母のホノコさんが早くに亡くなられたため、琵琶湖のほとりの野洲で叔母のワカヒメ様とオモイカネさんご夫婦に育てられます。

そして、第七代タカミムスビタカギさんからアメノミチトノヲシテ(建国理念)に基づくミチ)を学びます。そして、タカギさんの娘のタクハタチチヒメを姤に迎えます。

オシホミミ様は伊勢神宮外宮に近い上御井神社あたりでお生まれになりました。第九代アマカミに就任後は東北のヒタカミに宮を遷します。そして、テルヒコ(ホノアカリ)様・キヨヒト(ニニキネ)様のお二人が産まれます。

オシホミミ様の終焉の地は箱根山でした。そのため、箱根山の神山は禁足地であったのです。箱根山は活火山であり、現在も登山道は立ち入り禁止区域となっています。

父のアマテルカミより先に亡くなられたオシホミミ様は箱根の地で眠りについておられます。神山が禁足地なのも、静かにこの地を見守り続けたいというオシホミミ様の御意思なのでしょう。

大涌谷を散策していた時に一箇所気になる場所がありました。ふと、誰かが見守っているような気配を感じたのです。くるっと振り返ると立ち入り禁止区域でした。

後日、Google mapを確認したら、私が気になった場所は神山に通じる道でした。きっとオシホミミ様が呼んでくださったのだと思うのです。御祭神は神山におられたのです。

オシホミミ様の優しい愛を感じられる箱根山にぜひ訪れてみてください!最後までお読みいただきありがとうございました!

参考図書:池田満氏 ホツマ辞典

ホツマツタヱの豊受大神、天照大神

こんにちは、ホツマツタヱに書かれているトヨケカミ(豊受大神)、アマテルカミ(天照大神)について書いてみようと思います。

ホツマツタヱでは天照大神はアマテルカミ、豊受大神はトヨケカミと呼ばれ、いずれも男性です。

アマテルカミは当ブログで度々紹介していますが、伊勢神宮外宮に祀られているトヨケカミとは一体どんな方なのでしょうか?

豊受大神とは

トヨケカミはタノミコトの子孫

トヨケカミ

初代アマカミクニトコタチ(古代の日本の創始者)にはト・ホ・カ・ミ・エ・ヒ・タ・メという八人のお子様たちがおられました。それぞれトノミコト、ホノミコトのように呼ばれ、木の実の栽培方法や住居の建て方など人々に教えるために全国に派遣されました。

東北地方に派遣された方がタノミコトです。タノミコトの子孫が代々タカミムスビを名乗って東北地方に繁栄しました。

第五代タカミムスビになられた方がトヨケカミです。この方はとても優れた方で、気候の変化で農作物の減収が減った際に、初代クニトコタチの精神に立ち返り、社会を立て直しました。

この功績から、トヨケカミヒカシノキミとしてオホナメヱ(大嘗祭)を執り行うことが認められました。(池田満氏 ホツマ辞典より)そして、同じくタカミムスビ家出身のアメカガミカミの曽孫であるイサナギ様と自身の娘のイサナミ様を結婚させて、第七代アマカミとしました。

トヨケカミが立てた功績は多岐に渡り、祭祀する神体系を整理して、人々の心をひとつにするように努めました。トヨケカミはまつりごとの達人であり、秀でた教育家でもありました。

その他にも、乗馬法、産医学、金属錬金技術、天地開闢の捉え方、死生観、年中行事を通して民を大切に教育されたのです。

池田満氏 ホツマ辞典の系図を見ると、トヨケカミ藤原氏、忌部氏、物部氏、三輪氏といった著名な氏族の先祖にあたります。

天照大神とは?

アマテルカミは第七代アマカミ イサナギ・イサナミ様の間に生まれた方です。トヨケカミがアメ(創造神のこと)に八千回も祈願されて誕生されました。イミナをワカヒト様といいます。

アマテルカミはあらゆる知識を有していたトヨケカミから直々に教えを受け、優れた指導者に成長されました。アマテルカミは残した業績は多岐に渡ります。代表的なものを以下に列挙します。

  • 全国をブロックに分け、それぞれに勅命治政官を任じた。
  • 刑法では数量的に罪を料るサガを教えるミチ(教え)を制定した。
  • 教育・倫理・哲学の面にも多大な影響を及ぼした。
  • 人の真実の幸せを希求し、善を勧めることを眼目とした。
  • 人とは何なのか哲学的な洞察を深めた。

また、夫婦のミチであるイセノミチ、世継ぎを得るためのヨツギノミチ、長命を保つための食養のミチ、子どもを育てるための教育論なども纏められました。

アマテルカミの治世で人々の生活は豊かになり、人々はアマテルカミを慕いました。アマテルカミは功績を立てた人に褒め名をしるした文書(ヲシテ)を下賜されたのです。アマテルカミは褒め上手でもありました。

ここまでお読みいただくと、アマテルカミもトヨケカミも、素晴らしい指導者であったことが分かります。太古の昔から、民衆に慕われ崇拝されていたことでしょう。

天照大神と豊受大神が女性である理由

一般的に天照大神と豊受大神は女性とされています。なぜ、女性神なのかは諸説あります。

説1:推古天皇を正当化するため

近年において、ホツマツタヱを発見された松本善之助氏推古天皇を正当化するため、蘇我馬子聖徳太子アマテルカミを女性に作為して国史を書き換えたと述べています。

私はこの説は根拠として、少し弱いのかなと思いました。なぜかというと、推古天皇以前に神功皇后がおられたからです。

神功皇后は天皇ではありませんでしたが、夫である仲哀天皇の九州熊襲征伐に随伴し、志半ばで崩御となった夫の意思を継いで、熊襲征伐を達成します。それどころか、海を越えて新羅へ攻め込み、百済、高麗まで服従させています。

それだけ神功皇后に家臣を納得させる政治的手腕があったのでしょう。そして、夫の遺児である誉田別尊(後の応神天皇)を出産し、幼い皇子が即位するまで政事を執り行うなど、実質天皇のような存在でした。

神功皇后を前例とすれば、推古天皇を女帝にするのはさほど困難ではないと思います。

説2:持統天皇を正当化させるため

また、持統天皇が天皇に即位することを正当化させるためにアマテルカミを女性にしたという説があります。私はこれも根拠としては弱いと思います。なぜかと言えば、既に推古天皇がおられたので、アマテルカミ女性にする必要がありません。

それに、説1と説2ではアマテルカミが女性にされた根拠にはなりますが、トヨケカミまで女性にされた理由を説明できません。

説3:仏教を推し進めたかったから

これは私の考えですが、仏教を推し進めたい人たちが存在し『仏教は素晴らしんだ!』と民衆に納得させるために、古くから崇拝対象とされていたアマテルカミトヨケカミをあえて女性にしたのではないかと思います。

ホツマツタヱをお読みいただければ、アマテルカミトヨケカミが素晴らしい人物であったことは明白であり、はるか昔から崇拝の対象とされていたと容易に想像できます。

たとえ、仏教を取り入れても、人々はアマテルカミトヨケカミを崇拝し続けるでしょう。

そのため、重要であったアマテルカミトヨケカミ重要でない人に見せるために、女性にしたとは考えられないでしょうか?現代は女性も政治の場で活躍する時代ですが、はるか昔においては、まつりごとは男性が行うものでした。

いくら偉大な指導者であっても、女性であったならば、男性よりも重要感が薄れる感は否めないのではないでしょうか。

諸説読みながら、ふとそんな考えが浮かんだのです。皆さんはどう思われるでしょうか?

人々を幸せにしたくて様々なミチを説いてきたトヨケカミアマテルカミ。そのミチヲシテ文献(は時代と共に忘れ去られていきました。そんなホツマツタヱが昭和41年松本善之助氏によって発見されたのです。

ヲシテ文献では、古語辞典にも載っていない難解な言葉があるにも関わらず、松本善之助氏や池田満氏などのご苦労のお陰で、こうして上古代のアマカミたちについて記された貴重な文献に触れることができるのが本当に有難いことです。

こうして、ホツマツタヱが発見された背後に、アマテルカミオオクニヌシ クシヒコさんの強い意志や願いを感じてなりません。

ホツマツタヱを読んでから変わったこと

ホツマツタヱが偽書ではなく、本物であると思う根拠があります。ホツマツタヱを読む前と読んだ後で、明らかに御祭神の歓迎ぶりが変わったのです。不思議な出来事も沢山起こるようになりました。

また、神社参拝中になぜか沢山鳥が飛んでくるようになりました。以前は鎮守の森にカラスが雀が数羽いるのを見かけるくらいだったのですが、5~6羽、ある時は10羽近く飛んで来たこともありました。

このブログを書くきっかけとなった神奈川県江ノ島に鎮座する江島神社は海にかかる長い橋を渡って神社に向かいます。ある日『ホツマツタヱを読み始めました。』と江島神社の御祭神にお伝えした帰りに、橋の両手すりに沢山のカラスが止まっていたのです。

沢山のカラスが橋に止まっていた

江島神社には何回も参拝していたのに、こんな出来事は初めてでした。また、コノハナサクヤヒメをお祀りする浅間神社の拝殿で祝詞を奏上していたら、カラスや鳩、雀、オナガなど何種類もの鳥がバサバサっと7~8羽ぐらい飛んで来たのです。

こんなエピソードも、ホツマツタヱを本物と信じてる方の励みになればと思いながら書いています。ホツマツタヱを読むと上古代の人々の温かい心が伝わり、幸せな気持ちになります。

多くの方々にホツマツタヱに触れて頂きたいなと思います。

今日はアマテルカミとトヨケカミについて考察を深めてみました。最後までお読みいただきありがとうございました。

アマテルカミはどちらに?

皆さんこんにちは!毎日暑いですが、体調にはくれぐれもお気を付けください。ホツマツタヱを読んだ私は、アマテルカミ(天照大神)が本当に素晴らしく、日本の上古代の指導者が聖人君子であったことに感激しました。

アマテルカミのイメージ

『そんな素晴らしいアマテルカミにお会いしたい!』と心から願い、『そうだ!アマテルカミが祭られている神社に参拝に行こう!』と思ったのでした。

早速、アマテルカミが祭られている神社に幾つか参拝に出かけたものの、お会いできませんでした。(もちろん伊勢神宮比沼嘛奈為神社に行けばお会いできると思いますが、、、)

もっと近い場所でお会いできないだろうか。。。と思って色々調べたのです。

気になった神社

一箇所気になる神社がありました。いときょうさんの古代史ホツマツタヱの旅 第3巻で紹介されていた神奈川県海老名市に鎮座する有鹿神社です。

有鹿神社

こちらの神社は相模国最古の神社と言われています。相模原市南区にある勝坂遺跡のすぐ傍に有鹿神社の奥宮が鎮座していますが、勝坂遺跡の歴史は縄文時代中期(4500~5500年)に遡ります。

相模川を更に上流に向かうと田名向原遺跡がありますが、こちらは約二万年前の旧石器時代の住居状遺構があるのです。そして、神奈川県伊勢原市に鎮座する比々多神社の敷地内には一万年以上前環状配石(ストーンサークル)が原初的な神社の信仰として残されています。

ストーンサークルは古代祭祀場

びっくりするくらい古い!神奈川の神社

つまりこの地は、悠久の太古から人々が生活を営み、祭祀が行われていたのです。そう考えると相模国最古どころか日本最古クラスと言っても過言ではなさそうです。

神奈川の地は太古の昔から人々が生活しやすい場所だったに違いありません。あまり知られていませんが、神奈川県の神社周辺には縄文時代の遺跡が多数存在しています。

神奈川で歴史が古い有鹿神社寒川神社比々多神社の周辺マップをご覧ください。付近に遺跡が多数存在しているのがお分かりいただけると思います。(google map上で出てこない遺跡も多数あります。)

比々多神社周辺遺跡
寒川神社周辺遺跡
有鹿神社周辺遺跡

参考までに三内丸山遺跡の歴史は縄文時代前期~中期(約5,900~4,200年前)まで遡ります。

有鹿神社が気になった理由

御祭神はアマテルカミ

有鹿神社が気になった理由を説明します。有鹿神社略記によれば、御祭神は有鹿比古命(あるかひことのみこと)です。しかし神社庁のホームページでは大日霊貴命(おおひるめむちのみこと)となっています。

いときょうさんの古代史ホツマツタヱ第三巻よると、大日霊貴命とはアマテルカミのことです。アマテルカミはお生まれになったとき「我はうひるぎである」と産湯につけたシラヤマ姫に告げています。

「う」は大いなる、「ひ」は太陽、「る」はみ魂、「ぎ」はきねの略で男性を意味します。この「うひるぎ」に大日霊貴の漢字が当てはめられました。

いときょうさんは、アマテルカミがお生まれになったときの名前を御祭神にしている有鹿神社は相模国最古の神社に相応しいと仰っています。

もう一つの御祭神名 有鹿比古命

ではなぜ、有鹿神社の御祭神は古代文献にも出てこない有鹿比古命なのでしょうか?実は似たような名前の御祭神を祭る神社が近隣に存在します。相模川下流に鎮座する寒川神社です。

寒川神社の御祭神は寒川比古命(さむかわひこのみこと)です。これは何を意味しているのでしょうか?

一般的に神社の御祭神は天照大神大国主命素戔嗚尊といった方々が有名です。しかし古文献に出てこない御祭神ということは、更に時代が古い方と考えるのが自然です。

あまりに昔の人なので、どこかで名前が分からなくなってしまい、土地の名前を取って、有鹿比古命寒川比古命としたのではないでしょうか?

有鹿神社と寒川神社が最古級の神社と言える根拠

あまり知られていないことですが、この両神社の御神体は湧き水なのです。清らかな湧き水は人々の生活に欠かせません。古代の人は聖なる湧き水を神様として崇めていたのでしょう。

清らかな水は田畑を潤す

湧き水が御神体ということは、比々多神社のストーンサークル同様、太古の昔から祭祀として崇められた地であったため、そのまま信仰の地として引き継がれ、社が創建されたと考えられます。

何故アマテルカミが御祭神になったのか

そして、アマテルカミが有鹿神社の御祭神になっている理由は、いときょうさんも仰っていますが、アマテルカミが古くから崇拝されていたこの地に度々訪れていたのではないかと考えられます。

そのためアマテルカミに縁があるこの地に、大日霊貴命の名前でアマテルカミを祭ったのではないでしょうか?アマテルカミはトノミコトを慕っておられたため、トノミコトに縁が深い富士南麓や大山の麓にも足を運ばれていても不思議ではありません。

第三代アマカミトヨクンヌ様比々多神社御祭神なのです。

有鹿神社参拝前に起きた不思議

私はこの神社であれば、アマテルカミにお会いできるのでは?と思ったのです。有鹿神社は小田急線海老名駅から徒歩15分くらいの場所にあります。途中、上郷南の信号を渡らずに県道46号を歩いてしまい、気が付いた時は上郷南を随分過ぎていたのです。

途中信号が無かったので、結局河原口の信号まで歩きました。河原口の交差点は三叉路になっていて、どの方向行ったらよいか分からなくなってしまいました。

その時、森?林?がある方角からカラスが一羽飛んできたのです。そして河原口交差点付近の電柱に止まり、私の方を向いて「カァー」(違うよそっちじゃないよ!)と鳴いたのです。

『すごい!道案内までしてくれるんだー。』と感激してカラスが飛んできた方向へ歩くと、有鹿神社がありました。カラスは黒いので不吉と言われますが、実は神聖な生き物で、神様のお使いなのです。

カラスのお使いまで来るなんて、これは普通の神社ではないと思いました。

有鹿神社の感想

早速鳥居の前で深く一礼して参拝させて頂きます。拝殿の前で御祭神の気配を感じたのですが、ホツマツタヱに出てくるアマテルカミの雰囲気そのものだったのです。私はすぐにアマテルカミだと思いました。

そして、この神社の波動、、、神奈川県伊勢原市に鎮座する比々多神社のトヨクンヌ様に似ています。

とてもお優しい波動で、ものすごく歓迎して下さるのです。私が自己紹介すると、ニコニコして聞いてくださいます。何も語らないので、はっきりアマテルカミです!と断言できないのですが、私はアマテルカミだと思っています。

それに、歓迎のされ方が明らかに違うのです。歓迎レベルを大・中・小に表すと、特大クラスの歓迎です。ここまで歓迎してくださる神社はそうそうありません。

歓迎のハロも出現

禍々しいものや、悪い波動も瞬時に払ってくださいます。色んなことで悩んでいる方、運気を上げたい方は是非訪れて頂きたい神社です。とても波動が高い神社なのです。

神奈川県伊勢原市に鎮座する比々多神社も、ものすごく歓迎してくださいます。有鹿神社同様とても柔らかい波動を持つ神社です。比々多神社はまた別の機会に紹介したいと思います。

海老名市に鎮座する有鹿神社伊勢原に鎮座する比々多神社霊験あらかたな寒川神社を訪れてみても、ホツマツタヱの時代が従順にトノオシエを守っていたことが伝わるのです。

トノオシエとは初代クニトコタチの建国の理念であり、国の中心のアマカミがアメ(天)の恵みを受けて、国民に分かち合うことです。現代風に言うならば、恵民立国であり、最古級の神社はそれを裏付けている気がしてなりません。

アマテルカミにお会いできる有鹿神社、是非訪れてみてください!

最後までお読みいただきまして、ありがとうございました!

武蔵国総社 大国魂神社の産土神様

こんにちは!今日は東京都は府中市に鎮座する大国魂神社について書こうと思います。叔母がこの付近でお店を営んでいたご縁で、両親がこちらの神社で私の初宮参りと七五三をお祝いしてくれました。

一之宮社を思わせる大国魂神社の立派な社殿

写真には残っているものの、昔のことで全く覚えていませんが、子供の頃に従妹達とお祭りに行った記憶があります。毎年開催されるくらやみ祭りはかなり壮大な規模で行われています。

立派な社殿は一之宮社を思わせる風格です。御祭神は大国玉大神(オオクニタマノオオカミ)です。私にとっては産土神です。創建は景行天皇41年(西暦111年)5月5日と伝えられています。

武蔵国 総社とは?

大国魂神社は武蔵国の総社です。武蔵国とは昔の行政区分の呼び名で、現在の東京都、埼玉県、神奈川県の川崎市と横浜市を含むエリアを指します。現在の府中市にかつては国府(行政の中心地区)が置かれていました。

各国府に赴任した国司は令制国で定められた神社を参拝する任務がありました。しかし、すべての神社を参拝することは忙しい国司にとって大変です。そのため、平安時代に入り、国府の近くに総社を設けることで、各神社への巡回が省かれました。(Wikipedia 参照)

手水舎には立派龍神様

大国魂神社は武蔵国の一之宮から六之宮の御祭神が合祀されています。総社だけあってそうそうたる御祭神です。

社伝によれば、景行天皇41年(西暦111年)に大国魂大神がこの地に降臨し、郷民が大国魂大神を祭る社を創建したことが起源とされています。その後、天穂日命(アメノホヒ)の後孫が武蔵国造に任ぜられ、奉仕を行ったと書かれています。

アメノホヒとは?

アメノホヒとは、ホツマツタヱではアマテルカミとお妃の一人であるモチコさんとの間で生まれた第一皇子ホヒノミコト様のことです。ホヒノミコトは第一皇子でありながら、アマカミに就任しませんでした。

正姤ムカツヒメこと、ホノコさんが生んだオシホミミ様が第九代アマカミに就任されたからです。ホヒノミコトは出雲の国譲り後は、出雲国の統治を任されます。

ホヒノミコトは出雲国造とはいうものの、ソサノヲさんのお血筋ではなく、アマテルカミのお血筋なのです。

オオクニタマとは?

大国魂(オオクニタマ)とはクシヒコさんのことです。クシヒコさんオホナムチさんタケコヒメとの間に生まれました。若い頃はコトシロヌシとして、アマテルカミに仕え、出雲に赴任した父のオホナムチさんの後を継いで二代目オオモノヌシとなります。

クシヒコさんは偉大な業績をおさめたため、多くの称え名がありました。オオモノヌシコトシロヌシの他に、ヲコヌシ、ヲコヌノカミ、ヲヲコヌシ、ヤマトヲヲコノミタマカミ、ヤマトノカミなどと呼ばれました。

クシヒコさんアマテルカミの命により、第十代アマカミ ニニキネ様に従って全国を巡回されたとあります。ニニキネ様灌漑事業を成功させ、飛躍的に国を豊かにしました。

クシヒコさんはニニキネ様の最初の宮、ニハリノミヤ(茨城県筑波山周辺)の造営にも携わっていますので、関東の地に現れたとしてもおかしくはありません。

オホナムチさんも関東には頻繁に来られていたと思われます。

参拝前に来てくださったクシヒコさん

今回大国魂神社に参拝することをクシヒコさんには事前にお伝えしていました。(スピリチュアル次元の話です。)

クシヒコさんは晩年、奈良県の三輪山で入寂されました。そのため、三輪山の麓にある大神神社の御祭神はクシヒコさんです。クシヒコさんは関東の神社にも多数祭られており、スピリチュアル的にもクシヒコさんは関東にも本当に良く来て下さるのです。

クシヒコさんは参拝前に私の所に来てくださったのですが、実は意外なところに来られました。大国魂神社の最寄り駅の数駅手前で来られたのです。

そして、禊の雨を降らせて下さいました。禊の雨とは、参拝前に心身の汚れを祓うために、御祭神が雨を降らせてくれる雨のことです。

禊の雨は何回か経験していましたが、大抵鳥居をくぐってから本殿までの間にパラパラ降るという感じでした。今回のように、最寄り駅の数駅手前で禊の雨を降らせてくださるのは初めてでした。

『本殿に来られない理由でもあるのかな?』と思っていたら、クシヒコさんは案の定、拝殿には来られませんでした。何か事情があるのだなと思いました。

大国魂神社の見どころ

大国魂神社の見どころは何と言っても荘厳な社殿です。

広大な敷地を有する大国魂神社

摂社、末社も多数あり、住吉神社、稲荷神社、アメノウズメさんを祭る宮乃咩神社、水神社、松尾神社などが見どころです。アメノウズメさんは安産の神様として崇敬されています。

境内を流れる小川

境内を流れる小川には紙の形代を流す厄落としもできます。(初穂料1体100円)

クシヒコさんの魅力

クシヒコさんの素晴らしさを挙げればきりがないのですが、常にアマカミと国と民の幸せを考えておられたところです。目上の人の判断が誤っていると思ったら、きちんと諫言されるのです。

クシヒコさんの優しさはご両親譲り

目上の人に気に入られようとするなら、余計な諫言はしないとは思いますが、クシヒコさん違うのです。公を重んじて、民のことを考えて諫言されるのです。そして、傲慢になった父を諌めるために蟄居謹慎処分さえ厭わないのです。

クシヒコさんにとって畏敬の存在であるアマテルカミにも諫言されます。そして、父のオホナムチさんも、外祖父にあたるアマテルカミもクシヒコさんの意見をちゃんと聞き入れるのです。

それはクシヒコさんが本当に愛ある人で、人格者で、人間的魅力に溢れていたからだと思うのです。

クシヒコさんのことはまた別のブログで触れていきたいと思います。それでは本日はここでおしまいです。最後までお読みいただきまして、ありがとうございました!

参考図書:池田満氏:ホツマ辞典