こんにちは!今日は上古代の税について考えてみたいと思います。
実は初代クニトコタチの時代から、税の原型となるものが存在していたことが、ホツマツタヱを読むと分かります。
では、どのような経緯で「税」に変わっていったのか見ていきたいと思います。
初代アマカミ(昔の天皇のこと)のクニトコタチ様がアメ(絶対神)にお供えしたのは「木の実」でした。
二代目アマカミ、クニサツチ様の子供にウケモチという方がおられました。このウケモチという方が稲栽培の先駆者であり、
三代アマカミのトヨクンヌ様に稲作の方法と種を伝え、自国の京都南部で稲作栽培をいち早く行っていました。
そのウケモチさんが植えた稲が、八月一日に収穫祭を挙行すべきほどに実ったので、当時のアマカミであった三代トヨクンヌ様が
カシキ(赤白黄)のユフニキテ(木の繊維で作った幣)でアメナカフシを祭り、精米して粥と重湯をお供えしたと書かれています。(ホツマツタヱ 15-22)
ここで、クニトコタチ様がお供えした「木の実」が「稲穂」としてアメナカフシに捧げられました。
ちなみに、ウケモチというお名前には、多くの食料を得るという意味があります。ウケノミタマともいいます。
京都伏見稲荷社の祖神は?
余談ですが、このウケモチさんの八代目の子孫がカダノミコトという方で、八代アマカミのアマテルカミの治世で、農業大臣の役職についていました。
実は京都府伏見に鎮座する伏見稲荷大社は、このウケモチさんを祖神として祀るカタノカミ一族の社なのです。
カタノカミという方はカダノミコトの父親なのですが、誤認によって殺害されてしまいます。
父の喪が明ける際に、カタノカミは国家のため、国民のために、農業技術の指導を決意しました。
祖先のウケモチさんから代々伝えられてきた農業技術を惜しみなく公開し、アマテルカミより「ヨヨノタミ マモリツカサ」の称号が贈られます。
(ヲヲンカミは常に最高の言葉で人を褒める方なのです)
話を元に戻して、アメナカフシに捧げられた稲穂は、やがて民から納められる税(ミヅホ)に変わっていきました。
ミクサノカンタカラ(三種の神器)一つであるトノヲシテ(恵民立国の基本理念)は「天地自然の恵みをアマカミが代表して受け、人々に恵み分かつ」ことが基本構造でした。
そして、人々が感謝の心を形に表して、アマカミに献げたものが古代における税の原型でした。
そして、民から献けられた物を活用して新規事業を興し、人々の生活を更に豊かにすることで人々とアマカミの間で信頼関係が成立していました。
池田満氏が仰られていますが、税の根底には「感謝」が根底に備わっていたと考えられます。
しかし、六代アマカミオモタル・カシコネ様の治世に、気候の変化によって、農作物の減収が起こりました。そのため、人々の間で朝廷に対する疑念が増え、税が減少するという事態になりました。
税の減収により、政は貧弱となり、治安維持の出費が増える悪循環に陥ったのです。
そのため、目先の利益に走って他者から搾取する悪人を処罰するため、トノヲシテの他にサカホコ(古代の剣みたいなもの)が追加されました。
ヲヲヤケを立てて、社会の平安を維持するためには、税の徴収も強制的な側面も追加しなければならなくなったのですが、
人々が税を厭う気持ちになったのは、実は裏道を公然と行く悪だくみが原因であると池田氏は仰っています。
国家成立当時の税の意味合いはそもそも、アマカミが天の恵みとして頂いた、穀物、作物をお供えしていたものが原型であり、
感謝の意味合いがあったことがホツマツタヱを読むと分かります。
美鈴の所感
時代の変遷により、ある程度は強制的に税を徴収する必要はあったものの、そもそも租税には感謝の意味合いが込められていたことは大変興味深い内容であると思います。
やはり子供のうちから「なぜ税を納めるのか」、「納めた税はどのように使われるのは」子供のうちからしっかり教育することがとても大切であるかなと思いました。
それから稲荷社ですが、毎回稲荷社にお参りするとこのウケモチさんが温かく迎えてくれます。(とても優しい方なのです)
ウケモチさんの功績を考えると全国に3万社も稲荷社があるのは頷けます。
ただ、全国の灌漑事業に功績を収めたニニキネ様をお祀りする社も同じくらいあってもおかしくはないのかなと思います。
今日は上古代の税の意味についてお話ししました。最後までお読みいただきありがとうございました!