ウガヤフキアハセズ様の功績とゆかりの地

こんにちは!今日は第十二代アマカミウガヤフキアハセズ様功績ゆかりの地をホツマツタヱの本文を参考にしながら、クローズアップしてみたいと思います。

ウガヤフキアハセズ様は一般的に知られていないアマカミなのですが、ホツマツタヱにはふんだんに記載があります。

ウガヤフキアハセズ様とタマヨリヒメ

さて、ウガヤフキアハセズ様はどのような功績を立てられたのでしょうか?

御父上のホホテミ様霧島市から加治木、姶良町に至る南九州一体の農業開発に努め、次に阿蘇九州北部で農業改善を行いました。

大隅半島一帯ウガヤフキアハセズ様神武天皇が開拓して、立派な農地が出来たと書かれています。

ニニキネ様が九州に灌漑事業で向かわれて以来、ホホテミ様、ウガヤフキアハセズ様神武天皇へとこの事業が引き継がれていたことが分かります。

ウガヤフキアハセズ様ゆかりの地

それでは、ウガヤフキアハセズ様にゆかりの地を見ていきたいと思います。

①タガ(現:多賀大社)滋賀県犬上郡

ウガヤフキアハセズ様は当時のミヤコであったミツホノミヤ(琵琶湖の東南岸付近)タガに遷します。ホツマツタヱに書かれているミコトノリを見てみましょう。

多賀大社

ホツマツタヱ 二七アヤ十五頁

タガ(現:多賀大社)は、二神(イサナギ・イサナミ両大神)がお住まいになられて、はじめて日本の基礎を築かれたお宮だ。

年月が経ったのであまりにも古くなり、破れがひどいので造り変えることにしよう。

そして、琵琶湖にある父君(ホホテミ様)のミツホノミヤをタガに引き移し、同時に私も移ることにしたい。

そうすれば、尊敬限りない両大神をおそば近くで日夜拝むことができ、ミイツ(御棱威)をいただけるというものだ。

ウガヤフキアハセズ様はこのようにおっしゃると、イシベという臣をしてタガのお宮を造り変えると同時にミツホノミヤをタガに移し、新装されたタガノミヤで即位式を挙げられた。

ちなみに「タガ」と「ガ=悪いこと」「タ=正す」、すなわち悪を正すという意味があります。

また、ウガヤフキアハセズ様にゆかりの神社も多賀大社の域内に存在しています。

ツクシにおられたウガヤフキアハセズ様がお亡くなりになると、タガにおられた神武天皇は直ちに喪に服し、ウガヤフキアハセズ様にヒウガノカミの贈り名を賜った」

日向とは宮崎県日向を指し、ツクシで偉大な功績を立てられたので、ヒウガノカミとされたのでしょう。

その神社が日向神社です。現祭神はニニキネ様ですが、元々はウガヤフキアハセズ様をお祀りしていたと思われます。

②賀茂御祖神社 京都府左京区

アマテルカミウガヤフキアハセズ様に賜ったお名前が「御祖天君(みおやあまきみ)」なので、賀茂御祖神社は本来ウガヤフキアハセズ様を祭る神社であったことは過去の記事に書きました。

その他にも下鴨神社ウガヤフキアハセズ様の居住地であったことを示す内容がホツマツタヱに書かれています。

ホツマツタヱ 二十七アヤ十九頁
ウガヤフキアハセズ様と妃のタマヨリヒメはタダスの殿(=賀茂御祖神社)に常におられて、良く国を治めたので、民の生活は豊かであった。マサカキが枯れて、植え継いだ本数が7本目になっても、国は豊かであった。

ウガヤフキアハセズ様が良政をされていたことが分かるアヤです。賀茂御祖神社付近にある「糺の森」はこのタダスから来ているのでしょう。

賀茂御祖神社

③吾平山上陵 鹿児島県鹿屋市

ここはウガヤフキアハセズ様が葬られた御陵になります。

吾平山上陵

④鵜戸神宮 宮崎県日南市

鵜戸神宮は宮崎県日南市に鎮座する神社ですが、なぜウガヤフキアハセズ様にゆかりの地なのか、ホツマツタヱの本文をから見ていきましょう。

ホツマツタヱ 二十七アヤ四十一頁

ウガヤフキアハセズ様がツクシに御行されることになった。

ムロツ(兵庫県淡路市室津)より大カメ(大型船)に乗ってウドの浜(鵜戸海岸:鵜戸神宮所在地)を経て、カゴシマノミヤ(現:鹿児島神宮)に到着された。

三十二人の県主が御巡行を願うと、十年間の精魂で、廃れた個所もすっかり治り、タミも賑わって万歳を歌った。

ミヤサキノミヤ(現:宮崎神宮)にてウガヤフキアハセズ様は御安心なされたのか、急に老いが早くなられた。

そこで急いでタガに使いを送ったところ、タケヒト様(神武天皇)とタネコが急ぎミヤサキに到着した。

「鵜戸」は大いなる、「ト」完全という意味なので、ウガヤフキアハセズ様の上陸を記念して、この名が付いたとされています。

鵜戸神宮御祭神ウガヤフキアハセズ様で由緒どおりです。この文から宮崎神宮は元々ウガヤフキアハセズ様が起居された場所と窺えます。

鵜戸神宮 本殿

ここまで、ウガヤフキアハセズ様の功績とゆかりの地を辿ってみました。

やはりホホテミ様から九州の開拓を引き継がれたので、宮崎、鹿児島にもゆかりが深いことが分かりました。そして、タガ京都にもミヤを構えておられたことも分かりました。

では、神武天皇の父君であられる、ウガヤフキアハセズ様の人物像をミコトノリから見ていきたいと思いますが、長くなりましたので、また次回にしたいと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました!

参考図書:秘められた古代日本史(続)ホツマツタヘ 松本善之助氏著/古代史ホツマツタヱの旅 いときょう氏著

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