こんにちは、ホツマツタヱに書かれているトヨケカミ(豊受大神)、アマテルカミ(天照大神)について書いてみようと思います。
ホツマツタヱでは天照大神はアマテルカミ、豊受大神はトヨケカミと呼ばれ、いずれも男性です。
アマテルカミは当ブログで度々紹介していますが、伊勢神宮外宮に祀られているトヨケカミとは一体どんな方なのでしょうか?
豊受大神とは
トヨケカミはタノミコトの子孫
初代アマカミのクニトコタチ(古代の日本の創始者)にはト・ホ・カ・ミ・エ・ヒ・タ・メという八人のお子様たちがおられました。それぞれトノミコト、ホノミコトのように呼ばれ、木の実の栽培方法や住居の建て方など人々に教えるために全国に派遣されました。
東北地方に派遣された方がタノミコトです。タノミコトの子孫が代々タカミムスビを名乗って東北地方に繁栄しました。
第五代タカミムスビになられた方がトヨケカミです。この方はとても優れた方で、気候の変化で農作物の減収が減った際に、初代クニトコタチの精神に立ち返り、社会を立て直しました。
この功績から、トヨケカミはヒカシノキミとしてオホナメヱ(大嘗祭)を執り行うことが認められました。(池田満氏 ホツマ辞典より)そして、同じくタカミムスビ家出身のアメカガミカミの曽孫であるイサナギ様と自身の娘のイサナミ様を結婚させて、第七代アマカミとしました。
トヨケカミが立てた功績は多岐に渡り、祭祀する神体系を整理して、人々の心をひとつにするように努めました。トヨケカミはまつりごとの達人であり、秀でた教育家でもありました。
その他にも、乗馬法、産医学、金属錬金技術、天地開闢の捉え方、死生観、年中行事を通して民を大切に教育されたのです。
池田満氏 ホツマ辞典の系図を見ると、トヨケカミは藤原氏、忌部氏、物部氏、三輪氏といった著名な氏族の先祖にあたります。
天照大神とは?
アマテルカミは第七代アマカミ イサナギ・イサナミ様の間に生まれた方です。トヨケカミがアメ(創造神のこと)に八千回も祈願されて誕生されました。イミナをワカヒト様といいます。
アマテルカミはあらゆる知識を有していたトヨケカミから直々に教えを受け、優れた指導者に成長されました。アマテルカミは残した業績は多岐に渡ります。代表的なものを以下に列挙します。
- 全国をブロックに分け、それぞれに勅命治政官を任じた。
- 刑法では数量的に罪を料るサガを教えるミチ(教え)を制定した。
- 教育・倫理・哲学の面にも多大な影響を及ぼした。
- 人の真実の幸せを希求し、善を勧めることを眼目とした。
- 人とは何なのか?哲学的な洞察を深めた。
また、夫婦のミチであるイセノミチ、世継ぎを得るためのヨツギノミチ、長命を保つための食養のミチ、子どもを育てるための教育論なども纏められました。
アマテルカミの治世で人々の生活は豊かになり、人々はアマテルカミを慕いました。アマテルカミは功績を立てた人に褒め名をしるした文書(ヲシテ)を下賜されたのです。アマテルカミは褒め上手でもありました。
ここまでお読みいただくと、アマテルカミもトヨケカミも、素晴らしい指導者であったことが分かります。太古の昔から、民衆に慕われ崇拝されていたことでしょう。
天照大神と豊受大神が女性である理由
一般的に天照大神と豊受大神は女性とされています。なぜ、女性神なのかは諸説あります。
説1:推古天皇を正当化するため
近年において、ホツマツタヱを発見された松本善之助氏は推古天皇を正当化するため、蘇我馬子と聖徳太子がアマテルカミを女性に作為して国史を書き換えたと述べています。
私はこの説は根拠として、少し弱いのかなと思いました。なぜかというと、推古天皇以前に神功皇后がおられたからです。
神功皇后は天皇ではありませんでしたが、夫である仲哀天皇の九州熊襲征伐に随伴し、志半ばで崩御となった夫の意思を継いで、熊襲征伐を達成します。それどころか、海を越えて新羅へ攻め込み、百済、高麗まで服従させています。
それだけ神功皇后に家臣を納得させる政治的手腕があったのでしょう。そして、夫の遺児である誉田別尊(後の応神天皇)を出産し、幼い皇子が即位するまで政事を執り行うなど、実質天皇のような存在でした。
神功皇后を前例とすれば、推古天皇を女帝にするのはさほど困難ではないと思います。
説2:持統天皇を正当化させるため
また、持統天皇が天皇に即位することを正当化させるためにアマテルカミを女性にしたという説があります。私はこれも根拠としては弱いと思います。なぜかと言えば、既に推古天皇がおられたので、アマテルカミを女性にする必要がありません。
それに、説1と説2ではアマテルカミが女性にされた根拠にはなりますが、トヨケカミまで女性にされた理由を説明できません。
説3:仏教を推し進めたかったから
これは私の考えですが、仏教を推し進めたい人たちが存在し『仏教は素晴らしんだ!』と民衆に納得させるために、古くから崇拝対象とされていたアマテルカミとトヨケカミをあえて女性にしたのではないかと思います。
ホツマツタヱをお読みいただければ、アマテルカミとトヨケカミが素晴らしい人物であったことは明白であり、はるか昔から崇拝の対象とされていたと容易に想像できます。
たとえ、仏教を取り入れても、人々はアマテルカミとトヨケカミを崇拝し続けるでしょう。
そのため、重要であったアマテルカミとトヨケカミを重要でない人に見せるために、女性にしたとは考えられないでしょうか?現代は女性も政治の場で活躍する時代ですが、はるか昔においては、まつりごとは男性が行うものでした。
いくら偉大な指導者であっても、女性であったならば、男性よりも重要感が薄れる感は否めないのではないでしょうか。
諸説読みながら、ふとそんな考えが浮かんだのです。皆さんはどう思われるでしょうか?
人々を幸せにしたくて様々なミチを説いてきたトヨケカミとアマテルカミ。そのミチとヲシテ文献(は時代と共に忘れ去られていきました。そんなホツマツタヱが昭和41年松本善之助氏によって発見されたのです。
ヲシテ文献では、古語辞典にも載っていない難解な言葉があるにも関わらず、松本善之助氏や池田満氏などのご苦労のお陰で、こうして上古代のアマカミたちについて記された貴重な文献に触れることができるのが本当に有難いことです。
こうして、ホツマツタヱが発見された背後に、アマテルカミやオオクニヌシ クシヒコさんの強い意志や願いを感じてなりません。
ホツマツタヱを読んでから変わったこと
ホツマツタヱが偽書ではなく、本物であると思う根拠があります。ホツマツタヱを読む前と読んだ後で、明らかに御祭神の歓迎ぶりが変わったのです。不思議な出来事も沢山起こるようになりました。
また、神社参拝中になぜか沢山鳥が飛んでくるようになりました。以前は鎮守の森にカラスが雀が数羽いるのを見かけるくらいだったのですが、5~6羽、ある時は10羽近く飛んで来たこともありました。
このブログを書くきっかけとなった神奈川県江ノ島に鎮座する江島神社は海にかかる長い橋を渡って神社に向かいます。ある日『ホツマツタヱを読み始めました。』と江島神社の御祭神にお伝えした帰りに、橋の両手すりに沢山のカラスが止まっていたのです。
江島神社には何回も参拝していたのに、こんな出来事は初めてでした。また、コノハナサクヤヒメをお祀りする浅間神社の拝殿で祝詞を奏上していたら、カラスや鳩、雀、オナガなど何種類もの鳥がバサバサっと7~8羽ぐらい飛んで来たのです。
こんなエピソードも、ホツマツタヱを本物と信じてる方の励みになればと思いながら書いています。ホツマツタヱを読むと上古代の人々の温かい心が伝わり、幸せな気持ちになります。
多くの方々にホツマツタヱに触れて頂きたいなと思います。
今日はアマテルカミとトヨケカミについて考察を深めてみました。最後までお読みいただきありがとうございました。