諏訪大社とタケミナカタさん

こんにちは、今回は随分前に参拝した長野県は諏訪市に鎮座する諏訪大社と、御祭神のタケミナカタさんについて書きたいと思います。

諏訪大社は前宮、本宮、春宮、秋宮の四社からなっています。諏訪大社のホームページを見ると、御祭神は建御名方神、八坂刀売神、八重事代主神と書かれています。

タケミナカタさんについては後ほど詳しく述べたいと思います。

のどかな風景が広がる長野県

諏訪大社参拝のきっかけ

参拝当時はホツマツタヱは知らず、ネットで諏訪大社がイスラエルの失われた十支族とかかわりがあるのでは?という日ユ同祖論をYouTubeやブログを読んで興味を持ちました。

日ユ同祖論とは、世界に散らばったイスラエルの失われた10支族の1支族(第9族エフライム族、第5族ガド族、または第7族イッサカル族)の数人が日本に移住したという説があります。(引用元:Wikipedia)

上社前宮にある「十間廊」という建築物が、イスラエルの「聖所」と呼ばれる幕屋に由来する説があります。

御祭神のタケミナカタさんと歓迎を受け、また本宮でお会いした意外な御祭神についても触れていきます。

諏訪大社四社巡り

まずは前宮から参拝しました。

前宮の鳥居

前宮はとても暖かい優しい気で満ちていました。御祭神はタケミナカタさんと奥様のヤサカトメノミコトさんと書かれています。

暖かく出迎えてくださっている様子が伝わりました。前宮の奥がお二方の墳墓となっており、古来より禁足地になっています。

冒頭で述べた、十間廊も前宮で見学できます。

上社前宮の十間廊

本宮の御祭神

次に向かったのは本宮です。ものすごく歴史の古い神社という印象を受けました。

先に拝殿に参拝した夫が「雄々しくて壮大な神様だったよ」と言っていたので、ワクワクしながら拝殿に向かいました。

早速ご挨拶をしたところ、大きくて黒い蛇のお姿が見えました。

こんな感じに見えました(背景は架空の神社にしています)

「あっあれ?」と私はびっくりしました。拝殿におられたので恐らく御祭神なのでしょう。

なんで蛇の神様なんだろう?」と不思議に思いましたが、帰宅後にネットで調べたところミシャグジ様という神様が諏訪の地で信仰されていたことが分かりました。

ミシャグジ:中部地方を中心に関東・近畿地方の一部に広がる民間信仰(ミシャグジさま信仰)で祀られる神(精霊)のこと。(引用元:Wikipedia)

本宮にミシャグチ様がおられたということは、縄文時代に起源を持つ自然崇拝が信仰されていたことを物語っています。つまり、諏訪の地をおさめていたタケミナカタさんが、ミシャグチ様の信仰を認めておられたのでしょう。

諏訪大社・下社春宮

次は下社の春宮を参拝しました。こちらは本宮と雰囲気が少し変わります。結婚式も執り行われており、幸せオーラで満ちていました。

結婚式も行われていました。

こちらの御祭神もタケミナカタさんとヤサカトメノミコトさん、ヤエコトシロヌシさんとなっています。

ヤエコトシロヌシさんとは?

ネットで見ると八重事代主とは事代主の別名とあります。つまりホツマツタヱで言うところの2代目モノヌシのクシヒコさんを指します。

ちなみにコトシロヌシとは役職名で副大臣に相当します。クシヒコさんは若い頃はコトシロヌシで、後に父のオホナムチさんの後を継いで、モノヌシになります。

つまり、御祭神はタケミナカタさん、ヤサカトメノミコトさん、クシヒコさんということになります。

ホツマツタヱのヤエコトシロヌシさん

ホツマツタヱでは、ヤエコトシロヌシさんはクシヒコさんの息子のミホヒコさん(三代目モノヌシ)の次男のツミハさんを指します。

では、諏訪大社の御祭神のヤエコトシロヌシとは、クシヒコさんとツミハさんどっちなの?という話になりますが、(私は)クシヒコさんだと思います。

理由はクシヒコさんの方がよりタケミナカタさんと近い間柄だからです。(クシヒコさんはタケミナカタさんの腹違いの兄になります。)

諏訪大社・下社秋宮

下社秋宮には子安社の陰陽石というものがあり、当時妊活中だった私は子授けの御利益があると聞いて楽しみにしていました。ところが、どこを探しても陰陽石が見当たりません。

「あれ?あれ?」と夫と探し回りますが見つかりません。

子安社の下の柵をかがんで覗き込むと、ありました!しかも男性と女性の大切なところの形をしています。(※そのため写真は掲載できません。)

ホツマツタヱではサルタヒコさんが男女の陰部をかたどったものを人々が集う神社に飾ったと書いてあります。男女の陰部から生命が誕生するため、神様として尊く崇めていたのでしょう。

陰陽石の男性側を撫でると男の子が、女性側を撫でると女の子が授かるとのことで、男性側を撫でたのですが、ちゃんと男の子が授かっています。

ホツマツタヱのタケミナカタさん

ホツマツタヱでは、タケミナカタさんはどのように書かれているのでしょうか?

その前にホツマツタヱは景行天皇の命令でクシミカタマさんとオオタタネコさんとが編纂した歴史書で、基本的には古代のアマカミ(天皇)を中心に書かれています。

ちなみに、クシミカタマさんはソサノヲさんの六代目、オオタタネコさんは十代目の子孫にあたります。

そのため、タケミナカタさんに関する記述は限られていますがご紹介します。

その前に出雲の国譲りのお話をしておきます。

出雲の国譲りとは

出雲をおさめていたオホナムチさんは持ち前の人格と政治力を生かして、出雲の国を豊かにします。そして、自分たちの社を朝廷の宮より立派だと言って、驕り高ぶります。

それを朝廷側が悟り、一国の豊かさは反乱を招く危険性もあり、出雲に次々と使者をおくりますが、オホナムチさんは使者を丸め込んでしまいます。

朝廷側の使者であったアメワカヒコさんは、すっかりオホナムチさんに同賛して、朝廷側の使者に弓を放ちます。そこで、朝廷側が平定軍を差し向けます。

慌てたオホナムチさんはミホの地に隠棲していた息子のクシヒコさんに助言を求めます。クシヒコさんは慢心した父を諌めるために、役職を退いて、隠居生活をしていたのです。

クシヒコさんは「民を幸せにする朝廷は尊いので、降伏するしかありません。」と父を説き伏せます。

クシヒコさんのお陰で戦は間逃れ、オホナムチさんは出雲を離れて、ツカル(津軽地方)の地へ赴きます。これが出雲の国譲りです。
ここでクシヒコさんの人格の素晴らしさが光ります。朝廷をないがしろにはしないのです。それどころか役職を退いて潔く身を引きます。地位や名誉に執着している人であればなかなか出来ないことです。

また、息子に助言を求めて、息子に従うオホナムチさんも立派です。慢心したとはいえ、誰でも栄光を手にすれば、無意識のうちに驕り高ぶるものではないでしょうか。

息子が説き伏せても、決して親の権威を振りかざしていません。オホナムチさんも謙虚で優しい人ということが伝わります。

最後まで抵抗したタケミナカタさん

朝廷から送られた平定軍に最後まで抵抗したのがオホナムチさんの息子のタケミナカタさんと言われています。

タケミナカタさんはクシヒコさんの母であるタケコさん(アマテルカミの娘)から生まれたのではなく、オホナムチさんの別の妻から生まれた方です。

オホナムチさんは傲慢になったとはいえ、謀叛を起こしたわけではないので、タケミナカタさんも納得いかなかったのではないでしょうか。

ただ、朝廷側としては一国が豊かになると反乱の危険性もあり、一国の主が朝廷をないがしろにする言動と態度は見過ごせなかったのでしょう。

タケミナカタさんは諏訪の地で平定軍のタケミカヅチさんに降伏したとホツマツタエに書かれています。

諏訪の地をおさめたタケミナカタさん

タケミナカタさんは国譲り後は信濃の国をおさめていました。

朝廷が獣肉食禁忌令を出した際にも「信濃の国は寒いので獣肉食を採ることをご承知ください。」と朝廷に伝えているため、朝廷に従っていたことが分かります。

信濃の国を開拓し、地元に方にも慕われていたと思います。全国に25,000社もある諏訪大社の総本山ですから、多くの方々の崇敬を集めていたのでしょう。

そんな素敵なタケミナカタさんに会える諏訪大社に是非機会がありましたら参拝してみてください。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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