ウガヤフキアハセズ様の遺勅

こんにちは!今日は前回の続きで、ウガヤフキアハセズ様の遺勅を紹介します。

ご高齢となられたウガヤフキアハセズ様ミヤサキノミヤ(現:宮崎神宮)にタケヒト様(神武天皇)とタネコさん(アマノコヤネさんの孫)を呼びます。

その時に語られた遺勅を紹介します。過去の記事でも取り上げていますが、今回は全文の紹介です。

ホツマツタヱ二七アヤ四三頁
タケヒトとタネコ、しっかりと聴くがよい。よくよく思うのに、この頃は食物が豊富で十二分にあるので、人心はダレ、小利口にすぎるようだ。

寿命もとみに短くなった。先の神々の世は千年も万年も生き続けたのに、この頃はどうだ。私は八十万年も生きているが、今では百年生きるのがやっとだ。

また、心を暗くするのは、何とも言いようもないほど素晴らしいアマテル大神がカミアガリされたことだ。

そうなると、不安なのは我々の大目標アメナルミチを身をもって守ってゆく神がいなくなりはしないかということである。

また共にこの道を讃え、励まし合いながら、生きてゆく人物もいないということだ。

これは何としても心残りである。汝ら二人が在世してくれるのは心強いが、それとて生身の体である。

もしものことがあれば、二人では心もとない。イツセ(長男)には子がない。

汝タケヒトはまだ若いが人物は優れており、次代を背負うスヘラギ(天皇)としては十分である。

タネコ、汝もよき配偶者を見つけ、世継ぎを得るようにせよ。

タケヒトよ。汝は今や十五歳だから、もう立派に成人である。タネコの援助を得て治めてゆくがいい。

ここに治国の基本となるべき精神と具体的方法を述べた沢山のフミがある。

上文の続き

本当はタケヒトに渡すべきものだが、一時タネコに渡すことにする。よくこのフミを熟読玩味してタケヒトを助けて貰いたい。

先にミクサ(三種神器)の内のカガミは汝の父オクシモに渡し、またヤヘガキノツルギはクシミカタマ・ワニヒコに授けた。

この二つの宝物はわが妃のタマヨリヒメが預かって上カモのワケイカツチ宮に治めてある。

それらを大切に奉持せよ。最後に言う。大事なのは「ホツマ」になるきるということだ。そうなれば自らミクサの宝は偉大な力を発揮する。これこそ我が確信である。

大きな時代の変遷を予知しておられたのでしょうか?後代を心配するウガヤフキアハセズ様の御心が痛いほど伝わってきます。

そして、アマテルカミもミコトノリの中で「百のヲシデ」と仰っていますが、当時宮中には古代文字で書かれた文献が少なくても42文献以上はあったようなのです。

長い時代を経て書き写され、現在まで残っているのが「ホツマツタヱ」、「ミカサフミ」、「フトマニ」の三書です。これはひとえにアマテルカミ、クシヒコさんアマノコヤネさんの国を思うお気持ちの表れなのだと思います。

アマテルカミのカミアガリ

第八代アマカミ アマテルカミ

ウガヤフキアハセズ様の治世に大きな出来事が起こります。あれだけ長命を誇っておられたアマテルカミが遂にお亡くなりになってしまうのです。

歴代のアマカミにとって精神的な大きな支えとなっておられたアマテルカミの崩御は、ウガヤフキアハセズ様にとっても大きな悲しみと憂いとなられていた様子が伺えます。

ウガヤフキアハセズ様の御子様

話は変わりますが、ウガヤフキアハセズ様には御子様が二人おられたようです。

壮年期のウガヤフキアハセズ様とタマヨリヒメ

池田満氏の著書を見ると、ウガヤフキアハセズ様はなかなか世継ぎ子に恵まれなかったので、アマノコヤネさんが心配して息子のオクシモさんと一緒にヨツギヤシロを建てて祈ったとあります。

そこでウチメとなったヤセヒメに長男のイツセミコが授かり、タマヨリヒメが次男のタケヒト様(神武天皇)をお産みになったと書かれています。

遺勅の文章から長男のイツセミコも、なかなか子が授からなかったことが分かります。

ウガヤフキアハセズ様にお会いしたい

さて、ここまでウガヤフキアハセズ様にクローズアップしたのですが、ウガヤフキアハセズ様のゆかりの場所は滋賀、京都、宮崎、鹿児島であることが分かりました。

ウガヤフキアハセズ様を祀る鵜戸神宮

となると、やはりウガヤフキアハセズ様にお会い出来る神社を関東で見つけるのは難しそうです。(お祀りされている神社がとても少ないのです)

お若い頃のウガヤフキアハセズ様

そこで、再度カミヨ(上古代)の時代に詳しい眷属の方に、関東でウガヤフキアハセズ様にお会いできる神社があるかどうかを尋ねてみました。

なんと、眷属の方は笑っておられます。

思わず笑ってしまう場所・・・?

「もしかして神奈川ですか?」と尋ねると、、、どうやらそうらしいです。

そこで出てきた神社名を聞いて、

「しかし、その神社は、、、」とまたもや美鈴は絶句してしまうのです。

次回はウガヤフキアハセズ様がお出ましになられる神社での参拝記です。

そこには、ウガヤフキアハセズ様の意外な人物像と涙なしには語れない出会いがありました。

最後までお読みいただきまして、ありがとうございました!

参考図書:秘められた日本古代史(続)ホツマツタヘ 松本善之助著/ホツマ辞典 池田満氏著

ウガヤフキアハセズ様の功績とゆかりの地

こんにちは!今日は第十二代アマカミウガヤフキアハセズ様功績ゆかりの地をホツマツタヱの本文を参考にしながら、クローズアップしてみたいと思います。

ウガヤフキアハセズ様は一般的に知られていないアマカミなのですが、ホツマツタヱにはふんだんに記載があります。

ウガヤフキアハセズ様とタマヨリヒメ

さて、ウガヤフキアハセズ様はどのような功績を立てられたのでしょうか?

御父上のホホテミ様霧島市から加治木、姶良町に至る南九州一体の農業開発に努め、次に阿蘇九州北部で農業改善を行いました。

大隅半島一帯ウガヤフキアハセズ様神武天皇が開拓して、立派な農地が出来たと書かれています。

ニニキネ様が九州に灌漑事業で向かわれて以来、ホホテミ様、ウガヤフキアハセズ様神武天皇へとこの事業が引き継がれていたことが分かります。

ウガヤフキアハセズ様ゆかりの地

それでは、ウガヤフキアハセズ様にゆかりの地を見ていきたいと思います。

①タガ(現:多賀大社)滋賀県犬上郡

ウガヤフキアハセズ様は当時のミヤコであったミツホノミヤ(琵琶湖の東南岸付近)タガに遷します。ホツマツタヱに書かれているミコトノリを見てみましょう。

多賀大社

ホツマツタヱ 二七アヤ十五頁

タガ(現:多賀大社)は、二神(イサナギ・イサナミ両大神)がお住まいになられて、はじめて日本の基礎を築かれたお宮だ。

年月が経ったのであまりにも古くなり、破れがひどいので造り変えることにしよう。

そして、琵琶湖にある父君(ホホテミ様)のミツホノミヤをタガに引き移し、同時に私も移ることにしたい。

そうすれば、尊敬限りない両大神をおそば近くで日夜拝むことができ、ミイツ(御棱威)をいただけるというものだ。

ウガヤフキアハセズ様はこのようにおっしゃると、イシベという臣をしてタガのお宮を造り変えると同時にミツホノミヤをタガに移し、新装されたタガノミヤで即位式を挙げられた。

ちなみに「タガ」と「ガ=悪いこと」「タ=正す」、すなわち悪を正すという意味があります。

また、ウガヤフキアハセズ様にゆかりの神社も多賀大社の域内に存在しています。

ツクシにおられたウガヤフキアハセズ様がお亡くなりになると、タガにおられた神武天皇は直ちに喪に服し、ウガヤフキアハセズ様にヒウガノカミの贈り名を賜った」

日向とは宮崎県日向を指し、ツクシで偉大な功績を立てられたので、ヒウガノカミとされたのでしょう。

その神社が日向神社です。現祭神はニニキネ様ですが、元々はウガヤフキアハセズ様をお祀りしていたと思われます。

②賀茂御祖神社 京都府左京区

アマテルカミウガヤフキアハセズ様に賜ったお名前が「御祖天君(みおやあまきみ)」なので、賀茂御祖神社は本来ウガヤフキアハセズ様を祭る神社であったことは過去の記事に書きました。

その他にも下鴨神社ウガヤフキアハセズ様の居住地であったことを示す内容がホツマツタヱに書かれています。

ホツマツタヱ 二十七アヤ十九頁
ウガヤフキアハセズ様と妃のタマヨリヒメはタダスの殿(=賀茂御祖神社)に常におられて、良く国を治めたので、民の生活は豊かであった。マサカキが枯れて、植え継いだ本数が7本目になっても、国は豊かであった。

ウガヤフキアハセズ様が良政をされていたことが分かるアヤです。賀茂御祖神社付近にある「糺の森」はこのタダスから来ているのでしょう。

賀茂御祖神社

③吾平山上陵 鹿児島県鹿屋市

ここはウガヤフキアハセズ様が葬られた御陵になります。

吾平山上陵

④鵜戸神宮 宮崎県日南市

鵜戸神宮は宮崎県日南市に鎮座する神社ですが、なぜウガヤフキアハセズ様にゆかりの地なのか、ホツマツタヱの本文をから見ていきましょう。

ホツマツタヱ 二十七アヤ四十一頁

ウガヤフキアハセズ様がツクシに御行されることになった。

ムロツ(兵庫県淡路市室津)より大カメ(大型船)に乗ってウドの浜(鵜戸海岸:鵜戸神宮所在地)を経て、カゴシマノミヤ(現:鹿児島神宮)に到着された。

三十二人の県主が御巡行を願うと、十年間の精魂で、廃れた個所もすっかり治り、タミも賑わって万歳を歌った。

ミヤサキノミヤ(現:宮崎神宮)にてウガヤフキアハセズ様は御安心なされたのか、急に老いが早くなられた。

そこで急いでタガに使いを送ったところ、タケヒト様(神武天皇)とタネコが急ぎミヤサキに到着した。

「鵜戸」は大いなる、「ト」完全という意味なので、ウガヤフキアハセズ様の上陸を記念して、この名が付いたとされています。

鵜戸神宮御祭神ウガヤフキアハセズ様で由緒どおりです。この文から宮崎神宮は元々ウガヤフキアハセズ様が起居された場所と窺えます。

鵜戸神宮 本殿

ここまで、ウガヤフキアハセズ様の功績とゆかりの地を辿ってみました。

やはりホホテミ様から九州の開拓を引き継がれたので、宮崎、鹿児島にもゆかりが深いことが分かりました。そして、タガ京都にもミヤを構えておられたことも分かりました。

では、神武天皇の父君であられる、ウガヤフキアハセズ様の人物像をミコトノリから見ていきたいと思いますが、長くなりましたので、また次回にしたいと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました!

参考図書:秘められた古代日本史(続)ホツマツタヘ 松本善之助氏著/古代史ホツマツタヱの旅 いときょう氏著

ウガヤフキアハセズ様誕生秘話

こんにちは!今回はホホテミ様トヨタマヒメとの間にお生まれになった第十二代アマカミウガヤフキアハセズ様誕生秘話に迫りたいと思います。

ホホテミ様御父上ニニキネ様がご高齢になり、ホホテミ様に譲位することになりました。ツクシ(現:宮崎県)におられたホホテミ様ニニキネ様のおられるミヤコ(ミズホノミヤ)に向かいます。

この時、トヨタマヒメホホテミ様の御子をお腹に宿しておられました。

トヨタマヒメ

そこで、ホホテミ様は早船で帰京して産屋を建てて待ち、トヨタマヒメは揺れの少ない船でゆっくり上京することになりました。

しかし、運悪くトヨタマヒメの乗った船が沈没してしまいます。

沈没は大惨事ですが、ましてや身重の身、トヨタマヒメはどれほど必死だったでしょうか。

身重の体で必死に泳ぐトヨタマヒメ

海に投げ出され、海中に沈みゆくトヨタマヒメは、とっさにお腹の子のことを思い、ホホテミ様のお顔が脳裏に浮かびます。

第十一代アマカミ ホホテミ様

海面に浮かび上がったトヨタマヒメは、あきらめずに必死で岸まで泳ぎます。

なんとか一命を取り留め、運良く早船に乗ることが出来たので、予想よりも早く上京することができました。

産屋はまだ完成しておらず、屋根を葺く前の状態でした。海で必死に泳いだせいか、予想よりも早く産気づいたトヨタマヒメは無事に男御子を産みました。

この時代、お産は砂地にワラシベをのせ、ムシロをひいた納屋で行っていました。ウブスナの言葉は産砂が元になっています。トヨタマヒメの産屋は敦賀半島の気比の松原付近に建てられたとされています。

イミナカモヒトと名付けられ、産屋の屋根を葺く前に生まれたことからウガヤフキアハセズ様と呼ばれました。

トヨタマヒメが必死に守ったウガヤフキアハセズ様

産後のトヨタマヒメの体を心配した産医は、しばらくヒメに遭うことはお控えくださいとホホテミ様に伝えます。

ホホテミ様は近くの滞在場所から産屋を見守る日々を送ります。

ホホテミ様、産屋を覗いてしまう

ある日、産屋の戸が開いてたので、ホホテミ様が中を覗くと、トヨタマヒメが衣服をまとわずにお休みになられていました。

産屋の扉が開いていることに気づくホホテミ様

ホホテミ様はヒメに気づかれないようにそっと戸を閉めて、立ち去ろうとしたのですが、物音でトヨタマヒメホホテミ様にあらわな姿を見られてしまったことに気が付きます。

恥ずかしく思ったトヨタマヒメは、弟のタケツミさんに九州に帰ろうと言います。

そして、生まれたばかりの赤子を置いて、京都の貴船まで辿り着きました。ホホテミ様から伝言もあり、トヨタマヒメは貴船に留まるのですが、ミヤコでは正妃が不在のまま、ホホテミ様の即位の儀式が執り行われたのでした。

ここで、ニニキネ様登場

さて年も変わり、一向にミヤコに戻らないトヨタマヒメを心配されたニニキネ様が登場します。

トヨタマヒメワケイカツチノミヤ(現:上賀茂神社)ニニキネ様をお迎えします。

トヨタマヒメをお諭しになるニニキネ様

トヨタマヒメにお会いしたニニキネ様が優しく語り掛けます。

そして、ご自身の袖に掛けてあった、葵の葉を指さして「これは何の葉ですか」と尋ねます。

「葵の葉です」トヨタマヒメは答えます。

今度は桂の葉を指さして「では、これは?」と尋ねると、

トヨタマヒメ「桂の葉です」と答えます。

そこでニニキネ様「どちらか一方が欠けてはいませんか?」

桂の葉(左)と葵の葉(右)

ニニキネ様の真意を察したトヨタマヒメはこう答えます。

「どちらも欠けてはいないのです。私の心は今でもホホテミ様と共にあります。しかし、私は海で溺れかけて岸まで泳ぎ、産屋ではあらわな姿をホホテミ様に見られてしまいました」

「それは恥ではないのですよ。ヒメが海で必死に泳いだのは、ご自身の御子を思ってのことでした。これは一生懸命生きようとするワイキ(地の心)です」

「また、ヒメはあらわな姿をホホテミに見られたことを気にされていますが、ホホテミが産医の言うことを聞かずに起きた出来事で、ヒメミヤコに戻れば自然と消えてしまうものなのです。不可抗力から起きた出来事はアイキ(天の心)に任せるしかありません」

そして、ニニキネ様はこう続けます。

葵の葉男性桂の葉女性を表すことはヒメもご存じですね?夫婦はどちらかが欠けても成り立ちません。ヒトイ(人の心)は人間関係や夫婦関係が円満になってこそ解決します」

そして、どこまでも風流な方なのであった

ニニキネ様のお諭しもあり、トヨタマヒメホホテミ様の元に戻ります。そしてこの出来事が葵祭の本来の由来となっています。

今日は第十二代アマカミウガヤフキアハセズ様の誕生秘話について書きました。

最後までお読みいただきましてありがとうございました!

参考図書:古代史ホツマツタヱの旅 第二巻 いときょう氏著

アマテルカミが東京におでましに? 東京都 桜神宮

こんにちは!先日、別の眷属の方からアマテルカミ(天照大神)が最近東京の神社にもお出ましになっていると聞いたので、今日はその神社を紹介したいと思います。

東京都世田谷区に鎮座する桜神宮です。実はこの神社、美鈴も名前は知っていました。以前にアマテルカミをお祀りする神社を探していた時に、この神社のホームページを見ていて、古式神道という名称が気になっていました。

「こちらの神社にアマテルカミはお出ましになるのですか?」と眷属の方に聞くと、

「そうだ」と仰るではありませんか。なんでもこの神社の方は大変勉強熱心な方で、アマテルカミは殊の外お喜びなのだそうです。

早速、参拝に吉日を選んで、桜神宮まで参拝に伺うことにしました。東急田園都市線の桜新町駅から徒歩3分ぐらいの場所にありました。入口に「神習教本祠」と書いてあったので対処は戸惑ったのですが、どうやらここが桜神宮のようです。

桜神宮の御祭神、創建と由緒

御祭神天照大御神をはじめ、多くの方がお祀りされています。由緒を見ると、創建は明治十五年ですが、御神託により大正四年に現在地に移転したところ、震災や戦火を間逃れたとあるので、相当霊験あらたかたな神社と言えます。

創建者は大中臣家後裔の芳村正秉という方で、神宮奉職中に倭姫命から神託によって授かった「神習いの教え」を立てたため、古式神道の総本山になっているとのこと。

ヤマトヒメ(倭姫命)とはヤマトタケ(日本武尊)さんの叔母に当たる方です。

第十一代スヘラギイクメイリヒコ(垂仁天皇)皇女二代目のミツエシロ(斎王)を務め、サルタヒコさんの伝えに従い、伊勢内宮の地にアマテルカミの宮を建てた方でもあります。

アマテルカミおでましに

早速、参拝にお伺いすると、アマテルカミのお姿が見えません。「あれ?あれ?」っと思わずきょろきょろしてしまいました。そうこうしているうちに、平日にも関わらず次々参拝者がやってくるではありませんか。

ようやく順番になったので、本殿の前でご挨拶をします。祝詞を奏上すると、なんと!アマテルカミがお出ましになられたではありませんか!丁度、本殿で神事が行われていたようです。

服装は前回と同様、上は白いお召し物、下は青色系の「モ」というスカート状のお召し物でした。

いつもと変わらず、日頃の感謝を何度もお伝えし、感動の余韻を残したまま、アマテルカミの御前を失礼したのでした。

最晩年に伊勢の内宮に地に遷られたアマテルカミ

アマノコヤネさんのこと

大中臣とあったので、少し藤原氏の先祖に当たる、アマノコヤネさんについて触れたいと思います。

アマノコヤネ(藤原氏の祖)さんは元々、カスガマロというお名前でした。イミナはワカヒコといいます。アマテルカミから薫育を受けて、多くの功績を立てたため、アマノコヤネのお名前を賜ります。(コヤネとは子を宿すという意味)

アマテルカミ、父のココトムスビ、義父のタケミカツチさんなど、多くの先人からミチを受け継いだアマノコヤネさんは、アマテルカミの没後、伊勢に留まり亡きアマテルカミにお仕えします。

内宮:五十鈴川

若い頃から優秀で、多くのミチを先人から受け継いだアマノコヤネさんアスス33年2月11日に亡くなり、壮大な葬儀が執り行われたといいます。丁度、ブログを更新した今日がアマノコヤネさんの命日なのも、きっと意味があるのでしょう。

桜神宮で購入したお守り

アマノコヤネさんの流れを組み、アマテルカミがお出ましになる素敵な神社、桜神宮に機会がありましたら是非ご参拝ください。

最後までお読みいただきありがとうございました!

参考図書:ホツマ辞典/池田満氏著

アマテルカミがお出ましに 神奈川県:伊勢原大神宮

こんにちは!今日は神奈川県伊勢原市に鎮座する伊勢原大神宮を紹介します。

先日、ある眷属の方が「最近、神奈川県のとある神社にアマテルカミがお出ましになっている」と教えてくれました。

「えっ!?それはどこの神社でしょうか?」と尋ねると、「伊勢原大神宮」と仰るではありませんか!「し、しかし、、、その神社は、、、」と思わず美鈴は言葉を詰まらせたのです。

神奈川県伊勢原市に鎮座する 伊勢原大神宮:内宮

それというのも、昨年美鈴はアマテルカミにお会いしたくて、アマテルカミ(天照大神)を祀る神社をあちこち参拝したのですが、ことごとくおられなかったのです。そして、ようやく有鹿神社アマテルカミにお会いすることができました。(その辺りの経緯は過去にブログで書いています)

その時、伊勢原大神宮にも参拝しましたが、やはりアマテルカミはおられませんでした。内宮に眷属の方がおられて「アマテルカミの御前では大祓の祝詞を奏上するように」とおっしゃいました。

伊勢原大神宮:外宮

アマテルカミにお会いしたい!」と思い、早速参拝に良い日を選んで伊勢原に向かうことにしました。

神社の創建は江戸時代初期、山田曾右衛門という方がこの土地を開墾した際に、伊勢の祭神を勧請したため、伊勢原の土地名が付いたとあります。

となると、伊勢原は比較的歴史が新しいということになります。眷属の方のお話では、有鹿神社の場所には既にカミヨ(上古代)の時代から社があったらしいです。そのため古代から社格の高い神社であったようです。

アマテルカミがお出ましに

神社に到着すると「うわー!気の流れが変わっている!」暖かな、優しい御神気で満たされています。

こちらの神社は内宮・外宮の二社殿形式となっていて、伊勢神宮と同じく外宮から先に参拝するようになっています。

晩年、伊勢で人々の指導にあたられるアマテルカミ(髪はお切りになられた)

丁度、内宮で神事が行われており、何と!アマテルカミがお出ましになっておられるではありませんか!早速、アマテルカミにご挨拶をして、この国の発展にご尽力下さった感謝をお伝えします。

アマテルカミは上半身はのお召し物、下は青色系のお召し物(恐らく「モ」というスカート状のお召し物)で現われました。伊勢神宮でお会いした時は黄色?山吹色のような暖色系のお召し物でした。

毎回思うことなのですが、、、

いや、現在進行形で今もおられるんですけど

アマテルカミの真の威力

アマテルカミはあまりにも祓う力がお強いので、立っていられなくなり、境内にあった腰掛に暫く座り込んでしまいました。

アマテルカミ最高神ですし、とにかく祓う力が強いです。実は、伊勢神宮の参拝前後に極度の体調不良に見舞われました。恐らく好転反応や毒出しと思われますが、この強烈な毒出しの後で、悪習慣をほぼ断ち切ることが出来ました。

また先祖代々から受け継いだ悪いものまで、アマテルカミは祓って下さったのです。

伊勢神宮 遥拝所

伊勢原大神宮には伊勢神宮の遥拝所があります。この遥拝所は本当に伊勢神宮と繋がっていて、お祈りをするとジーンと込み上げるものがありました。

伊勢神宮に行けなくても強力に祓って頂けるのはとても嬉しいですね。しっかり祓って頂く場合は、神主さんが常駐している神社がおすすめです。

この神社はおやすみ処も併設しているので、おしるこをいただきました。

可愛らしい桜のお守りも購入しました。(初穂料700円)

アマテルカミの強烈な波動をいただける伊勢原大神宮に機会がありましたら是非ご参拝ください!

最後までお読みいただきありがとうございました!

ホホテミ様参拝記 埼玉県深谷 瀧宮神社

こんにちは!前回お伝えした関東ホホテミ様にお会いできる神社を紹介します。カミヨ(上古代)の時代に詳しい眷属の方が教えて下さった神社は、埼玉県深谷市に鎮座する瀧宮神社(たきのみやじんじゃ)でした。

その時、美鈴は思わずこう尋ねてしまいました。「埼玉ですか?一見ホホテミ様にゆかりがなさそうですが、、、」

眷属の方のお話ではその土地にゆかりが無くても、御祭神が来ることは可能であるし、この神社の方は御祭神の由緒をちゃんと把握して、大切にお祀りしているのでホホテミ様は来られるのだそうです。

早速、良い日を選んで参拝に伺うことにしました。

瀧宮神社 由緒

神社に到着すると、湧き水をたたえた池が沢山ありました。お社は広く、一之宮社並みの大きさです。ホームページを見ると古い歴史があるようで、太古の昔から湧く湧き水が御神水となっているそうです。御祭神は天照大御神、豊受大御神、彦火火出見尊となっています。

ここに来る途中、秩父山脈の美しい山々が見えたのですが、ヤマサチことホホテミ様に相応しい神社です。

神社はJR深谷駅のすぐそばにありました。入口手前に風情ある川が流れています。駐車場から既に御神気が感じられ、境内に入ると、説明できない幸福感に包まれました。

本殿の手前で御神水のお水取りができます。

ホホテミ様はどんな方?

神社に向かう途中、美鈴は「ホホテミ様は一体どんな方だろう?」と思いました。ホツマツタヱには兄上のホノススミ様とのやり取りが書かれていますが、具体的な人物像がイメージ出来ませんでした。

ホホテミ様三男であるし、やはりやんちゃな方だったのかな?とかあれこれイメージを膨らませました。

ホホテミ様の人物像

早速、本殿におられるホホテミ様に丁寧にご挨拶をして、この国を豊かにして下さったお礼をお伝えします。ホホテミ様はとても喜んで歓迎して下さいました。

お会いしたホホテミ様はとても謙虚で、どちらかと言えば控えめで穏やかな方でした。(ただ、アマテルカミニニキネ様とお会いした時ほどはっきりとは繋がれなかったので、会話までは出来ませんでした)

ホホテミ様ニニキネ様アシツヒメに似ておられると思ったのですが、何とアマテルカミに似ておられるではありませんか!まさしく第二のアマテルカミという感じなのです。

「ホホテミ様は隔世遺伝だったのですね!」

そうなのです。ニニキネ様アシツヒメが血縁同士の結婚であったので、アマテルカミの性質が色濃くホホテミ様に出たものと思われます。

そういうこともあって、ニニキネ様のお眼鏡に叶った方なのだと納得しました。また、かなり情緒が豊かな方のようで、民への深い慈しみのお気持ちもお持ちだったのでしょう。

ホホテミ様が素晴らしいのは、一参拝者の美鈴にへりくだってくださるし、そして、ご自身の兄上であるホノアカリ様ホノススミ様に対してもちゃんと敬意を払っておられるところです。

目下の者にへりくだる、目上の人には敬意を払う」この姿勢はアマテルカミニニキネ様と全く一緒です。(オシホミミ様にはお会いしていませんが、恐らく同じなのでしょう)

美鈴の頭の中でアマテルカミのミコトノリが連呼します。

「必要なのはへりくだる心であり、やわらぎの心も失ってはなりません。あのどうしようもなく狂暴なハタレに対してさえ、基本的にはこの態度で接したのでした」

これこそが、アメナルミチの真髄であるし、歴代のアマカミはこの言葉から全くブレていないのです。

深い感動を覚えた美鈴は何度もお礼をお伝えして大君(=ホホテミ様)の御前を後にしたのでした。

ホホテミ様参拝後

瀧宮神社は一之宮社ではありませんが、ホホテミ様はとにかく祓う力がお強いので、一之宮社並みに祓って頂きました。(ちゃんと祓っていただく場合は、やはり神主さんが常駐しておられる神社がおすすめです)

ホホテミ様のスピリットに触れたせいか、帰宅後はこれまで、ホホテミ様の偉業を知らなかったこと、偉業に感謝してこなかったことがただただ申し訳なくて、涙する状態続きました。(トヨケカミとお会いした時も同様の経験をしました)

ホホテミ様のスピリットに触れられる瀧宮神社はとても素敵な神社でした。

瀧宮神社の御朱印を頂いてきました。しおりの左上に綺麗な折り紙が添えてあり、配慮が感じられました。機会がありましたら、是非ご参拝ください!

最後までお読みいただきありがとうございました!

ホホテミ様はどちらに

前回はニニキネ様のお子様、ホノススミ様ホホテミ様のエピソードを紹介しましたが、今回はホホテミ様にゆかりの場所や神社をクローズアップしたいと思います。

美鈴がなぜカミヨの天つ日嗣の方にこだわるのかと言えば、この国の発展にとりわけご尽力下さった方々なので、大切にしたいと思うのです。

ツクシ(九州)を開拓されたホホテミ様

ホホテミ様に縁の場所

さて、ホホテミ様にゆかりの場所はホツマツタヱの随所に出てきますが、北陸、近畿、九州にご縁がある方と分かります。これはニニキネ様が、富士の裾野京都盆地を開拓された後、九州灌漑事業に向かわれたからですよね。

ニニキネ様アマテルカミの意を受けて、アメナルミチ(恵み和す精神)を大成された方です。

サルタヒコさんはニニキネ様にこう伝えます。「ニニキネ様は尊い事業を全国に展開なさる方、ツクシの果て、古いゆかりの地:タカチホに行かれるのがよろしいでしょう。渇望する人々がおります」

そのため、ニニキネ様は九州に向かい、人々の生活をさらに豊かにした後、霧島山カミアガリ(洞穴に入り亡くなること)されます。

ホホテミ様にゆかりの地①:福井県敦賀と滋賀県大津

前回のエピソードを読むと、ホホテミ様福井県敦賀市イササワケノミヤ(現:気比神宮)にお住まいだったことが分かります。

松本善之助氏によると、気比神宮ホホテミ様御遺骸を葬る御陵であったとも書かれており、御祭神のイササワケは誰なのか諸説ありますが、本来はホホテミ様のことなのだそうです。

「ケヒ」とは食飯(ケイヒ)が短くなった言葉で、ホホテミ様ツクシ(九州一円)を巡って、井堰(いせき)をつくり、新田を開いた功績を讃えて、ケヒノカミケキノカミ)と名付けられたことが由来となっています。

ホホテミ様は妃トヨタマヒメと共に、シノミヤ(滋賀県大津市の天孫神社)でお亡くなりになります。天孫神社の御祭神は由緒どおりホホテミ様(彦火々出見命)となっています。

滋賀県大津市:天孫神社

ホホテミ様にゆかりの地②琵琶湖東南岸

さて、次にホホテミ様にゆかりの土地はミヤコのあったミツホ(琵琶湖の東南岸)となります。ミツホノミヤは本来ニニキネ様の行宮だったのですが、ニニキネ様はこの地にミヤコを遷します。

ホホテミ様もミツホにミヤコを置いたので、第十二代アマカミウガヤフキアハセズ様ミツホでお育ちになります。

ウガヤフキアハセズ様の代でミヤコタガに遷ります。ミツホノミヤの明確なおおよその場所は野洲川河口付近の中主町・守山市付近が有力とされています。

ホホテミ様にゆかりの地③福井県小浜市遠敷

もう一つのゆかりの地は福井県小浜市遠敷です。今は、遠敷「おにゅう」と読むらしいのですが、かつては「ヲニフ」と呼ばれていたそうです。「ヲニフ」とは「ヲ=天君(ホホテミ様が)ニギニギしくおいでになる場所」つまり皇居という意味になります。

ホホテミ様は譲位のため、ヲニフにおられたウガヤフキアハセズ様ミツホに呼ばれる内容がホツマツタヱに書かれています。

小浜市に鎮座する若狭国一宮、上社の若狭彦神社の御祭神はホホテミ様下社の若狭姫神社の御祭神トヨタマヒメと由緒どおりです。

福井県小浜市:若狭彦神社

ホホテミ様にお会いしたい!

さて、ここまで読むとホホテミ様はやはり福井、滋賀、九州に御縁のあるお方だと分かります。関東でホホテミ様にお会いできる社はないものか?と考えました。

ホホテミ様

御父上のニニキネ様関東にゆかりの方なので、お会いできる神社をなかなか特定できなかったものの、近いうちにお会いできるとは思っていました。ですが、ホホテミ様となると少し難しそうな気がします。

(美鈴の直感で恐らく神奈川県ではないと思いました。)

ですが、関東一円まで範囲を広げると、探すのはとても大変です。しばし、頭を悩ませましたが、カミヨ(上古代)の時代に詳しい眷属の方に尋ねることにしました。

「関東でホホテミ様にお会いできる神社はないでしょうか」と尋ねると、「ある」とおっしゃるではありませんか!

「そ、その神社とは、一体どこなのでしょうか?」と尋ねると、

なんと、意外な都道府県の、美鈴も初めて聞く神社の名前が出てきたではありませんか!

次回はホホテミ様にお会した内容を書こうと思います。美鈴はそこでホホテミ様の衝撃的な人物像を目の当たりにします。

それでは、最後までお読みいただきありがとうございました!

ホノススミ様とホホテミ様(後編)

前回のお話の続きになります。

ホホテミ様は、ハデツミさんの分家筋にあたるシガノカミを通じて、ヨトヒメが見つけた釣り針を兄のホノススミ様に届けさせます。

シガノカミとは、九州全域を治めていたカナサキさん(=ハデツミさんの祖父)の分家筋に当たる方です。九州北部を本拠地とし、ニニキネ様・ホホテミ様から農業指導を仰ぎ、九州地方の開拓を実現した方です。

シガノカミワニフネ(上古代の高速船を指す)に乗って、シノミヤ(滋賀県大津市:天孫神社)ヤマクイさん(一般的に大山咋神と呼ばれるを招いて、ウカワにおられるホノススミ様ミヤ(現:鵜川 白髭神社)に出向きます。

ウカワノミヤ(現:白髭神社付近)

ヤマクイさんとは、ニニキネ様の意を受けて、京都盆地を開拓した方です。滋賀県大津市坂本に鎮座する日吉大社の祭神になっています。

滋賀県大津市 日吉大社

ホノススミ様ヤマクイさんが伝えます。

「この釣り針は我が君が貴方様からお借りして失くしたものです。私がお持ち致しました。」

ホノススミ様釣り針を手に取って調べ、「確かにこれは私の釣り針だ」と言いながら、さっさと立ち去ろうとします。

ヤマクイさんは思わず、ホノススミ様の袖を掴み、「マチジ(=これはお粗末な針で、返せとせがむ程、上等な釣り針ではないという意味)」と言います。

それを聞いたホノススミ様「道理をわきまえず、ののしるとは何事ぞ、弟自ら返しに来るのが道理ではないか!」と叫びます。

ヤマクイさんは続けます。

「お借りした時、糸は既に切れそうでした。新しい糸に取り換えて、弟君に貸すのが筋ではありませんか?謝るのはむしろホノススミ様かと存じます」

怒ったホノススミ様は、船に乗り込んで琵琶湖に漕ぎ出します。

そこで、シガノカミがここぞとばかりに、ハデツミさんから預かった満涸の玉を湖に向かって投げます。すると、湖水はみるみる干上がります。地面が露わになったので、シガノカミが追い船に乗り込みます。

ヤマクイさんホノススミ様に追いつき、手を引っ張ります。シガノカミが今度は別の玉を湖に投げ込むと、今度は乾いた湖に湖水が満ちて、ホノススミ様は溺れそうになりました。

「助けてくれ!私が悪かった。これからは弟に駒のように従うから!」と言ったのでした。

シガノカミとヤマクイさんホノススミ様を助け出し、ウカワのミヤで仲直りをしました。

さて、神社の入口に置いてある狛犬の起源はこのホノススミ様が仰った「駒(=馬)になって従う」ことが本来の由来となっています。

神社の狛犬

ホホテミ様とご兄弟のその後

さて、以上がホノススミ様ホホテミ様のエピソードとなります。

では、ニニキネ様のアシツヒメとの間に生まれた3人のお子様のその後を簡単に説明して、終わりにしたいと思います。

長男 ホノアカリ様

ニニキネ様はご自身の長男に、兄上と同じ名前を付けたので、混同しやすいのですが、ニニキネ様の兄がホノアカリ(イミナ:テルヒコ)、長男がホノアカリ(イミナ:ムメヒト)です。

長男 ホノアカリ様

ちなみに上古代で梅はムメと呼ばれていたので、梅の花にちなんでムメヒトと名付けられました。

※お二人のホノアカリ様のお名前を表にまとめました。

ニニキネ様との関係名前イミナ別名
ホノアカリテルヒコアスカヲキミ
長男ホノアカリムメヒトハラヲキミ
ムメヒトヲキミ

ホノアカリ様富士南麓ハラミノミヤで政務をとります。叔父のアスカヲキミに世継ぎが出来なかったため、ご自身の長男:クニテルさんがアスカヲキミの養子となり、ニギハヤヒを名乗ります。

このニギハヤヒさんのとなったのが、フトタマさんの孫にあたるミカシヤという方で、お二人の間に生まれたウマシマチさんの子孫が後の物部氏です。

ムメヒト様の後を継いだのは、ニギハヤヒさんの弟のタケテルさんで、その子孫がヤマトタケさんの時代のオハリムラジ(尾張連)の家系となって続きます。

ヤマトタケさん妃ミヤスヒメはこのオハリムラジの娘にあたります。

次男 ホノススミ様

次男のホノススミ様(イミナ:サクラギ)は長生きをしたため、シラヒゲカミの褒め名が与えられました。ホノススミ様の子孫:ウツヒコさんは初代スヘラギ:タケヒト様(神武天皇)に仕えて、ヤマトノクニツコに任じられます。

第十一代アマカミ ホホテミ様

さて、ニニキネ様のお眼鏡にかない、次期アマカミ(上古代の天皇)に選ばれたのは三男ホホテミ様(イミナ:ウツキネ)でした。ハデツミさんのお屋敷で出会ったことがご縁でトヨタマヒメホホテミ様の妃となります。

ホホテミ様とトヨタマヒメ

以上が、ホノススミ様ホホテミ様のエピソードとなります。

最後までお読みいただきありがとうございました!

参考図書:ホツマ辞典 池田満氏著/秘められた日本古代史ホツマツタヘ 松本善之助氏著