ミマキイリヒコ(崇神)天皇の大きな決断

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こんにちは!今日は前回の続き、ミマキイリヒコ(崇神)天皇「ハツクニシラスミマキノヨ」と詠われたマツリゴトの内容を紐解いていきたいと思います。

その前に、ミマキイリヒコ(崇神)天皇が行ったマツリゴトで、特に祭祀にまつわる事項を以下にまとめました。

ミマキイリヒコ天皇の祭祀については、また別の機会に述べたいと思いますので、概要のみ簡単に掲載します。

以下、補足説明
・トヨスキヒメ=崇神天皇皇女で、16歳で斎王としてアマテルカミに奉仕
・ヌナギヒメ=同じく崇神天皇皇女で、オオクニタマに奉仕
・カサヌヒ=現:奈良県桜井市三輪山山麓とされる
・ヤマベ=現:奈良県天理市大和神社とされる

それでは、いつものようにホツマツタヱ本文から詳細を読み込んで、「ハツクニシラスミマキノヨ」の真相に迫りたいと思います。

池田満氏の訳文を参考にし、書き下し文を書いてみましたので、ご参照ください。

※何分素人の書き下し文ですので、至らぬ点はご了承ください。

ホツマツタヱ 34アヤ 21~25項
第十代 ミマキ(崇神)天皇十二年三月十一日、ミマキイリヒコ(崇神)天皇がミコトノリを発した。

天つ日嗣を私が引き継いでから、国家国民を案ずること十分に為し得るに至らなかった。

天候も不順となり、ついに疾病(えやみ)が流行し、国民の半ば近くが病没する惨状となった。

ミマキイリヒコ天皇
これらのことを起こさせたる主因は、我が父が押し通した過ちにあったのではなかろうか。

その他にも、諸ごとにおいて差し障りがあったことも想像されるので、全てのツミを祓い除かねばならないと手段を講じてきた。

そもそもアマテルカミとオオクニタマは特に尊ぶべきであると、専門に祭祀するために、トヨスキヒメとヌナギヒメをミツエシロ(斎王)として奉仕させた。

自らを省みる謙虚な姿勢が伺えます、また御自身の父親の誤りを包み隠さず露わにし、反省する姿に感銘を覚えます。

では続いて見ていきます。

それでも大規模な疾病の流行が起きたのでついに我が父に過ちがあったことを知るところとなった。

それはスヘラギである私自らの出生にも関わるため、特に世の中に悪影響が広がったのであろう。(中略)


よく考えてみると、指導者層に較べて一般国民の疲弊は、なお重いようだ。そこでタミに課せられているユハズ・タズエのミツギ(税)をこの年は免除することにした。

こうした配慮もあって、重い疾病災害からの復興も成し遂げられた。

ミツギ(税)免除という思い切った政策は、それ以前に例が無かったことから、ミマキイリヒコ天皇の治世は『ハツクニシラスミマキノヨ』と名付けられた。

さて、以上の内容を紐解いてみると、重い疫病からタミの負担を軽くするために税を免除したというのが「ハツクニシラスミマキノヨ」の真相であることが分かりました。

ミマキイリヒコ天皇のお心に学ぶアメナルミチ

税の徴収とは、朝廷の運営にあたり国会維持に必要な経費です。

しかし、疾病による国民の疲弊を考慮し、税の免除をお考えになった崇神天皇のお心は尊く、『キミが国民の全てを慈しみ恵もうとする』というアメナルミチに依拠しているといえます。

池田氏の言葉をお借りすると、結局のところ治世の要諦というものは、「タミヤスク」(国民の幸福の実現)に尽きるということが分かります。

アマテルカミアメノミチに対して抱いていたイメージは、「ヒトグサノナゲキヲヤワス」(国民の嘆きを和す)マツリゴトを実現していくことでした。

アマテルカミ

このアメナルミチの精神がヒトノヨの時代、ミマキイリヒコ天皇の受け継がれて、ホツマツタヱに記載されていたことは改めて強調しておきたいと思います。

そして、このアメナルミチの精神は現代に生きる私たちにも重要な教えであると感じざるを得ません。

今後もアメナルミチをより探求していきたいと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました!

参考図書:ホツマ辞典 / 『ホツマツタヱを読み解く』池田満氏著

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