こんにちは!今日はミマキイリヒコ(崇神)天皇にフォーカスをあてて、アメナルミチの考察をより深めていきたいと思います。
突然ですが、皆さんは崇神天皇と聞いて、何をされた方と思い浮かべるでしょうか?
確か崇神天皇の御代に大規模な疫病が起こったぐらいしか、美鈴には思い出せませんでした。
実は、アメナルミチを大成させた素晴らしいスメラギ(天皇)であったことがホツマツタヱに書かれています。
※ヒトノヨの時代になると天皇の呼び名がアマカミからスヘラギ、スメラギに代わります。
ミマキイリヒコ(崇神)天皇はカミヨからずっと時代が下ったヒトノヨの第十代天皇で、ヲシロワケ(景行)天皇の祖父にあたる方ですね。
第十代 | ミマキイリヒコ(崇神)天皇 |
第十一代 | イクメイリヒコ(垂仁)天皇 |
第十二代 | ヲシロワケ(景行)天皇 |

ミマキイリヒコ(崇神)天皇の素顔
崇神天皇の素晴らしさは、第十一代 イクメイリヒコ(垂仁)スメラギのミコトノリから伺い知ることができます。松本善之助氏の著書から書き下し分を見ていきたいと思います。
※松本氏の書き下し分を紹介させて頂いておりますが、ここまで分かりやすく説明して下さっている松本氏並びに池田氏に対し、改めて畏敬の念を表します)

第十一代スヘラギ ヰソサチ・イクメイリヒコ(垂仁天皇)二十五年 二月八日に、
※(ヰソサチとは恐らくイミナのこと)
次のようなミコトノリ(勅)がタケヌガワケ、クニフク、ミカサ・カシマ、トイチネとタケヒの五重臣に出された。
「我が御親、第十代 ミマキノキミ(崇神)は聡明で、日本古道アメノミチを悟っておられた
御日常を拝すれば、常に自らを省みておいでだった。
御自分の誤りをただすのには厳しく、御人柄は誠に謙虚である。
崇神の念あつく、ここに一身をこめる。このようであったからこそ、
天地もこれに和して五穀や野菜などの食料は豊作になり、民もゆたかだった。
私も先皇にならって怠らずに、神まつりしてゆく決心である」
いかがでしょうか?ホツマツタヱを読むまでは、崇神天皇がこのように謙虚で素晴らしいお人柄であったと知る由もありませんでした。
ミマキイリヒコ天皇の功績
それでは、ミマキイリヒコ天皇は一体どのような功績を立てられたのでしょうか?
実は崇神天皇は、「ハツクニシラスミマキノヨ(=これまでに前例がないミマキ天皇の御治世)」
とまで詠われた方だったのです。さて、前例のないマツリゴトとは一体どのようなものだったのでしょうか?
ちなみにネットの情報では、戸口を調査して、初めて課役を科した天皇と書かれています。
しかし、ホツマツタヱを読むと、租税は既にカミヨ(上古代)の時代に「ミズホ」、「チカラ」、「ハツホ」として存在していました。
以下の一文をご覧ください。

ミヤコトリ(イワツバメを指す)に雌花を投げてやると喜んで弄んだので、その様子を衣装のデザインにして、
トリタスキと呼んだ。またそのごとく、マツリゴトを行った結果、多くのチカラ(租税)が献上された。
コモリカミはチヨミクサ(薬草)をミハ(御衣)のデザインにした
この一文から、既に税収(ミズホ・チカラ)があったことが分かります。
また、戸籍については、以前に一人のモノノベ(現在の警察官)は一夫婦を一家族として、3,200家族の面倒を見ていたと書かれているので、既にカミヨの時代にあったと想定されます。
となると、「ハツクニシラスミマキノヨ」(前例がない崇神天皇の御治世)という表現では、矛盾が生じてしまいます。
ハツクニシラスミマキノヨの本当の意味
では、何をもってハツクニシラスミマキノヨとまで詠われたのでしょうか?

その内容はホツマツタヱにきちんと書かれているので、次回紹介したいと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました!
参考図書:秘められた日本古代史(続)ホツマツタヘ 松本善之助氏 / ホツマツタヱを読み解く 池田満氏