こんにちは!今回はウガヤフキアハセズ様の参拝に、神奈川県綾瀬市に鎮座する五社神社を訪ねました。

実はこの神社、ニニキネ様がお祀りされている神社を探している時にもチェックしていました。しかし、この神社からニニキネ様の波動を感じることは出来ませんでした。
そのため、眷属の方からこの神社の名前を聞いた時に思わず絶句してしまったという訳なのです。
眷属の方のお話では、確かにこの神社にニニキネ様はお出ましにならないそうなのですが、なんとウガヤフキアハセズ様はお出ましになるのだそうです。

前回はこの神社の由緒をあまりよく読まなかったのですが、改めて由緒を読んで見ると、驚くべきことが書かれています。
祭神:天照大日霎貴尊、天忍穂耳尊、天津彦火瓊々杵尊、彦火々出見尊、草葺不合命の五柱
人皇第十二代景行天皇の皇子日本武尊、御東征の折に当地(当時は亀井山と伝う)に五朶の榊を樹て、地神五代を創祀して五頭の宮と崇められたのが始めであるといわれている
まず、ヤマトタケさん(日本武尊)は4世紀頃に存在した方です。つまり、正式な国書が存在していない時代にヤマトタケさんはこの五柱をお祭りしたということです。(系譜の順序もホツマツタヱと一致)

恐らく、この五柱の方々が正式な天つ日嗣であることは、当時は誰もが知っている常識だったのだと思います。ホツマツタヱの正しさを裏付ける大変貴重な神社と言えます。
待っておられるウガヤフキアハセズ様
さて、神社に向かう途中、早速ウガヤフキアハセズ様のサインを受け取りました。ニニキネ様に小田原の賀茂神社でお会いした時と全く一緒です。
どうやら美鈴の訪問を待ってくださっているようなのです。
時刻表を全く調べていなかったのに、駅のホームに着いた途端に電車が到着し、バス停に着いた途端にバスがやってきて、あれよあれよという間に五社神社に辿り着きました。
「そんなに、待っておられたのですね」、、、感慨深い思いが込み上げます。
鳥居をくぐり、年代を感じさせる木立が立ち並ぶ参道を抜けて本殿に向かいます。とても心地良い波動の神社で、拝殿手前の二本の大きな木が存在感を放っています。

拝殿の手前にウガヤフキアハセズ様はおられました。中肉中背で目鼻立ちがはっきりしている方です。
他人への気配りや配慮ができる性格がにじみ出ていて、雰囲気が祖母のアシツヒメ(コノハナサクヤヒメ)に似ています。(やはり隔世遺伝なのですね)
美鈴が自己紹介をしようとすると「知っている」とおっしゃるではありませんか。どうやらお話が出来るようなのです。
しかも不思議なことに、リアルにお出ましになられています。
そして、ああ、なんと美鈴を見てお泣きになるではありませんか。。。
ウガヤフキアハセズ様の涙
ウガヤフキアハセズ様の色んな思いが伝わります。
泣かれる理由はおっしゃらないのですが、恐らくこんなお気持ちなのだと思います。
アマテルカミを含め先代のアマカミに大変申し訳ないお気持ち、自分の生い立ちや背景まできちんと理解したうえで参拝に来たてくれた喜び、
そして、自分がここにいると分かったうえで参拝に来てくれた感動が入り混じり、感極まっての涙なのだと思います。

それだけ、歴史から忘れ去られていたということなのです。
さすがに、アマテルカミ、ニニキネ様、ホホテミ様はお泣きにはならなかった。
実際のご本人像とはかけ離れた内容が通説となっていて、複雑なお気持ちであられると思うのに、怒りや悲しみなど微塵もお見せにならず、ただやさしく美鈴を迎えて下さった。
事実とかけ離れた内容が書かれていても、存在は残されている。つまり人々に認知はされているのです。しかし、ウガヤフキアハセズ様にはそれすら無いのです。
それだけお寂しかったのでしょう。
ホツマツタヱを読んでウガヤフキアハセズ様に参拝に行かれた方もおられたと思います。
しかし、本来お祀りされる筈の場所にお祀りされておらず、お祀りされている神社も少ないので、きちんと出会えていないのではないでしょうか。
多くの方が参拝されていたら、ウガヤフキアハセズ様が泣かれるはずが無いのです。
そのため、ウガヤフキアハセズ様の功績と共に書かなければと思ったのです。
ウガヤフキアハセズ様はツクシを開拓して下さった、言わば子孫に愛を残してくれたのですから。
ウガヤフキアハセズ様との対話
その他にも、ウガヤフキアハセズ様と色んなお話をしました。ホツマツタヱにウガヤフキアハセズ様が32人の県主と各地を見回って廃れた個所を治された描写がありました。
他者への気配りが細かな配慮が出来る方ですから、精魂込めて開拓や農業指導にあたられたのでしょう。これはイサナギ・イサナミ様からずっと変わらない伝統なのだと思います。

お話と言っても、言葉を介さずに、ウガヤフキアハセズ様の功績にただ、ただ感謝をお伝えし「こんなことがありましたよね」、「こんなこともされたんですね」と回想し合う時間を持ったという言い方が正解なのかもしれません。
ちょうど話し終えたところで、次の参拝者が来られたので、最後に多大な感謝と愛をお伝えして、ウガヤフキアハセズ大君の御前を後にしました。
さいごに
歴史に「たら」「れば」は無いのかもしれません。しかし、後世にウガヤフキアハセズ様の功績が残されていたならば、きちんと由緒にも書かれたでしょうし、参拝者はウガヤフキアハセズ様に感謝をお伝えできます。
子どもに「この人は何をした人なの?」と聞かれても「大昔にね、日本を開拓してくれた偉い人なんだよ」と伝えることもできます。
「子孫にご先祖様の愛が伝わり、子孫がご先祖様に感謝をする、その愛のやり取りで人の情緒は育まれ、愛や平和や秩序が生まれる」と美鈴はホツマツタヱを読むたびに実感しています。
そして、美鈴がホツマツタヱで出会わなければ、五社神社を訪れることもなく、ウガヤフキアハセズ様も二千年以上も誰にも気づかれずに五社神社におられたままだったかもしれません。

当記事が神社参拝の参考になれば幸いです。
ウガヤフキアハセズ様に出会える五社神社、是非機会がありましたらご参拝ください。(ちなみにウガヤフキアハセズ様は鵜戸神宮におられますし、ニニキネ様も霧島神宮におられるとのことでした)
最後までお読みいただきありがとうございました!