こんにちは、今日はこのブログを立ち上げるきっかけになった江ノ島の神様との約束について、書きたいと思います。はじめに江ノ島神社について、簡単にご説明します。
神奈川県は江ノ島に鎮座する江島神社、日本三大弁財天の一つとして親しまれています。龍神エピソードや金運アップ、縁結びの御利益で連日参拝者が絶えません。
江島神社の御祭神と御利益
御祭神は辺津宮の田寸津比賣命(たぎつひめのみこと)、中津宮の市寸島比賣命(いちきしまひめのみこと)、奥津宮の多紀理比賣命(たぎりひめのみこと)です。
江島神社は女性の神様で、神仏習合の名残で江島弁財天として信仰されてきました。家計を預かるのは女性の役目ですので、金運に御利益があるのも頷けます。縁切りの御利益でも有名です。
実は前回のブログである縁切りの神社に通っていたと書きましたが、実は江島神社のことです。縁切りとはいっても、皆さんにとって良くない縁を切ってくれます。必要はご縁は切らないのでご安心ください。
江島神社と龍神
江島神社は龍神で有名な神社ですが、実際に龍神が沢山いらっしゃいます。奥津宮のすぐ左隣にある龍宮(わだつみのみや)もいつも賑わっています。
龍神はどちらに?
私は龍宮(わだつみのみや)では、龍神の存在を感じられません。
龍宮(わだつみのみや)から更に進んだところにある稚児が淵(江ノ島の西南端、江ノ島岩屋周辺の隆起現象でうまれた海食台地のこと)に龍神が沢山いらっしゃいます。
稚児が淵までは急な階段を下りるので、小さいお子様連れの方やご年配の方はくれぐれもお気を付けください。また帰りは急な登り階段になりますので、ご自身の体調を考慮して行かれてください。
実はすごいパワースポット
江ノ島には実はすごいパワースポットがあります。稚児が淵を先に進むと江ノ島岩屋(江ノ島最奥部にある海食洞窟)があるのですが、その中に江島神社の発祥の祠があります。
この江島神社発祥の地は、地下熱のせいか温かいのです。明らかに照明の温かさではありません。薄暗い洞窟の温かい地下熱がある祠の傍にいると、まるでお母さんの胎内に戻ったような感覚を覚えます。
私はここに参拝して、金運に恵まれたり、良縁に繋がったり、良いことが起こったりと開運に導かれていきました。
江ノ島岩屋の龍神像エピソード
江ノ島岩屋は2017年の台風の被害で暫く立ち入りできませんでしたが、私は2016年に一度岩屋を訪れています。その時は、江ノ島の第二岩屋にある龍神像の前で太鼓を叩くと、龍神像の目が光るというものがありました。
龍神の目が2回光ると願いが叶うと案内板に記載されていました。
(今は龍神像の前で手を叩くと、龍神像が照明とともに鳴くという仕組みになっています。)
私は龍神に「子どもが授かりますか?」と聞いて太鼓を叩いたのですが、その時、龍神の目が2回光りました。子どもを授かるのは年齢的に難しいと思っていましたが、龍神の目が光ったのを、心のどこかで覚えていました。
そして、その3年後に息子が授かっています。
久しぶりに江島神社を参拝した理由
そのように、霊験あらかたな江島神社ですが、暫く足が遠のいていました。しかし、大抵1週間程度で治るはずの溶連菌に感染し、1カ月近くも完治しないという状態に陥りました。
抗生剤を飲んでも症状が良くならず、倦怠感が続きました。病院で検査しても異常なし、細菌検査も問題ありませんでした。ですが、漢方を処方されても改善しません。
これはスピリチュアル的な問題だと思い、強力な神社に参拝しようと思いました。その時、思いついたのが江島神社でした。早速、江島神社に参拝に伺いましたが、暫く足が遠のいていたこともあり少し気が引けます。
いつもどおり鳥居をくぐり、瑞心門に向かって階段を上っていると、御祭神から話しかけてくださいました。その時の会話がこちらです。
こんなやり取りがなされました。御祭神は「毎週参拝に来るがよい」と仰いましたが、私の運動不足を心配してのことなのです。江ノ島は行かれた方はご存じかと思いますが、一周回るとかなりの運動量です。
毎週は難しかったので、2週間から1カ月間を目途に参拝を繰り返しました。
ありがたいことに、私が全快するまで龍神を2柱つけてくださいました。回復後に龍神は帰られたのですが、色々アドバイスを下さいました。
中津宮の神様の願いとは
瑞心門の手前で話しかけてくださった御祭神は、辺津宮の田寸津比賣命(たぎつひめのみこと)で間違いないと思います。やさしくて面倒見の良い神様です。主祭神ですので、とてもパワーがあります。(後に、ものすごい御祭神であることが判明します。)
中津宮の市寸島比賣命(いちきしまひめのみこと)を参拝した時に、なんともいえないやさしい方という印象を受けました。ものすごく歓迎してくださり、広くて深い、暖かい愛のエネルギーを送ってくださいました。
余談ですが、奥津宮の多紀理比賣命(たぎりひめのみこと)を参拝した時は、存在が感じられず、この地に縁の方ではないのかもしれないと思いました。
てんとう虫で現れた神様
その出来事が忘れられず、公園を散歩している時に「いちきしまひめの事をブログに書いてもよろしいですか?」と心の中で問いかけました。その時、てんとう虫が飛んできて私の服に止まりました。
てんとう虫は私から離れず、そっと足元に置いても暫く私の傍にいました。
おそらくブログに書いて欲しいという意味だと思うのですが、いちきしまひめはとても有名な神様です。「なぜ、ブログに書いて欲しいのだろう?」と思いました。
実は江島神社を参拝した時に、境内の八坂神社を参拝したことを思い出しました。
当時はホツマツタヱを知らなったので、八坂神社の御祭神:素戔嗚尊(ソサノヲさん)をいちきしまひめのお父さんと思い、(ネットにそう書いてありました)「御父上の素戔嗚尊(ソサノヲさん)にご挨拶します。」と言って、八坂神社の前で手を合わせました。
お社が小さいかったからか、素戔嗚尊(ソサノヲさん)の反応はありませんでした。その時、なんとも言えない違和感を覚えました。「本当に親子なのかな?」心の中で疑問を繰り返しました。。。
ネットでは天照大神(アマテルカミ)と素戔嗚尊(ソサノヲさん)との誓約で、田寸津比賣命(たぎつひめのみこと)、市寸島比賣命(いちきしまひめのみこと)、多紀理比賣命(たぎりひめのみこと)の3柱が生まれたと書かれています。
しかし、誓約で子どもが生まれるはずはありません。「いちきしまひめは本当のことを書いて欲しいのかな?」と思いました。そこで、いちきしまひめのことを調べてブログで書きますね!と約束したのです。
それから、随分経ってしまいましたが、ようやくブログを開設できたのです。
上古代の書物を探す
さて、いちきしまひめのことを深く知る必要があると思い、出会った書物がホツマツタヱです。ホツマツタヱは上古代に書かれた書物で代々写本として、受け継がれてきました。一般的には正式な歴史書として認められていません。
ホツマツタヱの詳細については、また別の機会でご説明します。さて、いちきしまひめはどのように書かれているのでしょうか?
ホツマツタヱのいちきしまひめ
ホツマツタヱでは、いちきしまひめはタケフカミ(タケコヒメ)という方で竹生島に亡骸が収められたとのことです。
主祭神のたぎつひめのみことはタキコヒメという方で、ヱノシマカミとして江ノ島で葬られました。
奥津宮のたぎりひめのみことはタナコさんとうい方で、イチキシマヒメとして、広島の厳島に祭られています。
さて、ここで皆さんは「えっ!いちきしまひめはイチキシマヒメのことじゃない?」と思われたかもしれません。そうなのです。普通に考えれば、いちきしまひめはイチキシマヒメです。
しかし、中津宮で私がお会いしたいちきしまひめは、竹生島に葬られたタケフカミです。なぜ、分かるかといえば、タケフカミ=タケコヒメは、実はオホナムチさんの妻であり、コトシロヌシさんの母親なのです。(コトシロヌシは役職名なので、クシヒコさんとお呼びします。)
そのため、タケコヒメ(以下、さん付けでお呼びします)の雰囲気がクシヒコさんと似ています。クシヒコさんとの繋がりで、タケコさんとも繋がれたと思うのです。
江島神社でのいちきしまひめはタケコさんで間違いないと思います。たぎりひめのみこと=タナコさんは江ノ島では存在感が薄く、関東地方に縁がある方ではないと思いました。
ホツマツタヱを見ると、タナコヒメ(たぎりひめのみこと)は九州・四国と縁が深く、亡くなられた後に広島の厳島に祭られています。
では、タケコさん、タキコさん、タナコさんのご両親はどなたなのでしょうか?それについては、また次回のブログで書きたいと思います。そして、この3人の女神様がとにかくすごい方という内容についても触れたいと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
参考図書:縄文人のこころを旅する ホツマツタヱが書き直す日本古代史 池田満(著)