アマテルカミの詔 ~ウガヤフキアハセズ様の即位~

こんにちは!今日は前回もご紹介したアマテルカミ(天照大神)ミコトノリを全文でご紹介したいと思います。前回、ミコトノリの全文をご紹介できなかったので、今回は全文をご紹介したいと思います。

アマテルカミは嫡嗣のオシホミミ様お孫様のニニキネ様、それから、玄孫のウガヤフキアハセズ様の即位のミコトノリを出されています。

いずれも感動的でお読みいただくと、アマテルカミの人となりが理解できますし、禍々しいものも秒で晴れると思いますので、是非お読みいただきたいと思います。

ミコトノリの注釈は松本善之助氏の文章を参考にしています。長文につき、幾つかに区切ってご紹介します。

ホツマツタヱ 27アヤ16頁
キアト(日本古暦)年の夏、にウガヤフキアハセズ様の即位に際し、伊勢におられるアマテルカミに報告したので、アマテルカミが詔を出された。

即位の大事を無事終えたのは良かった。本当に良かった。私は安堵しました。トガクシ神に命じ、近江のタガの宮を作り変えて、新たな都を開いたのは大変結構でした。

タガにて輝かしい実績を残されたイサナキ・イサナミ両大神の御稜威にあずかることができるでしょう。

私は昔、高貴な文書によって天の窮理を得ることができました。これは「御祖の道」といっても良いでしょう。

汝に今、「御祖ヲ君」という名を授けようと思います。御祖の神イサナギ・イサナミ両神のようにあってほしいと心から願うからです。

おお「御祖天君」よ。国民の心をよく聴くがよい。可愛いわが子の心の隅々を知る親のように、国民の細かい動きにも敏感であって欲しいものです。

この場合に必要なのは、へりくだる心であり、同時にやわらぎの心も失ってはなりません。あのどうしようもなく狂暴なハタレに対してさえ、基本的にはこの態度で接したのでした。

このように心掛けてクニを治めるならば、役人もおのずからアメナル道を慕うようになるでしょう。

何度でも云うが、温かい心で民を恵む気持ちを怠ってはなりません。

この具体的方法は沢山残されている神々のヲシデの中に残されています。

ヲシデとは文字によって書かれた温かい心の贈りものです。しかし文書が多すぎて要点が攫み切れなくなっているかも知れません。

そんな時には、ヨコベとツウヂにもののタテ・ヨコを調べさせ、整えさせて、闇路を照らすようにしなさい。

カスガを左のトミに、コモリを右のトミに任命するがよい。両神ともかねてからの経験豊かな信頼に値する神々です。

カスガとコモリの力を得て、アメナルミチの天霊を悟るなら、日は月になり、月は年と変わり、年が何度やってきても、

天つ日嗣の栄えることは極まりありません。そうです。絶対に極まりないのです。
アマテルカミ

いかがでしたでしょうか?

美鈴はこの分を読んで、本当に感動したし、涙もボロボロこぼれました。このミコトノリから、アマテルカミがかなり精神性の高い方であったことが伺えます。

叱るでもなく、説教でもなく、温かい心で相手を敬いながら、なおかつ相手を優しく教え諭すことは、決して簡単ではありません。

アマテルカミはそれができる方だったのでしょう。

ここで特筆しておきたいのは、名だたる聖人君子はだいたい紀元前700~500年頃の方ですが、池田満氏の著書によるとアマテルカミが生きておられた時代は、紀元前1.000年頃の方ではないかと推定されています。

つまり、そんな太古の昔から日本には素晴らしい偉人がおられたということなのです。そして、アマテルカミオシホミミ様ニニキネ様即位の際も詔を出されていますが、一貫してアメナルミチの(民に恵みを齎す)精神がぶれていないということです。

数年後は言っていることが違うなんてことはないのでした。

また、別の機会にアマテルカミの素晴らしいミコトノリをご紹介したいと思います。皆様、良い一日をお過ごしください!

アマテルカミの教育

こんにちは!今日はアマテルカミの教育についてお話ししたいと思います。私がいつも参考にしているホツマ辞典を読んでいたら、気になる箇所を見つけました。

その内容をお話するまえに、今日のお話でメインに取り上げるクシヒコさんの息子コモリカミについて紹介しますが、その前にコモリカミの父:クシヒコさんについておさらいします。

オオクニヌシ:クシヒコさん

当ブログでは、過去に沢山クシヒコさん(一般的にはオオクニヌシの名で知られる)は何度も紹介していますが、クシヒコさんソサノヲさんの内孫であり、アマテルカミ外孫に当たる方です。

クシヒコさんの系図

偉大な両祖父を持つクシヒコさんは、御父上のオホナムチさんの後を継いで、オオモノヌシの役職に任じられます。(ちなみに、コトシロヌシというのはオオモノヌシになる前の役職名です。)

モノヌシとはどんな役職?

モノヌシとはモノノベ(今で言う警察官)を統率する役割です。一人のモノノベ3,200家族の面倒を見ていたので、たいへんな数です。実に800人にも及ぶモノノベを管理していたのが、モノヌシという重職なのでした。

モノノベという役割は人の善悪法を教える役目があり、罪を犯すものを捕らえ、軽犯罪は自ら処罰し、軽犯罪にとどまらない場合にはクニツコに報告して判断を仰いでいました。

オオモノヌシという役職はアメナルミチを体得し、アマテルカミの御心を理解されていたクシヒコさんにぴったりの役職ですよね。

クシヒコさん

クシヒコさんの妻ミホツヒメ

タカミムスビ家の第7第当主タカギさんの娘のミホツヒメと結ばれます。このミホツヒメクシヒコさんとの結婚に当たり、琵琶湖西岸ヨロギ(安曇川町西万木付近)薬草園を父から譲り受けます。そして、クシヒコさんとの間にミホヒコという男の子が生まれます。

しかし、クシヒコさんもミホツヒメも大変優秀な方だったので、普通の子として生まれたミホヒコさん自閉症のような症状になりかけます。(優秀な親を持つ子供の苦悩)

子育てに頭を悩ませた、クシヒコさんとミホツヒメアマテルカミに指導を仰ぐことになり、良きアドバイスを得て、ミホヒコさんは右の臣にまで大成します。

ここまで読んで美鈴は思った。

とはいうものの、具体的に教育論が纏められた古代文献はないので、現存している書物から推し量るしかすべがない状態ではあります。

美鈴が思うに、アマテルカミは男性でも惚れるくらい人格が素晴らしいですよね?きっとミホヒコさんの良い所を見抜いて、褒めて、才能を伸ばしたと思うのです。

アマテルカミは相手がどんな人であっても、目下の人でも、敬っておられたし、最大の賛辞を贈る方でした。そのようなアマテルカミの愛を受けて、右の臣にまでなられたのでしょう。また、母上のミホツヒメが持参した薬草園もあったことから、医学にも精通します。

オオクニヌシを祀る神社の由緒に「医学に精通した」と書かれていると思いますが、医学に精通してたのは、クシヒコさんの息子のミホヒコさんのことです。

ミホヒコさんの偉業はそれだけにとどまらず、各地で灌漑事業を各地で起こして、人々のために尽くします。越国、佐渡の地でも新田開発や灌漑工事にも携わります。

三輪氏が栄えた理由:子だくさんのコモリカミ

ミホヒコさんは奥様のイクタマヨリヒメとの間に男の子16人、シラタマヒメとの間に女の子16人、実に32人もの子に恵まれ、子守りに忙しかったためコモリカミと呼ばれます。このため、後の三輪氏は栄えます。

コモリカミの6女イソヨリという方は最初はホホテミ様に嫁ぐのですが、後にハデツミさん三男タケツミさんに嫁いで、タマヨリヒメを産みます。(以前に紹介したタマヨリヒメの系図に追記)

このタマヨリヒメ第十二代アマカミのウガヤフキアハセズ様に嫁ぎ、タケヒト様(後の神武天皇)を産むので、一時は自閉症寸前に陥ったミホヒコさん天皇曾祖父にまでなったということになります。

ミホツヒメ縁の神社

現状ではコモリカミだけで祀られている神社は分かりかねますが、ミホツヒメ静岡県清水市三保御保神社で祀られています。

おまけ

美鈴はミホヒコさんにはお会いしたことがありません。ですが、クシヒコさんには何度もお会いしています。とってもお優しい方です。クシヒコさんに限らず、上古代のご先祖様は皆さまとても優しくて、人格者が多いですね。

参拝者がどんな人であっても、親切にしてくださると美鈴は思っています。

意外なことに、誰でも知っている有名神社にはいないのに、どう見ても地元の人しか来ないよなぁ~みたいなマイナーな神社にリアルに出てきたりします。実はマイナーな神社の方が縁が深かったということなのでしょう。

一度、クシヒコさんの性格を垣間見たことがあるのですが、政治家だけあってかなりの倹約家とお見受けしました。色んなことで、効率的な考えをされますし、行動・言動に無駄が無いんですよね。これはアマテルカミも同じなのです。

警察・検察関係の方?は是非クシヒコさんにお参り頂きたいなぁと思います。

美鈴の育児の悩みも解決?

実は美鈴も育児の悩みは随分抱えていました。子どもがなかなか寝ないし、癇癪が酷い時期があったのです。子育ての悩みって本当に尽きないですよね?

以前にアマテルカミから食養のアドバイスを頂いたと書きました。今でも、アマテルカミのアドバイス通りの食生活を維持しています。野菜中心の生活にシフトしたため、(もちろん大豆・魚介類からタンパク質は摂っています)お菓子・ジャンクフード・惣菜類をほとんど買わなくなりました。

子どもって不思議なもので、親と同じ物を食べます。親がお菓子食べてたら、食べますし、親が野菜を食べるとちゃんと野菜を食べます。

お菓子を買わなくなったので、てっきりお菓子ー。お菓子ー。と騒ぐかと思ったのですが、意外なことに蒸かしたサツマイモやバナナで満足しています。既製品のお菓子をやめて、自然食に切り替えたところ、早寝早起きの習慣もつき、癇癪も収まりました。

つまり食養で育児の悩みの何割かは解決してしまったのです。(やはりアマテルカミは本当に神だった)美鈴の育児の悩みは食生活が原因であると、アマテルカミはちゃんと見抜いておられたのでしょう。

育児のお悩みの方に参考になれば幸いです。アマテルカミの偉業をもっと知りたい方は是非、池田満氏の著書の書籍をお読みいただければと思います。

今日はアマテルカミの教育について取り上げてみました!最後までお読みいただきありがとうございました!

上古代の死生観

こんにちは!上古代のご先祖様は人の死後はどのようになると考えていたのでしょうか?ちょっと見ていきたいと思います。

上古代の方々は精神性が高く、かなりスピリチュアルだったようです。ヤマトタケさんもご自身が置かれた境遇がソサノヲさんと似ていたため、自分はソサノヲさんの生まれ変わりと信じていました。(ちなみにこのお二方は似ている部分も確かにあるのですが、ちゃんと別々の魂を持つ別人でした。)

ヤマトタケさん:今日12月15日はお誕生日ですね!

では、人が亡くなった後の魂(古代では心と考えた方)はどのようになるのでしょうか?

現代では「魂」と聞くと一種のエネルギー体とかアストラル体などの、ある種肉体に宿るものみたいなイメージがありますが、ヲシテ文献(ヲシテ文字で書かれたホツマツタヱやミカサフミなどの古代文献のこと)に出てくる「タマシヰ」という言葉は、心の在り方を表しています。

タマシヰとはどういう意味か?

この「タマシヰ」という言葉は、「タマシヰ」という一語ではなく、「タマ」「シヰ」という二つの言葉から成り立っています。では、それぞれの言葉の意味を見てみましょう。

「タマ」とは、ヒトの意識や記憶、他人を思いやる心、良心などを表し、「シヰ」とは、肉体からくる欲求、すなわち食欲や性欲などを指します。そして、「タマ」は宇宙の源:アモトからもたらされるものと考えられていました。

この「タマ」「シヰ」タマノヲで結び付けられており、人が亡くなるとこのタマノヲが解かれ、タマ宇宙の源のアモトへシヰクニタマ(=地球)へ帰っていくとされていました。

しかし、「シヰ」の欲求が強すぎた場合は死後もアモトへ帰ることが出来ずに苦しむことになります。そして、心がねじ曲がっているとタマノヲが解けずに彷徨い、挙句の果てにはに生まれ変わることにもなります。(もはやヒトではなくなる)

そのため、この迷えるタマシヰを大宇宙の中心に返すためにタマカエシの祭りを行っていました。

このタマカエシの記述は度々ホツマツタヱに散見するのですが、最も大多数が亡くなったハタレの乱では、タケミカヅチさん、ツワモノヌシさん、フツヌシさん、ココトムスビさんが共同してこのタマカエシの祭りを行っています。

理想としては死後に早く大宇宙の中心に帰り、またすぐに地球人として生まれ変わって、人生を楽しむことが良いとされていました。

では、反対に人が誕生するときにタマシヰはどのようにやってくるのでしょうか?

ヒトの誕生時、タマシヰはどこからやってくる?

母親の胎内で受精卵が育ち、妊娠5カ月目くらいになると、胎児はリンゴ1個ぐらいの大きさになります。この時期に「アモト」から「タマ」が下されてきます。そして、「タマ」「シヰ」タマノヲで結び付けられてヒトの心になります。

つまり人の体の中に「タマシヰ」が宿るのがだいたい5カ月目くらいと考えられてたということですね。

ヰクラムワタとは?

フトマニの記事でヰクラムワタという言葉が出てきたと思うのですが、このヰクラムワタとは、人体の構成成り立ちを表す哲学用語になります。「ヰクラ」の「クラ」とは目に目無いものを意味し、「ムワタ」「ワタ」とは内臓を示します。

「ヰクラ」は、更に細かく「ココロバ」、「タマ」、「ミヤビ」の要素に分かれます。それぞれの性質を見てみましょう。

心の動きをここまで細かく把握していたとは本当に驚きですよね。日本人ならではの繊細さはこんな古代からも根付いていたことが分かります。今日は上古代の死生観というテーマでお話ししてみました!最後までお読みいただきありがとうございました!

参考図書:ホツマ辞典:池田満氏著

鎌倉上空に4柱の鳳凰:瀧口明神社 

こんにちは!今日は久しぶりに神社の紹介です。実は伊勢神宮参拝前には、色んな神社からお呼びのお声がかかっていました。それが伊勢神宮参拝後はぴたっとお呼びの声がかからなくなりました。

やはり伊勢神宮最高位かつ最強の神社だったことがあっさり判明してしまった訳なのでした。今回は伊勢神宮参拝前のお話になります。

参拝にお伺いしたのは、神奈川県鎌倉市に鎮座する瀧口明神社で、最寄り駅は湘南モノレール西鎌倉駅です。龍神が現れる神社としても有名ですよね。

瀧口明神社の五頭龍大明神像

ここは前々から大きな龍神がおられるなぁと思っていました。どなたなのだろうと思っていたら、主祭神玉依姫とあります。

瀧口明神社上空に現れた鳳凰

ここに神社なんてあるのかぁと思うような住宅街を抜けて行きます。住宅街を抜けた一角に神社らしき建物が見えてきます。早速入口に向かうと、、、なんとびっくりしたことに4柱の鳳凰が上空に現れたではありませんか!

2柱はペアで現れました

もう1柱

4柱目は大きかったです

4柱の鳳凰は一体どなた?

以前に鳳凰雲について書いたと思いますが、鳳凰は皇位継承者を意味します。とてつもなく巨大な鳳凰雲アマテルカミ(天照大神)を表すとも書きました。では玉依姫をお祀りする神社で4柱の鳳凰(=皇位継承者)が現れたとはどういうことでしょうか?

じつはホツマツタヱを読めばこの謎はすんなり解けます。

タマヨリヒメの出自

まず玉依姫とは一体誰なのか?系図①、②をご覧いただくと分かりやすいでしょう。

系図①は第八代アマカミ(上古代の天皇のこと)アマテルカミ以降の系図を示しています。

系図②をご覧いただくと、タマヨリヒメ第十二代アマカミのウガヤフキアハセズ様イトコであり、また妃であったことが分かります。

ウガヤフキアハセズ様とタマヨリヒメ

ちなみに、タマヨリヒメ祖父ハデツミという方は、九州全域を治めていた方で、カナサキさんという方の孫にあたります。

タマヨリヒメの先祖カナサキさんとは?

カナサキさんは、舟づくりと海運に秀でた初代シマツヒコ7代目の子孫にあたります。造船技術にも長けていたカナサキさんは、大きな漕ぎ舟(カモフネ)を建造して世に貢献します。

カモフネ:あくまでイメージです

また、アマテルカミ実姉であるワカヒメ様養父でもあり、ハタレの乱では主参謀としてアマカミを支えたため、アマテルカミから厚い信頼を得ていました。

そして、カナサキさんの娘のハヤアキツヒメ(アキコヒメ)(大祓の祝詞にも出てきますよね)はアマテルカミの妃に上がり、アマツヒコネさんを産んでいます。タマヨリヒメはそのような名家のお生まれなのでした。

4柱の皇位継承者

では、タマヨリヒメにまつわる4柱の鳳凰は誰なのかを考えてみましょう。2柱は簡単に分かります。まず夫君ウガヤフキアハセズ様ですよね。それから、お子様のタケヒト様(神武天皇)でしょう。

では、あと2柱は誰なのか?上の系図から見れば、夫君のウガヤフキアハセズ様の父ホホテミ様、そして一番大きい鳳凰はその御父上のニニキネ様だと思います。

ニニキネ様

では、なぜこんなに沢山の皇位継承者が出てこられるのか?これは美鈴の推測ですが、恐らく由緒が正しく伝わっていない等の理由で御祭神がお困りなのだと思います。

実は、御祭神は神社に書かれている祭神名および由緒はきちんと把握されています。つまり、御祭神名を見て「ここは確かに自分を祀る神社である」と分かるけれど「由緒を見る限り、明らかに自分のことは書かれていない」となると、不在ということになってしまいます。

御祭神はご自身のことを参拝者に正しく把握して欲しいと思っておいでなのです。ちなみに当ブログで紹介した御祭神から、ことごとくお礼を伝えて頂いているので、ホツマツタヱに書かれていることは、やはり合っているのだと思います。(先日もイサナギ・イサナミ様がお礼を伝えに来てくださった。)

タマヨリヒメの夫君フガヤフキアハセズ様

第十二代アマカミウガヤフキアハセズ様とはどんな方なのでしょうか?ホツマツタヱミコトノリが残されていますので見てみましょう。長文のため中略しています。

タケヒト(神武天皇)とタネコしっかり聞くがよい。この頃は食物が豊富で十分であるのに、人心はダレ、小利口に過ぎるようだ。(中略)心を暗くするのは、何ともいいようもないほど素晴らしいアマテルカミがカミアガリされたことだ。そうなると不安なのはこのアメナルミチ(恵み和す精神)を身をもって守っていく神がいなくなりはしないかということだ。(中略)汝タケヒトはいまや十五歳だから、もう立派に成人である。タネコの援助を得て治めてゆくがいい。ここに治国の基本となるべき精神と具体的方法を述べた沢山のフミがある。本来はタケヒトに渡すべきだが、一時タネコに渡すことにする。このフミを熟読して、タケヒトを助けて貰いたい。(ホツマツタヱ27アヤ)

ここで出てくるタネコとは、アマノコヤネさんの孫で、タケヒト様が5歳の時から御守役・後見役を務めています。このミコトノリが出された後にウガヤフキアハセズ様は吾平山上陵(鹿児島県鹿屋市吾平町)でカミアガリされます。アメノミチをしっかり体得されていた方だと伺えます。

吾平山上陵

結構、衝撃的な事実

ウガヤフキアハセズ様は一般人にはあまり馴染みのないアマカミ(上古代の天皇)ではありますが、実は京都市左京区下鴨泉川町に鎮座する下賀茂神社(賀茂御祖神社)に本来祀られるべき方はウガヤフキアハセズ様なのだそうです。

ホツマツタヱには、ちゃんと根拠があります。賀茂御祖神社の「御祖」とはウガヤフキアハセズ様を指す言葉だからです。

下賀茂神社

ここはアマテルカミのミコトノリをホツマツタヱの原文から見てみましょう。

ワレムカシ(われ昔) アメノミチウル(天の道得る)
カグノフミ(カグの文)ミオヤヲカミヲ(御祖ヲ神を)
サヅクナモ(授く名も)ミオヤアマキミ(御祖天君)
コノココロ(子の心) ヨロノマツリヲ(ヨロノマツリを)
キクトキハ(聞く時は)カミモクダリテ(神も下りて)
ウヤマエバ(敬えば) カミノミヲヤゾ(神の御祖ぞ)(略:ホツマツタヱ27アヤ)

このミコトノリウガヤフキアハセズ様の即位の際に、アマテルカミが出されたものです。アマテルカミはウガヤフキアハセズ様に御祖天君の名を授けたことが分かります。

そのため、古来より下賀茂神社ウガヤフキアハセズ様主祭神としてお祀りしていたらしいのです。そうすると、配神として妃のタマヨリヒメウガヤフキアハセズ様の舅であるタケツミさんが祀られていることにも綺麗に納得できます。

タマヨリヒメにご挨拶

大分話がそれましたが、参拝記にもどります。鳥居をくぐって、本殿で丁寧にタマヨリヒメにご挨拶をします。タマヨリヒメの柔らかい波動を感じることができ、とても歓迎して頂きました。丁度、神社の本殿に集まった子どもたちに向けに祭事が行われていました。

とても波動の良い神社でパワーを頂きました。タマヨリヒメの柔らかい、女性らしい、癒しのパワーを頂きたい方は是非ご参拝ください。

タマヨリヒメにまつわる方々のエピソードも追々ご紹介したいと思います!最後までお読みいただきありがとうございました!

参考図書:ホツマ辞典/池田満氏著

上古代の占い?フトマニについて

こんにちは!今日はヲシテ(古代文字)で書かれた古代文献フトマニについてご紹介したいと思います。

フトマニとは占いの方法を意味しますが、もっと具体的に言うと、占いの卦をベースにして詠まれた128首のウタ(和歌)のことです。

上古代において、ウラナイモトアケという図を用いてを出し、物事の判断を行っていました。この図の中に書かれている文字がヲシテ(古代文字)になります。

モトアケの図

ヲシテ文字を始めてみる方もおられると思うので、分かりやすいようにカタカナにした図をご覧ください。

実際にどのように卦を出していたのかは不明ですが、例えば上図の左下にあるように、「ア」・「ヤ」・「マ」という卦が出たとします。そして、ウラナおうとする状況に照らし合わせて、アヤマコトタマがどのような意味を示すのかを考えます。

その場合、アヤマの3文字から多くの物事を判断するのは困難なため、3文字の卦をベースにしたウタ(和歌)が128首作られました。

フトマニの素晴らしさ

このフトマニウタ(和歌)は、第八代アマカミのアマテルカミ(天照大神)の発意によって詠まれ、アマテルカミが晩年の時に編纂されました。

この128首のウタアマテルカミの人生の集大成とも言うべき内容が詠まれており、アマテルカミの御心を窺い知ることができるとても貴重なウタ(和歌)なのです。

このブログで全てを紹介するのは難しいので、詳細は池田満氏の著書をご確認ください。ちなみに、ヲシテ文字(48文字)を覚えてしまえば、ホツマツタヱやフトマニを原文で読めるようになります。

モトアケとは?

話を少し戻して、そもそもモトアケとは何なのでしょうか?

モトアケとは宇宙の始まり、または世界の始まりを意味します。このモトアケの図には、ヨソコ(49神)が書かれています。中心に位置するアウワは、天地・宇宙で言えば絶対神アメミヲヤ、人間界で言えば初の人類ミナカヌシ、クニトコタチ、キタノホシ(北極星)を指します。

アウワの一段下が、「トホカミヱヒタメ」と書かれています。このト・ホ・カ・ミ・ヱ・ヒ・タ・メとは、初代クニトコタチが各地方に遣わした8人の御子のことです。

その他にも方角季節の守り神を表し、南・夏北・冬左・春右・秋を意味します。(その他の意味は下図をご参照ください)

更に一段低くなると、アイフヘモヲシスの文字があります。以前にご紹介したアワウタの頭文字と取ると、アイフヘモヲシスになります。

アイフヘモヲシスはどのようなカミなのか見てみましょう。

アイフヘモヲシスの下は更に一段低くなり、ミソフカミ(32神)が配されています。このミソフカミとはアカハナマ(48音)からトホカミヱヒタメアイフヘモヲシスを除いた32音から成り、人のミメカタチ(顔や姿形)を成すと考えられていました。

このモトアケ(49神)アメミヲヤ(絶対神)または大宇宙を形どったものであり、ヒト(人)大宇宙の縮図で小宇宙と考えられていたので、モトアケヒト(人)を形どったものであると言えます。

モトアケの図を考えたのは誰?

モトアケの図を作られた方は、伊勢神宮外宮に祭祀されているトヨケカミ(豊受大神)です。トヨケカミヒタカミ(東北)名家タカミムスビの第5代当主であり、ヒタカミのクニの改革に取り組みました。

その一環として、祭祀する神体系を整理して、人々が心をひとつに合わせるようにしました。これにより人心が安定し、食糧生産に復興をもたらしました。それ以外にもトヨケカミの功績は目を見張るものがあり、枚挙にいとまがありません。

トヨケカミの功績はまた別の機会に紹介したいと思います。

フトマニを読んでみて

では、実際にフトマニを読んでみると、すっと読めるものもあれば、何度読んでも意味が分からないウタも沢山あります。ただすごく不思議なのが、意味も分からないのに、読んでみて自然と涙が出てきたことです。(自分でも驚きました)

その時にフトマニは、ヲシテ文字を翻訳して読むものではなく、心で読むものだと思いました。

そもそもアマテルカミの性格を考慮すると、恐らく誰が読んでも意味が分かるように詠まれたと思うのです。そのため難解な言葉の羅列にはなっていないと思います。

とは言っても、何度読んでも意味が分からないウタもあり、その場合は「新訂 ミカサフミ・フトマニ」池田満氏著をお読みいただくと、分かりやすい注釈を付けてくださっているので、たいへん参考になると思います。

アマテルカミの壮大な愛が伝わるウタでもあり、琴線に触れるウタではありますので、今回ブログで取り上げてみました。

どのウタも本当に素晴らしいのですが、1首ご紹介して終えたいと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました!

参考文献:ホツマ辞典/新訂 ミカサフミ・フトマニ 池田満氏著