こんにちは!今日は東京都は府中市に鎮座する大国魂神社について書こうと思います。叔母がこの付近でお店を営んでいたご縁で、両親がこちらの神社で私の初宮参りと七五三をお祝いしてくれました。
写真には残っているものの、昔のことで全く覚えていませんが、子供の頃に従妹達とお祭りに行った記憶があります。毎年開催されるくらやみ祭りはかなり壮大な規模で行われています。
立派な社殿は一之宮社を思わせる風格です。御祭神は大国玉大神(オオクニタマノオオカミ)です。私にとっては産土神です。創建は景行天皇41年(西暦111年)5月5日と伝えられています。
武蔵国 総社とは?
大国魂神社は武蔵国の総社です。武蔵国とは昔の行政区分の呼び名で、現在の東京都、埼玉県、神奈川県の川崎市と横浜市を含むエリアを指します。現在の府中市にかつては国府(行政の中心地区)が置かれていました。
各国府に赴任した国司は令制国で定められた神社を参拝する任務がありました。しかし、すべての神社を参拝することは忙しい国司にとって大変です。そのため、平安時代に入り、国府の近くに総社を設けることで、各神社への巡回が省かれました。(Wikipedia 参照)
大国魂神社は武蔵国の一之宮から六之宮の御祭神が合祀されています。総社だけあってそうそうたる御祭神です。
社伝によれば、景行天皇41年(西暦111年)に大国魂大神がこの地に降臨し、郷民が大国魂大神を祭る社を創建したことが起源とされています。その後、天穂日命(アメノホヒ)の後孫が武蔵国造に任ぜられ、奉仕を行ったと書かれています。
アメノホヒとは?
アメノホヒとは、ホツマツタヱではアマテルカミとお妃の一人であるモチコさんとの間で生まれた第一皇子ホヒノミコト様のことです。ホヒノミコトは第一皇子でありながら、アマカミに就任しませんでした。
正姤ムカツヒメこと、ホノコさんが生んだオシホミミ様が第九代アマカミに就任されたからです。ホヒノミコトは出雲の国譲り後は、出雲国の統治を任されます。
ホヒノミコトは出雲国造とはいうものの、ソサノヲさんのお血筋ではなく、アマテルカミのお血筋なのです。
オオクニタマとは?
大国魂(オオクニタマ)とはクシヒコさんのことです。クシヒコさんはオホナムチさんとタケコヒメとの間に生まれました。若い頃はコトシロヌシとして、アマテルカミに仕え、出雲に赴任した父のオホナムチさんの後を継いで二代目オオモノヌシとなります。
クシヒコさんは偉大な業績をおさめたため、多くの称え名がありました。オオモノヌシ、コトシロヌシの他に、ヲコヌシ、ヲコヌノカミ、ヲヲコヌシ、ヤマトヲヲコノミタマカミ、ヤマトノカミなどと呼ばれました。
クシヒコさんはアマテルカミの命により、第十代アマカミ ニニキネ様に従って全国を巡回されたとあります。ニニキネ様は灌漑事業を成功させ、飛躍的に国を豊かにしました。
クシヒコさんはニニキネ様の最初の宮、ニハリノミヤ(茨城県筑波山周辺)の造営にも携わっていますので、関東の地に現れたとしてもおかしくはありません。
オホナムチさんも関東には頻繁に来られていたと思われます。
参拝前に来てくださったクシヒコさん
今回大国魂神社に参拝することをクシヒコさんには事前にお伝えしていました。(スピリチュアル次元の話です。)
クシヒコさんは晩年、奈良県の三輪山で入寂されました。そのため、三輪山の麓にある大神神社の御祭神はクシヒコさんです。クシヒコさんは関東の神社にも多数祭られており、スピリチュアル的にもクシヒコさんは関東にも本当に良く来て下さるのです。
クシヒコさんは参拝前に私の所に来てくださったのですが、実は意外なところに来られました。大国魂神社の最寄り駅の数駅手前で来られたのです。
そして、禊の雨を降らせて下さいました。禊の雨とは、参拝前に心身の汚れを祓うために、御祭神が雨を降らせてくれる雨のことです。
禊の雨は何回か経験していましたが、大抵鳥居をくぐってから本殿までの間にパラパラ降るという感じでした。今回のように、最寄り駅の数駅手前で禊の雨を降らせてくださるのは初めてでした。
『本殿に来られない理由でもあるのかな?』と思っていたら、クシヒコさんは案の定、拝殿には来られませんでした。何か事情があるのだなと思いました。
大国魂神社の見どころ
大国魂神社の見どころは何と言っても荘厳な社殿です。
摂社、末社も多数あり、住吉神社、稲荷神社、アメノウズメさんを祭る宮乃咩神社、水神社、松尾神社などが見どころです。アメノウズメさんは安産の神様として崇敬されています。
境内を流れる小川には紙の形代を流す厄落としもできます。(初穂料1体100円)
クシヒコさんの魅力
クシヒコさんの素晴らしさを挙げればきりがないのですが、常にアマカミと国と民の幸せを考えておられたところです。目上の人の判断が誤っていると思ったら、きちんと諫言されるのです。
目上の人に気に入られようとするなら、余計な諫言はしないとは思いますが、クシヒコさん違うのです。公を重んじて、民のことを考えて諫言されるのです。そして、傲慢になった父を諌めるために蟄居謹慎処分さえ厭わないのです。
クシヒコさんにとって畏敬の存在であるアマテルカミにも諫言されます。そして、父のオホナムチさんも、外祖父にあたるアマテルカミもクシヒコさんの意見をちゃんと聞き入れるのです。
それはクシヒコさんが本当に愛ある人で、人格者で、人間的魅力に溢れていたからだと思うのです。
クシヒコさんのことはまた別のブログで触れていきたいと思います。それでは本日はここでおしまいです。最後までお読みいただきまして、ありがとうございました!
参考図書:池田満氏:ホツマ辞典