こんにちは!今日はアマテルカミのお孫さんにあたるニニキネ様(瓊瓊杵尊)について書きたいと思います。
一般的にはニニギノミコトとして知られる方です。
ニニキネ様はアマテルカミの後継のオシホミミ様とタクハタチチヒメとの間に生まれた方で、イミナはキヨヒトといいました。ホノアカリ様(アスカヲキミ)という兄がおられました。
ちなみに奥様は子安神で有名なコノハナサクヤヒメ(アツシヒメ)です。
アマテルカミは孫たちの中でもひときわ優れていたニニキネ様を「ミマコ」と呼んで可愛がりました。
ニニキネ様の功績は目覚ましく、日本各地で灌漑水田の普及にご尽力されました。
ニニキネ様の治世では長男のホノアカリ様との二朝廷並立でしたが、この功績によりニニキネ様の系統が本流になります。
ニニキネ様は天孫降臨で有名な方ですが、高千穂(霧島山)でカミアガリ(洞穴に入って亡くなること)をされたため、関東に縁がないと思われるかもしれませんが、実はニニキネ様が初めに治めたクニは茨城県筑波山付近で、ニハリノミヤに居を構えました。
ニニキネ様がアマテルカミの伊勢・志摩で灌漑事業の実証を成功させると、アマノコヤネさん、クシヒコさん、タチカラヲさんを引き連れて、全国巡幸に出かけて灌漑事業を指導されます。ニニキネ様が巡幸された地域は近畿・山陰道・北陸道・山陽道・九州・関東一円に及びました。
富士の裾野に三万の水田の開発に成功を収めたニニキネ様はサカオリノミヤ(旧:ハラミノミヤ)を建て直し、新しくハラアサマミヤと名付けて、建築にコカネをはめ込み、ウルシで彩色を施したといいます。
さぞかし美しかったと思うのですが、ニニキネ様はキヌではなく、ユフ(草の繊維からできた布)を履かれたそうです。
ニニキネ様が開発された土地
ニニキネ様が開発された主な土地を以下に纏めてみました。(池田満氏著「ホツマツタヱを読み解く」参照)
①ニシノミヤ(兵庫県西宮市付近)
②クマノ・ヨロギノ(琵琶湖湖西)
③富士の裾野
④ダケノイワクラ(高島町岳山)
⑤ヨロイザキ(未詳)
⑥カガミ(蒲生郡 鏡山)
⑦ミカミヤマ(中主町 三上山)
④~⑦はサルタヒコさんを中心に行われたため、サルタヒコさんにミヲノカミの褒め名が下賜されました。
ニニキネ様の特筆すべき功績
ニニキネ様は雷雨が多かった京都盆地を開発に着手します。雷の多かった京都盆地の害を防ぎ、水を役立てるために雷を火のカグツチ神と水のミヅハメの神に分けて祭りました。火をアタコに、水をキフネに祭ったことから、ワケイカツチと呼ばれるようになりました。
このカグツチ神をお祭りする神社が亀岡市千歳町にある愛宕神社です。
このことはアマテルカミのミコトノリにも残されているのでご紹介します。
これまで京都地方は雷雨ばかり激しくて天候が安定しなかった。その雷雨を皇孫ニニキネが、火と水との二つに分けるのに成功したので、日照と降雨とがほどよくなり、稲作も上々である。
この活躍はトコタチ(恐らくクニトコタチ)の神が新たに出現したほどのすばらしさである。だから、これに対し、「イカツチを分けた天君」という呼び名を贈りたい
(松本善之助氏 秘められた日本古代史(続)ホツマツタヱ)
アマテルカミは良く功績を立てた方に讃え名や賞賛を惜しみなく与える方なのですが、きっと最高の誉め言葉なのでしょう。最高権力者が功績を立てた人に最上の誉め言葉を与えるってなかなか出来ないことだと思います。
これはやはりアマテルカミが立場が目下の人たちにもへりくだっておられたことが伺えます。
ニニキネ様の孫にあたるカモヒト:ウガヤフキアハセズ様からカンヤマトイワハレヒコ(神武天皇)から三種の神器が伝授された際に、カガミはカアヒ(現:下鴨神社)、ヤヘガキはワケツチ宮(上賀茂神社)に預けおいたと書かれています。
両社はいずれもニニキネ様縁の神社です。
今日はニニキネ様について、ご紹介しました。やはり御祭神の背景を知ってと知らないでは、御祭神に対する感謝の気持ちも変わってくると思いますので、参考にして頂けましたら幸いです。最後までお読みいただきありがとうございました!
参考図書:「ホツマツタヱを読み解く」/ホツマ辞典 池田満氏著書