ホノススミ様とホホテミ様(前編)

こんにちは!今日はニニキネ様アシツヒメとの間に生まれた三つ子のお子様のお話をしたいと思います。次男のホノススミ様三男のホホテミ様のエピソードです。

また、「鯛が神様への第一等のお供え物になった由来」更に、「神社に狛犬が置かれるようになった」エピソードも盛り込まれていますので、是非お読みください。

さて、ニニキネ様の次男ホノススミ様カニノクサ(瘡の病:皮膚病の一種)を患っておられたため、治療のためタカシマ(琵琶湖西岸高島)シラヒゲの社(現:白髭神社付近)に来られていました。

白髭神社 滋賀県高島市鵜川

治療にはスセリクサ(芹の一種)が用いられたため、ホノススミ様スセリミヤ、またウカワ(鵜川)で釣りをよくしたため、ウミサチとも呼ばれていました。

お互いの弓矢と釣り道具を交換する

そこへ、北津にあるイササワケのミヤ(現:敦賀市気比神宮)から弟のホホテミ様がやってきて、このウカワはご自身のイミナ(実名)に縁のある場所なので住みたいと兄に言います。

ホノススミ様は「なんて勝手な言い分だろう」、「弟に一泡吹かせてみよう」と思いました。

ヤマサチことホホテミ様

ホホテミ様は山で狩りをすることが得意であったため、ヤマサチと呼ばれていました。ホノススミ様「お互いの釣り道具と弓矢を交換しようではないか」と提案します。

ホホテミ様「それはいい!きっと愉快なことがあるでしょう」と喜んで兄の申し出を受けました。兄は釣り針を結ぶ糸が今にも切れそうなのをそのままにして、釣り道具を弟に貸したのでした。

互いの釣り道具と弓矢を交換する

兄は慣れない弓矢を持って、山に狩りに出かけ、弟は釣り道具を持って、船を漕ぎ出しました。案の定、結果は散々で、お互いに獲物が取れないまま帰ってきました。

ホノススミ様は弟に「弓矢を返すから、釣り道具を返してくれ」と言いました。しかし、ホホテミ様は釣り針を失くしてしまい返すことが出来ません。そこで、新しい釣り針をこしらえて兄に渡すのですが、「あの釣り針でなければ嫌だ」と言って聞きません。

ウミサチことホノススミ様

切羽詰まったホホテミ様はご自身の太刀をつぶして、山盛りの釣り針を作って兄に届けました。すると兄はなおも怒って、「元の釣り針でなければ受け取れない!」と粘るのでした。落ち込んだホホテミ様は海辺にたたずみ、「どうしたらよいだろう」と頭を悩ませます。

シホツツの翁が現れる

ホホテミ様がふと海辺を見ると、ワナにかかっていました。可哀想に思ったホホテミ様は雁に巻き付いた縄をほどいてやります。すると突然、シホツツの翁が姿を現しました。

「なぜ、そのように心配されているのですか」シホツツの翁が尋ねます。ホホテミ様はことの全てを話すと、「ご心配なさいますな、この翁が一計を案じましょう」と言うのです。

翁は結び目のない堅網を、歌札に書きつけた自分のウタと共に、籠の中に入れました。そして、ワニ船(帆がついた古代の高速船を指す)に籠を乗せ、ホホテミ様も船に乗るように伝えました。

結び目のない網とは大きめの魚を取る際に用いた思われる

ハデツミさんのミヤに辿り着く

船は日本海を西南し、関門海峡から周防灘を経て、ウマシ浜(日南海岸:鵜戸神宮付近)につきました。そこには、九州全域を治めていたハデツミという方のミヤがありました。

ハデツミとは以前もご紹介した方で、九州全域を治めていたカナサキさんの孫に当たります。このハデツミさんの娘がトヨタマヒメです。

ホホテミ様は籠を船に残したまま、ハデツミさんのミヤ瑞垣まで歩きます。そして、高殿に着いた頃にはすっかり、日も暮れていました。丁度大晦日の夜だったので、お庭には篝火(かがりび)が赤々と燃えていました。

瑞垣とはミヤの周囲を囲む垣根のこと

そして、海女さんたちが初日の出を仰ごうと、庭園いっぱいにユズリ葉を敷き詰めて待っていました。

夜が白々と明けると、海女さんたちは水を入れる器を持って出てきました。海女さんたちと一緒に居たハデツミさんの娘のトヨタマヒメが井戸のつるべを汲み上げると、水に若い青年の姿が映っているではありませんか!

ホツマツタヱには胸キュンエピソードが多いのであった

ホホテミ様の姿に気づくトヨタマヒメ

驚いたトヨタマヒメは急いで高殿に戻り、両親に知らせます。それを聞いたハデツミさんは遠くから若者の姿を覗いてみます。服装から見ても、普通の身分の方ではありません「あの方はアマツカミの方であろう。なんと珍しいお客であることよ」と言って、高殿に新しい八重の畳を敷いて迎えます。

ハデツミさんがホホテミ様にここへ来た理由を尋ねると、釣り針を失くしてしまった経緯を一部始終打ち明けたのでした。

あれこれ策を思考しているうちに元旦の朝になりました。そこへ、鵜戸海岸の警備を担当していた人がやってきました。「浜辺に籠と堅網が打ち上げられていましたが、一体どなたのものでしょう」ハデツミさんが籠を覗くと、歌札が添えられた目の無い堅網を見つけました。

歌札には、こんなウタが書かれていました。

ハデカミさんがミヤに仕える多くの海女さんたちに聞いてみます。網を曳(ひ)く海女さんも、釣り糸を絡る海女さんも、この結び目の無い堅網は使えそうもありません。しかし、網を打つ海女さんは使うことができました。

お正月に鯛を食べる習わしとなったエピソード

そこで、ハデカミさんはこの海女さんと多くの海女さんをシホツツの翁の網を持たせて、投網をさせます。すると、グチという魚をくわえた大鯛がやってきました。海女さんがこのグチを覗き見ると、何と!釣り針を飲み込んでいるではありませんか!

早速、海女さんは捕らえた大鯛を生け簀に入れてハデカミさんに伝えます。

ハデカミさんはその出来事を既に夢で見て知っていました。夢の中でその大鯛は、

「ご覧のとおり私は魚なので大君(=ホホテミ様のこと)にお尽くしすることはできません。それで御奉公のつもりで釣り針を飲み込んだグチをお捧げしたいと思い参上いたしました」

「また私を大君の食料として食して頂けましたら、たいへん光栄でございます」と言ったのです。

大いに喜んだホホテミ様は次のように語られました。

ヨトヒメの名を賜るホホテミ様

「あっぱれ大鯛よ。鯛はまさに魚の君と言うべきぞ。望み通り鯛を食料として受け入れることにしよう。鱗は水に山を写したように、立派ではないか。これを機にグチとは一切かかわりを持たないことにしよう。」

そのため、神様への第一等のお供え物として鯛が捧げられるようになったのです。

大鯛を見つけた海女さんもお褒めにあずかりヨトヒメという名を賜りました。

このヨトヒメを祭った神社が佐賀県佐賀市大和町 与止日女神社とされています。「ヨ」とは「善い」「ト」は数字の「十」で、善良で完全なヒメという意味になります。最高の誉め言葉を賜るところが、アマテルカミ(天照大神)に似ておられますよね。

与止日女神社

さて、まだお話は続きますが、長くなりましたので、次回に続きます。最後までお読みいただきありがとうございました!

参考図書:ホツマ辞典 池田満氏/秘められた日本史(続)ホツマツタヘ 松本善之助著

ニニキネ様とコノハナサクヤヒメ(後編)

こんにちは!前回の「ニニキネ様とコノハナサクヤヒメ(前編)」の続きのお話になります。

突如、現れたが燃え盛る炎の中から赤子を次々と助け出し、三つ子のお子様は無事に一命を取りとめたのでした。

この様子に気づいた付近の人々が大急ぎで火を消し、やっとのことで、アシツヒメを室屋の中から助け出しました。

そして、ヒメとお子様がたを輿に乗せてサカオリノ宮まで運び、伊勢におられるニニキネ様に大至急使いを走らせて、この一大事を伝えたのでした。

使者が街道筋に当たるシロコを通ると、アシツヒメがかつて誓いを立てて植えた桜の木が見えてきました。

桜は時季外れにも関わらず、アシツヒメが三つ子をお産みになった六月初日(現在では7月15日頃に当たる)からずっと咲き続けていたのです。

驚いた使者は一連の出来事と共に、シロコの桜のこともニニキネ様にお伝えしました。

ニニキネ様の誤解が解ける

このことを聞いたニニキネ様はたちまち誤解が解け、アシツヒメの潔白を知るのでした。居ても立ってもいられないニニキネ様は急いでカモ船(櫂がついた船)に乗り、全速力でオキツ浜(現:駿河湾興津付近)に辿り着きました。

ニニキネ様の到着はサカオリノミヤで静養していたアシツヒメの耳に届きました。しかし、ヒメは一室に閉じこもったきり、ニニキネ様に会おうとはしません。

この様子を使者から聞いたニニキネ様はじっと考え込み、ウタミ(短冊のようなもの)にありのままの心をウタにして書き留めました。

そして、このウタオキツヒコさん(ソサノヲさんの孫にあたる)を勅使に立てて、アシツヒメに届けさせます。

一室に閉じこもっていたアシツヒメはそっとニニキネ様ウタを覗いてみます。そこにはこんなことが書かれていました。

ニニキネ様のウタを読むアシツヒメ

沖つ藻=ニニキネ様を指し、浜つ千鳥=アシツヒメを例えて詠んでいます。「私が疑いを晴らして手を差し伸べているのに、ヒメはまだ心を閉ざしているのか」という意味になります。

かなり上手なウタですよね。「沖つ」ニニキネ様が到着した「オキツ浜」とかけていて、浜辺に打ち寄せる海藻をご自身に、さ寝床はアシツヒメに例えています。率直かつ純粋なウタです。

即興でここまで凝ったウタを詠めるニニキネ様は相当頭が良い方だと分かりますし、駆け引きや計算が無い、純粋で素直なお人柄も伺えますよね。

さて、話を本筋に戻します。

アシツヒメの恨みは消えて

ニニキネ様ウタを読んだアシツヒメは胸につかえていた恨みが解けて、晴々とした気持ちになりました。そして、我を忘れて裸足のまま、裾野を駆け下りてオキツ浜へ向かいます。この様子はホツマツタヱに以下のように書かれています。

アシツヒメの喜びと感動が伺える一節

ニニキネ様はたいそう喜んでアシツヒメを迎え、輿を並べてサカオリノミヤに向かいます。

そして、サカオリノミヤに着いたニニキネ様は喜びいっぱいで以下のように勅(みこと)のりをしました。

ニニキネ様とアシツヒメ

先日、アワ海(琵琶湖)を北辺を通った際、三月だったが遅咲きのが見事であった。次にタカシマ(滋賀県高島郡)に差し掛かると、今度はが見事であった。そして、ウカハ(高島郡鵜川)でサルタヒコに出会った時は卯の花が盛りであった

「それぞれの花を折りかざして愛でたものだが、その花々がわが子の胞衣の模様となって現れたのは何という瑞兆であろうか。だから三人の子にはこれらの花の名前をつけることにしよう」

「第一子はホノアカリと名付け、イミナ(=生涯持ち続ける名前のこと)はムメヒトにしよう。次の子はホノススミサクラギ、末の子はヒコホホテミウツキネがいいだろう」

そして一息入れ、やさしい眼差しでアシツヒメを見やりながら、こう言いました。

「ヒメが子を産んでからシロコの桜の花が絶えない。だからヒメコノハナサクヤヒメと名付けよう」そう、実はコノハナサクヤヒメと名付けたのは夫君のニニキネ様なのでした。

そして、富士山が良く見えるこの地に宮を建てて、末永く住むことになったので、浅間神社祭神コノハナサクヤヒメになっています。また、自らの乳で三人の子を育てたため、子安神として、子安神社祭神にもなっていると思います。

シロコの桜は三重県鈴鹿市に鎮座する比佐豆知神社付近に、白子不断桜として今も残されています。桜の木の寿命は100~150年と言われているので、都度植え替えられてきたとは思いますが、伝承が今に伝わっていると思われます。

三重県鈴鹿市に鎮座する比佐豆知神社

あとがき

実はこのエピソードの更新を心待ちにしておられるお方がいました。ニニキネ様はもちろんのこと、実はアシツヒメも楽しみに待っていて下さっていたようなのです。

機会があったら書きたいと思いますが、アシツヒメには一度浅間社でお会いしています。かなりスピリチュアルな方だと思いました。(竜のエピソードもありますし)

多くの方々に本当のご自身のエピソードを知ってもらえるのが本当に嬉しいというお気持ちが伝わりました。(先日、早速お礼にも来てくださいました)

カグヤマさんタキコヒメ、それからソサノヲさんは美鈴が参拝した際はいつも優しく、慈しんで下さいます。昔のエピソードを読んで驚くこともありますが、今も参拝者の方々を優しく見守って下さっていることもお伝えしたいと思います。

ニニキネ様は他にも随所でエピソードが見られますし、本当に素敵な方なのです。

ホノアカリ様は長男であったためアマカミには即位しますが、ニニキネ様は灌漑事業により、民を生活をより豊かにしたため、祖父のアマテルカミ(天照大神)からミクサタカラを授けられます。そして、ニニキネ様のお血筋が本流となります。

ニニキネ様のエピソードはまたご紹介したいと思います。それでは、最後までお読みいただきありがとうございました!

参考図書:秘められた日本古代史:ホツマツタヘ 松本善之助 著 

ニニキネ様とコノハナサクヤヒメ(前編)

あけましておめでとうございます!本年もどうぞよろしくお願いいたします。

前回ニニキネ様のお話を書いたので、ニニキネ様奥様のアシツヒメ(一般的にはコノハナサクヤヒメの名前で知られる)のエピソードと何故コノハナサクヤヒメと呼ばれるようになったのか?について書きたいと思います。

まず、アシツヒメとは一体どなたなのか?系図を見て頂くと一番理解が早いので、ご覧ください。

アシツヒメ(コノハナサクヤヒメ)

系図を見ると、ニニキネ様アシツヒメも共にアマテルカミ(天照大神)ということが分かります。

ニニキネ様ホノコヒメのお血筋で、方やアシツヒメハヤコヒメのお血筋です。ハヤコヒメアマテルカミの弟ソサノヲさんと恋仲になり、嫉妬したハヤコヒメはソサノヲさんの婚約者候補を次々殺める罪を犯しました。

ハヤコヒメとソサノヲさん

そして、ハヤコヒメの姉:モチコヒメも同じくアマテルカミの妃であり、アマテルカミの正妃であるホノコヒメをひどく恨んだため、ハヤコヒメホノコヒメは一筋ならではいかない間柄であったということを、念頭に置いておく必要があります。

ニニキネ様アシツヒメが結ばれることで、このお二人の血が一つになるのですが、なんとも胸の痛い出来事が起きてしまいます。(正直、このエピソードを書くのは辛かった。)なので、御祭神もそういう過去があったんだという視点でお読みいただければと思います。

そして、このエピソードを広く周知したいと願っておられる方は、他でもないニニキネ様なのですよね。ご自身のことを正しく知って貰いたいと心底思っておいでなのです。

ニニキネ様、アシツヒメと結ばれる

さて、話を元に戻して、ニニキネ様サカオリノミヤ(富士山本宮浅間大社付近)に来られた際、宮を預かっていた四代目ヤマスミのカグヤマさんが娘のアシツヒメと共に、ニニキネ様をもてなし、その夜にニニキネ様アシツヒメは結ばれます。

ヤマスミさんとは瀬織津姫ホノコヒメを輩出した駿河の名家オオヤマスミ四代目で、安房神社の祭神であるフトタマさんと共にニニキネ様兄ホノアカリ様に仕えていました。

ニニキネ様の兄ホノアカリ様:アスカヲキミとも呼ばれる

ちなみに、神奈川県伊勢原市に鎮座する大山阿夫利神社御祭神:大山祇大神とは、このヤマスミ(カグヤマ)さんで間違いないと思います。美鈴はご本人にお会いしています。

大山阿夫利神社

そして、カグヤマさんの奥様タキコヒメとはアマテルカミの娘であり、神奈川県藤沢市に鎮座する江島神社辺津宮の御祭神です。

なお、アシツヒメ富士山本宮浅間大社主祭神になっていますので、このヤマスミファミリーは仲良く近隣の神社にお祀りされているということですね。

富士山本宮浅間大社

さて、ニニキネ様と結ばれたアシツヒメはたった一度の逢瀬で懐妊します。

暫くの後、今度はイズサキ(伊豆半島付近)の行宮に来られたニニキネ様アシツヒメの懐妊を喜び、伊勢のアマテルカミに報告しようと言って、アシツヒメを連れて伊勢に向かう準備をするのでした。

一方で、アシツヒメの母タキコヒメ長女のイワナガヒメニニキネ様にめあわせたいと思っていました。そこで、ニニキネ様アシツヒメ以上に手塩にかけた娘がいると伝えます。

ニニキネ様イワナガヒメを召すのですが、お気に召さなかったニニキネ様タキコヒメの申し出を断ります。そのことを知ったカグヤマさんは怒り、タキコヒメイワナガヒメと共に追い返そうとします。

傷心の二人はアシツヒメに怒りの矛先を向け、ニニキネ様のお付きの女官を通して「アシツヒメが身ごもったのは他に男性がいたからだ」と耳打ちします。

その言葉を信じたニニキネ様は伊勢に向かう途中のシロコ(三重県鈴鹿市白子)の宿までにアシツヒメと共に来ていたのですが、アシツヒメを残したまま、伊勢に向かってしまいます。

驚いたアシツヒメは身重の体で松坂まで歩くのですが、お付きの者に止められて、シロコまで引き返します。

アシツヒメはその昔、曾祖父のサクラウチホノコヒメの父)が宮中に桜の木を植えて、花の咲き具合で男女の仲が正しく行われているか占った故事を思い出して、一本の桜の木を植えます。

桜の木を植えるアシツヒメ

アシツヒメは「私がこんな目に遭うのは誰からの恨みを買ったからに違いない。桜よ、どうがこの恥を濯いでおくれ」

そして、「私のお腹の子がアダ種ならばしぼみ、マサ種であるなら産む時に咲いておくれ」といって、三島の実家(三島大社付近)に戻ります。

三つ子の男の子を出産

月満ちて、六月初日三つ子の男の子を産みました。不思議なことに、赤子の胞衣(胎児を包む膜)の模様が、長男は梅、次男は桜、三男は卯の花に見えました。

不思議に思ったアシツヒメは伊勢におられるニニキネ様に知らせましたが、何の返事も貰えません。依然として、ヒメに対する疑いは晴れていなかったのです。

返事が貰えないことで、アシツヒメは更に悲しみ、富士の裾野に出口のない室屋を造らせて、周囲を柴の垣根で囲い、三人の子供と室屋の中に入って誓いを立てました。

「この三人の子がアダ種ならば、子と一緒に私は焼け死ぬでしょう」と言って、室屋に火を付けます。

たちまち火の海になった室屋から、熱さに耐えかねた赤子はもがき這い出そうとします。

その時、遠くの峰でこの様子をじっと見ていたが急に舞い降りてきて、そして水を吐き出し、一人づつ子を導き助け出したのでした。

長くなりましたので、前編はこの辺で終わりにしたいと思います。続きは後編でご紹介します。

最後までお読みいただきありがとうございました!

参考図書:「秘められた日本古代史 ホツマツタヘ」