こんにちは!今日はイサナギ・イサナミ様について書いてみたいと思います。
第七代アマカミ(古代の天皇)のイサナギ・イサナミ様は言わずと知れた第八代アマカミのアマテルカミ(天照大神)のご両親ですが、
どんな功績を立てたのかあまり知られいない、というか恐らく全く知られていないと思いますので、ご紹介したいと思います。
第七代アマカミとして即位
第六代アマカミのオモタル・カシコネ様は世継ぎ子に恵まれず、気候の変動で食糧事情も困難な状況にありました。
そこで、ネノクニ(北陸道)・チタル(山陰道東部)で優れた政治を行っていたアワナギという方の息子のタカヒト様(後のイサナギ様)と
ヒタカミ(東北)を治めていたトヨケカミ(豊受大神:伊勢神宮外宮の祭神)の娘のイサコヒメ(後のイサナミ様)が夫婦となり、第七代アマカミに即位されました。
(トヨケカミもアマカミの素質を十分持っておられたと思いますが、後継者に優れた人材を選び、アマカミの教育を施して、
即位させたところがつくづく凄いと思います。)
イサナギ・イサナミ様の功績
アマカミとして即位されたイサナギ・イサナミ様が立てた功績を一覧に纏めてみました。
第六代アマカミのオモタル・カシコネ様は、ト(トノヲシテ)とホコ(昔の剣)のカンタカラ(神器)をイサナギ・イサナミ様に譲り、
「アシハラ(現:畿内)の千五百の村落の治世が要である」と伝えました。
イサナギ・イサナミ様は芦の生える低湿地に人々の生活の場を確保して、豊かに自活できるミチを立て、トノヲシテ(恵民立国)の精神に戻づいて国を豊かにしました。
これをオノコロ(自ずから凝るという意味)といいます。
イサナギ・イサナミ様は人手で行っていた水田耕作をムマ(馬)・ウシを用いて効率化を図り、元々千五百あった村落を三千に増やしました。
イサナギ・イサナミ様の功績 ~国語の再編~
イサナギ・イサナミ様は筑波山(茨木県)山腹のイサミヤにて新婚生活を送り、オキツホ(琵琶湖西南岸の日吉大社が有力説)で即位されました。
オキツホで国境の確定が行われ、当時タミの間で起きていた言葉の混乱を解決するため、五七調のアワウタを制定されました。
アカハナマ~ヘネメオコホノまでの二十四音をイサナギ様が歌われて、モトロソヨ~シヰタラサヤワまでの二十四音をイサナミ様が歌われました。
なぜ五・七調のウタにしたのか?恐らく人々が覚えやすいようにしたのでしょう。よく歴史の年号など受験生が覚えやすいように、語呂合わせで歌にしている教材を見かけますが、
趣旨としては同じようなものだと思います。
皆さんも是非口にしてみてください。数回口にしただけで簡単に覚えられるのではないでしょうか?
このアワウタを今度は母音で区切ってみました。
アワウタは五・七で区切られていますが、母音で区切ると上の図のようになります。
左側を縦から読むと、「アイウエオ」「カキクケコ」・・・の順になっていることが分かります。
大人はこのアワウタを琴を弾きながら子供たちに教えました。
イサナミ様がおられた時代は今から3,000年くらい前と言われていますが、そんな時代から国語が制定されていたことは本当に驚きですよね。
ただ、言葉が通じなければ、トミ(中間指導者)がタミに農業や稲作指導を行う際にも困難が生じるため、国語の制定は国家安寧のためにも必須事項でした。
イサナギ・イサナミ様は全国で人々の指導に当たられていたため、次男のツキヨミさんは宮崎県の阿波義原町産母、ソサノヲさんはクマノ(熊野本宮大社付近)
でお生まれになりました。
イサナミ様の微笑ましいエピソード
イサナギ様との結婚前に、ハヤタマノヲ(新宮市:速玉大社祭神)という方が、イサコヒメに子供のつくり方を教えたのですが、
イサコヒメが恥ずかしがり、一度に理解できなかったので、今度はコトサカノヲという方が一生懸命教えたところ、
やっと理解することができたという微笑ましい内容がホツマツタヱに残っています。
イサナミ様の亡くなられたところ
詳細は分からないのですが、イサコヒメはソサノヲさんのいたずらに巻き込まれて亡くなられたそうです。
ソサノヲさんが暴れて世の人に迷惑をかけたことに対し、懐妊時にケガレがあったせいではないかと考えたイサナミ様は
民のすべてのケガレを背負って、熊野の地にクマノミヤ(熊野本宮大社)建てたとホツマツタヱにあります。
そのイサナミ様ですが、花の窟神社(三重県熊野市有馬)に葬られたそうです。
イサナギ様、妻の墓を開けてしまう
最愛のイサナミ様を失ったイサナギ様は妻に一目会いたいと周囲が止めるのも聞かずに墓を開けてしまいます。
そこには変わり果てたイサナミ様の姿がありました。(亡骸は腐敗が進んでいたのです)
そして、夢に現れたイサナミ様に問責され、オトナシカワ(熊野本宮大社旧地の西を流れる川)
→九州北部のナカカワ→アワキ(宮崎県阿波義原町江田神社付近)で禊を行います。
このことは祓詞にしっかりと書いてありますよね。祓詞を見てみましょう。
掛けまくも畏き伊邪那岐大神 筑紫の日向の橘小戸の阿波岐原に 御禊祓へ給いし時に生り坐せる
祓戸の大神達 諸諸の禍事罪穢有らむをば 祓へ給ひ清め給へと白す事を聞こし食せと 恐み恐みも白す
ホツマツタヱは偽書とされていますが、要所要所で辻褄が合ってますよね。さて、このくだりを読んで、美鈴は思った。
イサナギ様の亡くなられた場所
イサナギ様は淡路島でお亡くなりになります。淡路伊佐奈岐神社(現:伊弉諾神宮)が葬社だったと伝えられています。また功績の大きさから、
琵琶湖東岸の多賀大社にも祭られております。
その他にも、イサナギ・イサナミ様のエピソードは沢山出てくるのですが、それはまた追々ご紹介したいと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました!
参考文献:ホツマ辞典:池田満氏 /秘められた日本古代史 ホツマツタヘ 松本善之助氏