こんにちは!前回のヤマトタケさんの歴史を踏まえた上で、今日はヤマトタケさん縁の神社をご紹介します。
神奈川県足柄上郡に鎮座します寒田神社です。こちらの神社はいときょう氏著 古代史ホツマツタヱの旅 第3巻を読んで知りました。
寒田神社はヤマトタケさんの東国遠征の際に立ち寄った場所です。西暦400年頃の創建された古社で、ヤマトタケさんが使用したのではないかとされる木製のお椀が残されています。(弥生時代後期の作)
御祭神は倭建命と弟橘比売命の二柱です。
ヤマトタケさんはホツマ国(関東)の国境に到着し、足柄の矢倉岳から小野にある反乱軍の要塞を視察します。小野の要塞には愛妻のヲトタチバナヒメがおられるので、ヤマトタケさんにとっては辛い遠征でした。
地図を見ると矢倉岳から寒田神社までは車で20分程です。
ヤマトタケさんはどんな思いで小野の要塞を見つめておられたでしょう。
寒田神社に呼んで下さったヤマトタケさん
ヤマトタケさんにお会いしたいと思っていたら、ヤマトタケさんに呼んでいただく機会が訪れました。早速、小田急線新松田駅を下車して、寒田神社に向かいます。
寒田神社は新松田駅から徒歩10分くらいの場所にあります。
早速鳥居をくぐって本殿に向かいます。かなり古くからある古社という雰囲気です。早速本殿に向かい祝詞を奏上してご挨拶をしました。
ヤマトタケさんは確かにおられたのですが、わずかに繋がれるという感じです。
あまりお元気ではないようで、ヤマトタケさんにとって、辛い思い出のある場所というのは間違いないようです。やはり愛妻のヲトタチバナヒメを失った悲しみや、御父上の景行天皇にお会いする前に亡くなられたのが心残りだったのでしょう。。。
それでも自己紹介をしてホツマツタヱを読んでいることや日本の発展に尽力して下さったことに感謝を述べると、とても喜んで下さったのです。
ちなみに、、、
ヲトタチバナヒメを小野の要塞から助け出すことはできたのですが、ヤマトタケさんが小野を制圧後、大磯から船で上総(千葉県)に向かう途中で嵐に会います。ヲトタチバナヒメは嵐を鎮めるために海に身を投げてしまいます。
嵐は無事に収まりますが、ヲトタチバナヒメは見つからず、流れ着いたヒメの帯と櫛を祭る社を二宮の地に建てます。(現在の吾妻神社)
小野の要塞からようやく助け出したヒメを目の前で失ってしまいました。ヤマトタケさんはどれほど悲しまれたことでしょう。寒田神社の本殿の裏はかなり古くからあるであろう摂社末社が建っていました。
本殿の裏をぐるっと一周して、ご挨拶をしてその日は参拝を終えました。
2度目の参拝
それから暫くして、再度、寒田神社に参拝に伺いました。(ちなみにものすごく土砂降り)本来、雨の日の参拝は控えた方が良いのですが、その日しか都合がつかなかったので、お伺いすることにしました。
鳥居をくぐって本殿に向かうと、びっくりしました。なんと!ヤマトタケさんがもの凄くお元気なのです!!!(雨なのに)明らかに前回とオーラが違います。「今日はすごくお元気なんですね!!!嬉しいです!」とご挨拶だけして帰りました。
普通は土砂降りの神社というと、なんだか近寄りがたい薄暗いイメージなのに、本殿がキラキラ輝いていました。
普段は日々の感謝を伝えたり、お願い事に来る参拝者を見慣れていると思うのですが、場違いなほど明るいオーラの参拝者が「ヤマトタケさん愛してます―!」と、(心の中で)叫んでいるので、ヤマトタケさんもさぞびっくりされたことでしょう。(;^_^A
ヤマトタケさんの象徴
ヤマトタケさんの象徴というかシンボルがあります。本当に不思議なのですが、シラサギと鳩です。ヤマトタケさんは東国を平定後、御父上の待つ奈良のマキムクの宮へ帰還される途中で亡くなってしまいます。
ヤマトタケさんはお墓に埋葬されるのですが、お墓から白い鳥が飛び立つのを多くの人が目撃します。そしてその白い鳥の羽は御所市富田と羽曳野市、古市で見つかります。お墓を開けてみると不思議な事に御遺体はありませんでした。
よほど心残りだったのか、白い鳥になって御父上の元に飛び立って行かれたのですね。。。
白鳥神社の御祭神はヤマトタケさんなのです。
そして、本当にスピリチュアル的にシラサギと鳩で来られることがあります。シラサギは分かるのですが、なぜ鳩なのかは分かりません。
ヲトタチバナヒメの櫛と帯が流れたついた大磯の地はアオバトが水を飲みに来る場所と池田満氏の「ホツマで読むヤマトタケ物語」に記載されていたので、これと関係しているのかなとは思います。
最後までお読みいただきありがとうございました!