前回はニニキネ様のお子様、ホノススミ様とホホテミ様のエピソードを紹介しましたが、今回はホホテミ様にゆかりの場所や神社をクローズアップしたいと思います。
美鈴がなぜカミヨの天つ日嗣の方にこだわるのかと言えば、この国の発展にとりわけご尽力下さった方々なので、大切にしたいと思うのです。

ホホテミ様に縁の場所
さて、ホホテミ様にゆかりの場所はホツマツタヱの随所に出てきますが、北陸、近畿、九州にご縁がある方と分かります。これはニニキネ様が、富士の裾野、京都盆地を開拓された後、九州の灌漑事業に向かわれたからですよね。
※ニニキネ様はアマテルカミの意を受けて、アメナルミチ(恵み和す精神)を大成された方です。
サルタヒコさんはニニキネ様にこう伝えます。「ニニキネ様は尊い事業を全国に展開なさる方、ツクシの果て、古いゆかりの地:タカチホに行かれるのがよろしいでしょう。渇望する人々がおります」
そのため、ニニキネ様は九州に向かい、人々の生活をさらに豊かにした後、霧島山でカミアガリ(洞穴に入り亡くなること)されます。
ホホテミ様にゆかりの地①:福井県敦賀と滋賀県大津
前回のエピソードを読むと、ホホテミ様は福井県敦賀市のイササワケノミヤ(現:気比神宮)にお住まいだったことが分かります。
松本善之助氏によると、気比神宮はホホテミ様の御遺骸を葬る御陵であったとも書かれており、御祭神のイササワケは誰なのか諸説ありますが、本来はホホテミ様のことなのだそうです。
「ケヒ」とは食飯(ケイヒ)が短くなった言葉で、ホホテミ様がツクシ(九州一円)を巡って、井堰(いせき)をつくり、新田を開いた功績を讃えて、ケヒノカミ(ケキノカミ)と名付けられたことが由来となっています。
ホホテミ様は妃のトヨタマヒメと共に、シノミヤ(滋賀県大津市の天孫神社)でお亡くなりになります。天孫神社の御祭神は由緒どおりホホテミ様(彦火々出見命)となっています。

ホホテミ様にゆかりの地②琵琶湖東南岸
さて、次にホホテミ様にゆかりの土地はミヤコのあったミツホ(琵琶湖の東南岸)となります。ミツホノミヤは本来ニニキネ様の行宮だったのですが、ニニキネ様はこの地にミヤコを遷します。
ホホテミ様もミツホにミヤコを置いたので、第十二代アマカミのウガヤフキアハセズ様はミツホでお育ちになります。
ウガヤフキアハセズ様の代でミヤコはタガに遷ります。ミツホノミヤの明確なおおよその場所は野洲川河口付近の中主町・守山市付近が有力とされています。
ホホテミ様にゆかりの地③福井県小浜市遠敷
もう一つのゆかりの地は福井県小浜市遠敷です。今は、遠敷=「おにゅう」と読むらしいのですが、かつては「ヲニフ」と呼ばれていたそうです。「ヲニフ」とは「ヲ=天君(ホホテミ様が)ニギニギしくおいでになる場所」つまり皇居という意味になります。
ホホテミ様は譲位のため、ヲニフにおられたウガヤフキアハセズ様をミツホに呼ばれる内容がホツマツタヱに書かれています。
小浜市に鎮座する若狭国一宮、上社の若狭彦神社の御祭神はホホテミ様、下社の若狭姫神社の御祭神はトヨタマヒメと由緒どおりです。

ホホテミ様にお会いしたい!
さて、ここまで読むとホホテミ様はやはり福井、滋賀、九州に御縁のあるお方だと分かります。関東でホホテミ様にお会いできる社はないものか?と考えました。

御父上のニニキネ様は関東にゆかりの方なので、お会いできる神社をなかなか特定できなかったものの、近いうちにお会いできるとは思っていました。ですが、ホホテミ様となると少し難しそうな気がします。
(美鈴の直感で恐らく神奈川県ではないと思いました。)
ですが、関東一円まで範囲を広げると、探すのはとても大変です。しばし、頭を悩ませましたが、カミヨ(上古代)の時代に詳しい眷属の方に尋ねることにしました。
「関東でホホテミ様にお会いできる神社はないでしょうか」と尋ねると、「ある」とおっしゃるではありませんか!
「そ、その神社とは、一体どこなのでしょうか?」と尋ねると、
なんと、意外な都道府県の、美鈴も初めて聞く神社の名前が出てきたではありませんか!
次回はホホテミ様にお会した内容を書こうと思います。美鈴はそこでホホテミ様の衝撃的な人物像を目の当たりにします。
それでは、最後までお読みいただきありがとうございました!